春祭ジャーナル 2013/01/30
ワーグナー vs ヴェルディ 第3回「親の顔が見たい」
文・飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)
ジョルディ・クライフというサッカー選手がいたのをご存じだろうか。マンチェスター・ユナイテッドやスペイン1部リーグのいくつかのクラブを渡り歩き、一時はオランダ代表にも選ばれた。
普通に考えれば成功した名選手である。だが、多くのサッカー・ファンはジョルディに失望を覚えた。なぜなら、彼の父親はあの歴史的スーパー・スター、ヨハン・クライフだから(フライング・ダッチマン=さまよえるオランダ人の異名を持つ)。だってクライフの息子だろ? もっとやれるはず。しまいにジョルディはこう陰口を叩かれた。
「ジョルディはサッカーの才能をその母親から受け継いだ」。
イタリア ロンコーレ村のヴェルディ生家
ドイツ ライプツィッヒのワーグナー生家
ヴェルディとワーグナーは、その才能をだれから引き継いだのだろうか。
ヴェルディはブッセート近郊の小村で、宿屋と小売商を営む商人の家に生まれた。やり手の祖父ジュゼッペは、この地で宿屋の経営権や、タバコ、塩などの専売権を手に入れて、抜け目なく商才を発揮した。さらに父カルロは親から継いだ借地を買いとり、小規模ながら地主となった。
ヴェルディがこの商才と進取の気性を受け継いだことは明らかだろう。作曲家として経済的な大成功を収めるかたわら、故郷の近くに土地を買い、人を雇って農園を経営してこの分野からも収益を上げた。国民的作曲家となってもなお、農園経営への情熱は衰えることがなかった。
一方、ワーグナーはライプツィヒ警察署書記であった父カールと、パン職人の娘である母ヨハンナの間に生まれた。一見、音楽とは無縁の一家にも思えるが、父親は熱狂的な演劇ファンで、同時代人シラーを崇拝していた。芝居好きが高じてアマチュア劇団の舞台にも立ったことがあるというから、そう聞けばなるほど血は争えないという気もする。
ワーグナーが母方の血を受け継いで、偉大なパン職人にならなかったのは、音楽ファンにとって幸運だったというほかない。
第1回「オペラの死に様」 | 第2回「ベストカップルはだれだ?」 |
第3回「親の顔が見たい」 |
第4回「おまえはもう死んでいる」 | 第5回「長いものには巻かれたい」
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