春祭ジャーナル 2013/02/15
ワーグナー vs ヴェルディ 第4回「おまえはもう死んでいる」
文・飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)
私たちは強い男にあこがれる。不屈の精神と不死身の肉体を持ったヒーロー。オペラの世界はそんな屈強な男たちであふれている。
ワーグナーとヴェルディ作品における最強の男とはだれだろうか。
大蛇ファフナーとの戦い
神もいれば巨人もいるワーグナー「ニーベルングの指環」で、人間でありながら際立った強さを見せつけてくれるのが、ジークフリートだ。なにしろこの男は「恐れ」を知らない。それゆえにノートゥングを鍛え、魔剣を振るう。洞窟で指環を守る大蛇ファフナーを一太刀で倒す。そして炎の山を越えて、眠りにつくブリュンヒルデに口づけをする。
強い男だ。最強の男と呼びたくなる。
だが、ジークフリートは不死身ではなかった。これほどの強さにもかかわらず、「神々の黄昏」であっさりと死ぬ。この偉丈夫の弱点は背中にあり。そう知ったハーゲンが槍で一撃するとバタリ。口ほどでもないヤツとハーゲンは思っただろう。ジークフリートには知恵が欠けていた。「決して背中に人を立たせない」というゴルゴの教えを学んでおくべきだった。
ではヴェルディ作品で最強の男はだれかといえば、「仮面舞踏会」のボストン総督リッカルド(グスタヴォ)を挙げたい。この人物こそ最強の男ではないだろうか。
リッカルドは腹心の部下レナートの妻アメリアを愛した。おかげで逆上したレナートに仮面舞踏会で刺されて死ぬ。
それだけではどうということもないが、感嘆すべきはこの致命傷を受けた後の驚異の生命力である。あ、やられた、と思った後、なんとリッカルドは延々100小節以上にわたって生き続ける。しかも朗々と歌いながら。途中、言葉をつまらせ、オーケストラのフォルテシモの一撃が鳴り「あ、死んだかな?」と思わせておいて、すくっと再びカンタービレで歌いだす。「神に誓ってアメリアは君を裏切っていない、みんなを許すよ、永遠の別れだ、さよなら子供たちよ......」。致命傷をものともせず、歌声は続く。
幕切れでついにリッカルドは倒れる。合唱とオーケストラが緊迫感を高め、悲劇をしめくくる。だが、彼が本当に絶命したとだれが断言できようか。そのまま自分の死亡診断書にサインしかねない男。それがリッカルドだ。
第1回「オペラの死に様」 | 第2回「ベストカップルはだれだ?」 |
第3回「親の顔が見たい」 |
第4回「おまえはもう死んでいる」 | 第5回「長いものには巻かれたい」
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