春祭ジャーナル 2017/12/21
ロッシーニに学ぶデキる男の仕事術
第1回 夢の早期リタイア編
文・飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)
ジョアキーノ・ロッシーニ(1792-1868)
早期リタイア。勤労者にとって、なんと甘美に響く言葉であろうか。さっさと引退して、悠々自適の暮らしを送れたら。しかし、現実は甘くない。厚生年金の支給開始年齢は、制度発足当初は55歳であったが、それが60歳になり、さらに65歳になりと、ムービングゴールのように遠ざかっている。
しかし大作曲家のなかには、早々に作曲から引退し、長い余生を送った人もいる。ロッシーニとシベリウスだ。
ロッシーニはオペラ《ウィリアム・テル》(1829年)を最後に、37歳の若さでオペラから引退した。以後、76歳で世を去るまで、長い隠居生活が続くことになった。この間、ロッシーニは食通として美食三昧の暮らしを送っている。
一方、シベリウスも最後の重要作品を書いたあと、30年以上にわたってアイノラの別荘で隠居生活を送っている。もっとも、こちらは必ずしも幸福な引退とはいえないかもしれない。世間が待望する交響曲第8番に取り組み、いったんは(あるいは何度も)完成に至ったものの、厳しい自己批判の結果、作品は暖炉に放り込まれてしまう。シベリウス・ファンは幻の交響曲第8番がひそかにどこかに残されていないかとずっと夢見ている。
引退のあり方としてはロッシーニのほうを手本にしたいものである。
ロッシーニの時代には、現在のような著作権法が確立されておらず、作曲家は収入を得るために新作を書き続けなければならなかった。にもかかわらず、彼が早期リタイアできたのはフランス政府から終身年金を獲得できたから。最後のオペラ《ウィリアム・テル》の初演の前に終身年金の契約を得ようと、ロッシーニはシャルル10世の政府にかけあった。オペラ座のために隔年1作の割合で最低4作の新作を書く用意があると伝えたものの、ロッシーニが契約を望んだのは作曲の成果とは無関係に支給される年金だ。交渉中にダメなら《ウィリアム・テル》を舞台から引き上げるとまで脅し、彼はついに年金契約をゲットする。そして、経済的安定を手にすると、もはやロッシーニはオペラを書かなくなった。恐るべし、ロッシーニの交渉術。
現代社会でロッシーニと同様の年金を手にするのは無理な話であるが、《ウィリアム・テル》の作曲時点で、ロッシーニの創作ペースはすでに鈍りつつあった。栄光の頂点でキャリアを閉じる、というのが彼のプランだったのだろう。
そこで思い出すのは元日本代表のサッカー選手、中田英寿だ。彼もまた29歳で早期引退し、栄光の頂点でキャリアを閉じた。「人生とは旅であり、旅とは人生である」。この名言を残して、彼は旅人になった。ロッシーニ=中田英寿説。作曲の筆を折ったロッシーニもまた、食通として人生の旅に出ることになる。
(つづく)
ロッシーニに学ぶデキる男の仕事術
第1回 夢の早期リタイア編 |
第2回 グルメをきわめるセカンドライフ編 |
第3回 爆速仕事術編
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