JOURNAL

「好き!好き!ストラヴィンスキー」

第2回 ストラヴィンスキーの二大名言

文・飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)

若き日のイーゴリ・ストラヴィンスキー

 お気に入りのストラヴィンスキーの名言がふたつある。
 ひとつは、ヴィヴァルディに対する有名な悪口だ。

 「ヴィヴァルディは500曲の協奏曲を書いたのではない。同じ協奏曲を500回書いたのだ」

 なかなか辛辣である。ヴィヴァルディは生涯に500曲とも600曲ともいわれるおびただしい数の協奏曲を書いた。しかし、どれもこれも似たような作りで、かわりばえがしない。そう揶揄しているのだろう。

 本当にストラヴィンスキーがそんなことを言ったのかな? そう思って調べてみると、ロバート・クラフト著『Conversations with Igor Stravinsky』(ストラヴィンスキーとの対話)で、最近のイタリア古楽復興について興味があるかと尋ねられたストラヴィンスキーが、「ヴィヴァルディは過大評価されている。同じ形式をなんども使い回すつまらないヤツだ」と答えていた。これに尾ひれがついて先の「名言」になったのかもしれないし、あるいはどこかで本当にその通りの言葉を語ったのかもしれない。いずれにせよヴィヴァルディのことをワンパターンだと軽んじていたことはまちがいない。

 だが、これは1959年時点での話。古楽復興がはるかに進んだ現代において、ヴィヴァルディを創意の乏しい作曲家だと思っている人は少ないだろう。なにより、ヴィヴァルディ時代の作曲家たちは演奏会ごとに新曲を発表していたから曲数が多くなったわけで、過去の名曲を好んでなんども繰り返して演奏している現代と、どちらがマンネリ化しているのか、容易に答えられるものではない。

《ペトルーシュカ》に扮したヴァーツラフ・ニジンスキーと。ストラヴィンスキーの音楽・ニジンスキーの振付で1913年にパリで初演された《春の祭典》は賛否両論を巻き起こし、大きなスキャンダルとなった

 もうひとつ、英語圏でストラヴィンスキーの名言としてよく引用されているのがこちら。

 「二流のアーティストは借りる。一流のアーティストは盗む」
 Lesser artists borrow, great artists steal.

 これは含蓄がある。創造とは無から生まれるものではなく、先人の作品に触発されることで形になるもの。その際、表現が借り物になっているようでは未熟なのであって、己のものとして換骨奪胎するのが真の芸術家である。そういう意味だろう。

 実はこの言葉、多少表現に違いはあるにせよ、ストラヴィンスキーだけではなく、ピカソだったり、T.S.エリオットだったり、スティーヴ・ジョブズだったり、いろんな人の名言として紹介されている。おそらく昔からある言葉なのではないか。実際に本人がそう言ったかどうかはともかくとして、ストラヴィンスキーに紐づけられているのはおもしろい。

 というのも、ストラヴィンスキーの代表作にしてもっとも創造的な作品といえば、バレエ音楽《春の祭典》。この音楽がどこから生まれてきたかについて、ストラヴィンスキー自身はほとんど語っていない。自伝を読んでも、振付けのことなど周辺事項については詳しいが、音楽そのものについては「正確には思い出せないから」とお茶を濁すような書きぶりだ。しかし、後の研究で《春の祭典》には数多くのリトアニア民謡やロシア民謡が素材として用いられていたことが明らかになっている。

 まさに「借りるのではなく、盗む」を彼自身が実践していたことになる。偉大な芸術家の証だ。




Copyrighted Image