JOURNAL
ハルサイジャーナル
「シンフォニック」を越えて――ヤノフスキ、作曲家晩年の宗教作品を指揮する

東京春祭ワーグナー・シリーズ vol.15 《トリスタンとイゾルデ》より(東京・春・音楽祭2024)(C)平舘 平
「これは、合唱とソリストのデコレーションをともなった交響曲ですよ。」
マレク・ヤノフスキが、ベートーヴェンの《ミサ・ソレムニス》について問われて返した答えである。2021年、ドレスデンで持たれたインタビューより引いた。デコレーションなどというと、「ただのお飾り」のようにも取れ、なんとも大胆な発言に聞こえよう。だが眼目は、「交響曲」のほうにあるはず。彼の指揮ぶりを聴き、見ていると、つくづくそう思う。
たとえば、《ミサ・ソレムニス》の第2曲〈グローリア〉。テンポが頻繁に変わるこの曲最後の指定は、プレスト、すなわち「急速に」。ここでヤノフスキは、ほんとうに、これ以上ないほど速く振る。あのフルトヴェングラーが指揮する《第9》の最後、オーケストラだけによる後奏は、あわや空中分解かというほど速くて有名だが、あれに迫る勢いだ。
《第9》と〈グローリア〉のここは、拍子こそ違えど(こちらは4分の3拍子)、どちらもニ長調。しかも同じ後期の作品である。ここもやはり管弦楽による「炸裂する歓喜」であるのだと、ヤノフスキは理解したのではないか。合唱が「天のいと高きところ神に栄光あれ」と歌っているが、文句そのものが聞こえなくとも構わないのだと。その限りで、これも「交響曲」なのだと。そういえば、かのワーグナーも、論文『ベートーヴェン』(1870年)の中で、《ミサ・ソレムニス》の歌唱声部は「完全に人間楽器として扱われる」と書いていた。

The 20th Anniversary ワーグナー『ニーベルングの指環』ガラ・コンサート登壇直前、舞台袖での一枚 ©高嶋ちぐさ
そのワーグナーが創作した生涯最後の舞台作品こそ、《パルジファル》である。つまりヤノフスキは、今回、東京・春・音楽祭で、ベートーヴェンとワーグナー、それぞれ晩年の重要作品を指揮するわけだ。御年86の身で……。こうなると、傍からは「枯淡の境地」などといったことを、つい期待しがち。しかし、ヤノフスキの場合、上に見たとおり、そこからはきっぱりと遠い。 《パルジファル》に関しては、バイロイト音楽祭で一回だけ指揮したときの話が参考になるだろう。
それは2017年8月5日のこと。予定されていたハルトムート・ヘンヒェンが病気で降板し、急遽、同祭で《ニーベルングの指環》を担当していたヤノフスキが代役を務めたのだが、これがまた際立ってテンポの速い演奏だったのである。なんでも、バイロイト史上最短の《パルジファル》となった1967年のピエール・ブーレーズより、「6分だけ長かった」とのこと。第1幕にかかった時間は96分。なるほど、117分間をかけた1951年のハンス・クナッパーツブッシュなどと比べると、同じ作品かと目を疑う数字だ。
もっとも、計測時間だけで音楽の中身が分かるわけではない。ヤノフスキの《パルジファル》は、彼がこれまでに東京・春・音楽祭で指揮したワーグナー作品が常にそうであったように、対位法を活かしたギッシリ・くっきりした響きと、明確な律動と、感傷に陥らない抒情とに貫かれたものとなるだろう。物理的計測値が示唆する内実は、そこにある。

東京春祭ワーグナー・シリーズ vol.15《トリスタンとイゾルデ》より(東京・春・音楽祭2024)(C)平舘 平
ヤノフスキは、いわゆる劇場たたき上げの指揮者。若い時分に「オーケストラピット」で経験を積んだことを誇りとしており、折に触れ、そのことを言う。筆者にも、かつて次のように語ってくれたことがある。
「舞台上には、声の調子がよい人、そうでない人、演技がうまい人、そうでない人、いろいろな者が混じっているでしょう。合唱だっている。そこで音楽的にベストなバランスを作らなければならない。場合によっては、オーケストラをぐっと抑えますよ。そうしたことを瞬時に察知して、具体的な対処に出る。この能力はピットでしか学べないものです。」
この弁からも、ヤノフスキがオペラに取り組むときであっても、まずは「音の織物たる音楽」を最重要視していることが分かるだろう。文学的教養も豊かな人であり、当然、テクストのことも念頭にある(だからこそ、演出のありかたに対しても厳しい)。けれども、指揮者として、なによりも「交響的」な面に気を配るのだ。
マレク・ヤノフスキは、ことほどさようにシンフォニックで、枯れることを知らない。それでもなお、今回、おのおのの作曲家の思想的集大成ともいうべき作品を取り上げる点は、気になるところ。いずれもキリスト教文化と深く結びついた作品であり、しかも、キリスト教の「正道」から外れているともみなせる作品だけに、なおさらである。

