HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2013/03/06

ワーグナー vs ヴェルディ 第5回「長いものには巻かれたい」

文・飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)

 オペラは長すぎる。

 「オペラへのハードルの高さはその長さに比例する」と指摘された。

 そうかもしれない。しかし、オペラが長いというのは、もしかすると先入観ではないだろうか。

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 たとえばヴェルディ。作品によって長さはまちまちであり、同じ作品でもカットの有無やテンポによって上演時間は異なってくるが、大ざっぱに言えば代表作の多くは正味2時間からせいぜい2時間半程度でしかない。「アイーダ」「オテロ」「ファルスタッフ」「椿姫」「仮面舞踏会」「リゴレット」。どれもそんなものだ。

 これはハリウッド映画の人気作品とほぼ同程度の長さである。「ロード・オブ・ザ・リング」や「タイタニック」のような3時間級大作などはヴェルディ以上に長い。

 しかもオペラには休憩が入る分だけ、映画より親切ともいえる。スタンリー・キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」(1968年)のオリジナル版では、後半で画面に INTERMISSION のテロップが入り数分の休憩が用意されていた。今や2時間半程度の映画に休憩が必要だとはだれも思わない。オペラとは休憩好きで、トイレ・フレンドリーな芸術なのだ。

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夜警のイメージ

 一方、ワーグナーについては話が違ってくる。弁解の余地もなく長い。「ニーベルングの指環」に全四夜を要することを別としても、個別の作品も容赦がない。「ニュルンベルクのマイスタージンガー」「パルジファル」「神々の黄昏」。これらの正味4時間半クラス、休憩時間を入れれば6時間級となる大作となれば、もはや聴くのも一日がかりだ。

 しかも物理的に長いだけではなく、感覚的にも長い。お客を飽きさせないように次々と事件が起きたりはしない。しばしば迂遠な会話が延々続く。

 これらの作品では、むしろ時間感覚の喪失こそが快楽をもたらしてくれる。

 「パルジファル」でグルネマンツは言う。「ここでは時間が空間となる」。時空についての話だろうか。かの地では時間軸を移動できるとでも? いまどこにいるかはわかっても、いまがいつなのかがわからなくなる。

 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」では「夜警」が登場する。彼はほんのわずかな出番ながら、夜10時と11時に物語内時間の経過を告げることで強い印象を残す。この瞬間、私たちは外界の時間を忘れ、物語内時間を生きている。そして、この時間がいつまでも続くことを夢見る。

第1回「オペラの死に様」 | 第2回「ベストカップルはだれだ?」 |  第3回「親の顔が見たい」 | 
第4回「おまえはもう死んでいる」 | 第5回「長いものには巻かれたい」

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