The 20th Anniversary ワーグナー『ニーベルングの指環』ガラ・コンサートカーテンコールで笑顔を見せるマエストロ (C)平舘 平
ミサとは、イエス・キリストの「最後の晩餐」を象徴的に再現する、カトリック教会の典礼であり、音楽は本来、それに仕えねばならない。ところがベートーヴェンの《ミサ・ソレムニス》は、そうした実用面を越えてしまっている。平和を祈る〈アニュス・デイ〉では、戦争の恐怖を音楽化しているくらいだ。いっぽう《パルジファル》にも、ミサに相当する「愛餐」の場面があるが、そもそもこの場が紛糾しているという状況(アムフォルタスの孤立)から物語は始まっている。その意味で、制度としてのキリスト教を暗に批判した作品とも取れるのだ。
ヤノフスキは、いま、宗教と音楽ということで、何を想っているだろうか?
個々人の信仰の有無、あるいはその姿勢といったことは、外部の者がみだりに詮索してよいものではないし、ヤノフスキ自身、そのようなことをみだりに口にする人ではない。ただ一つ、彼が「シンフォニックな音の綾」だけをみて音楽をしているのではないことは、明らかと思われる。その点を示唆する発言を、最後に紹介しておこう。これは別の宗教作品(ブルックナーの《ミサ曲》第2番)についてのコメントだが、何げないようでいて、まことに聞き捨てならない。
「この作品からは、とても深い印象を受けますね。その印象というのは・・・・・・いや、ここで“宗教的な感情”と言うのはやめておきましょう。人間の魂が、テクストと音楽をとおして、スピリチュアルな何かに開かれてゆく。こう表現しておきましょう。」(2019年、ベルリン・フィル客演時のインタビューより)
これ以上、贅言を費やすのはやめておこう。あとはもう、春の公演を待つだけだ。
関連公演
東京春祭ワーグナー・シリーズ vol.16
《パルジファル》(演奏会形式)
日時・会場
2025年3月27日 [木] 15:00開演(14:00開場)
2025年3月30日 [日] 15:00開演(14:00開場)
東京文化会館 大ホール
出演
指揮:マレク・ヤノフスキ
アムフォルタス(バリトン):クリスティアン・ゲルハーヘル
ティトゥレル(バス・バリトン):水島正樹
グルネマンツ(バス):タレク・ナズミ
パルジファル(テノール):ステュアート・スケルトン
クリングゾル(バス):シム・インスン
クンドリ(メゾ・ソプラノ):ターニャ・アリアーネ・バウムガルトナー
第1の聖杯騎士(テノール):大槻孝志
第2の聖杯騎士(バリトン):杉浦隆大
第1の小姓(メゾ・ソプラノ):秋本悠希
第2の小姓(メゾ・ソプラノ):金子美香
第3の小姓(テノール):土崎 譲
第4の小姓(テノール):谷口耕平
クリングゾルの魔法の乙女たち
第1の娘(ソプラノ):相原里美
第2の娘(ソプラノ):今野沙知恵
第3の娘(メゾ・ソプラノ):杉山由紀
第4の娘(ソプラノ):佐々木麻子
第5の娘(ソプラノ):松田万美江
第6の娘(メゾ・ソプラノ):鳥谷尚子
アルトの声(メゾ・ソプラノ):金子美香
管弦楽:NHK交響楽団
合唱:東京オペラシンガーズ
合唱指揮:エベルハルト・フリードリヒ、西口彰浩
音楽コーチ:トーマス・ラウスマン
曲目
ワーグナー:舞台神聖祝典劇《パルジファル》(全3幕/ドイツ語上演・日本語字幕付)
上演時間:約5時間(休憩含む)
チケット料金
S:¥27,000 A:¥22,500 B:¥18,500 C:¥15,000 D:¥12,000 E:¥9,000
U-25:¥3,000

東京春祭 合唱の芸術シリーズ vol.12
ベートーヴェン《ミサ・ソレムニス》
日時・会場
2025年4月4日 [金] 19:00開演(18:00開場)
2025年4月6日 [日] 15:00開演(14:00開場)
東京文化会館 大ホール
出演
指揮:マレク・ヤノフスキ
ソプラノ:アドリアナ・ゴンザレス
メゾ・ソプラノ:ターニャ・アリアーネ・バウムガルトナー
テノール:ステュアート・スケルトン
バス:タレク・ナズミ
管弦楽:NHK交響楽団
合唱:東京オペラシンガーズ
合唱指揮:エベルハルト・フリードリヒ、西口彰浩
曲目
ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲) ニ長調 op.123
チケット料金
S:¥17,500 A:¥15,000 B:¥13,000 C:¥11,000 D:¥9,000 E:¥7,000
U-25:¥3,000
