JOURNAL

連載《ワルキューレ》講座

~《ワルキューレ》、そして『リング』をもっと楽しむために vol.4

音楽ジャーナリスト、宮嶋極氏による恒例のオペラ鑑賞講座。今年度は、ワーグナーの『ニーベルングの指環』(通称『リング』)の第1日《ワルキューレ》をより深く、わかりやすく紹介していきます。今年度の最終回となる連載第4回では、第3幕を解説します。

文・宮嶋 極(音楽ジャーナリスト、スポーツニッポン新聞社 マルチメディア事業本部長)


 「東京春祭ワーグナー・シリーズ」で上演される楽劇《ワルキューレ》のステージをより深く楽しんでいただくために、物語と音楽を同時並行的に追いながら、ワーグナーがそこに込めたメッセージについて考えていきます。第4回となる本稿では、『ニーベルングの指環(リング)』前半のクライマックスとなる第3幕を前奏から順に紐解いていきます。台本の日本語訳は、日本ワーグナー協会監修 三光長治/高辻知義/三宅幸夫/山崎太郎 翻訳「ワーグナー 舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』 第1日 ヴァルキューレ」(白水社)を、譜面はドーバー社刊のフル・スコアとショット社版のピアノ&ボーカル・スコアを参照しました。なお、原稿中で紹介するライトモティーフ(示導動機)の呼称については、上記翻訳を参考にしつつ、より分かりやすい名称で表記します。また、譜例の整理番号は、《ワルキューレ》全3幕を通して共通のものとします。さらに本作のみならず『ニーベルングの指環』全体で頻繁に登場する重要動機については、譜例に☆印を付けていきます。

第3幕

[前奏曲]

2013年からバイロイト音楽祭で上演されているフランク・カストロフ演出による『リング』より《ワルキューレ》第3幕「ワルキューレの騎行」の場面
© Bayreuther Festspiele / Enrico Nawrath

 「ワルキューレの動機」☆(譜例21)を展開させながら空飛ぶ馬に跨り、8人の天駆けるワルキューレたちの動きを活写した「ワルキューレの騎行」の音楽。ワーグナーの作品の中でも特に有名な曲のひとつである。テレビのバラエティ番組などでもBGMとして使用されるほどのポピュラリティーの高さではあるが、実際の舞台上演におけるこの場面の効果は絶大である。金管楽器が「ワルキューレの動機」を反復する中、木管楽器は入れ替わりながら16分音符(譜例29)で絡み合う。木管が奏でるこの16分音符は、天駆けるワルキューレたちが風を切る音と解釈することもできる。上昇下降が繰り返される弦楽器のアルペッジョ(譜例30)は、高速で空中を上下するワルキューレたちの動きそのものであろう。重構造の音楽によって物語の中の人物や事象の状態を生き生きと描き出す。これこそワーグナーの作曲技法のひとつのスタイルを象徴した音楽といえる。

 ちなみに基軸となる調性はロ短調(h-moll)で、響きにくく暗い雰囲気を醸し出す調とされる。バッハの《ロ短調ミサ曲》、シューベルトの交響曲第7番《未完成》、チャイコフスキーの交響曲第6番《悲愴》などの名曲がこの調で書かれている。大オーケストラを全開にしてエネルギッシュな音楽を奏でさせるワーグナーの手法は、この調の取り扱い方としてはある意味、斬新なのかもしれない。「活発に」との指示が記されたオーケストラのみの前奏は44小節と短く、そのまま第1場へと突入していく。

譜例㉑

譜例㉙

譜例㉚

[第1場]

 ワルキューレたちは戦いで死んだ戦士の中から真の勇者を選び、天上のヴァルハラ城に運び、再び命を与えてその防備に当たらせる、という任務を遂行しているのだが、演出によってはゾンビのような遺体が舞台上に現れたりすることもある。「トーキョー・リング」と呼ばれたキース・ウォーナー演出による新国立劇場のプロダクションでは、病院の救急病棟という設定に読み替えられ、ワルキューレたちはストレッチャーを押しながら遺体や負傷者を慌ただしく運んでいた。

 この場面が大きな効果を発揮する理由はもうひとつある。《ラインの黄金》から《ワルキューレ》第2幕の終わりまで、多くの人物が同時に声を合わせる場面はなく、ここに来て初めて大編成オーケストラのトゥッティ(全奏)に乗せて8人のワルキューレたちが声を張って重唱を聴かせるのである。聴覚的にもその効果は抜群で、ワルキューレたちの存在感がいやが上にも増すわけだ。8人のワルキューレたちはリーダー格であるブリュンヒルデがいないことに気付き、彼女を待つ。

 ワルキューレたちが待つ岩山に、ブリュンヒルデが息を切らして戻ってくる。彼女が伴っていたのは、勇者ではなく悲しみにくれる1人の女性(ジークリンデ)だった。ブリュンヒルデは妹たちに、自分は父の命令に背いたため追われていることを明かし、自分と連れてきた女性を助けてほしいと頼む。神々の長であるヴォータンに背いたとの言葉に妹たちは恐怖におののく。

 そんなやり取りを聞いていたジークリンデは、庇うように抱きしめたブリュンヒルデの手を振りほどき、「私のことでそんなに気を揉まないで。ジークムントが死んでしまった今、自分も生きている意味はないので殺してほしい」と言い出す。ブリュンヒルデは、ジークリンデがその胎内にジークムントの子どもを宿していることを告げる。木管の刻みに乗せてホルンとのユニゾンでブリュンヒルデの「こよなく崇高な英雄」と語るくだりの旋律は「ジークフリートの動機」☆(譜例31)である。その背景には「ノートゥング(剣)の動機」☆(譜例15)。ヴォータンが次第に近付いてくる中、生への意欲を取り戻すジークリンデ。ブリュンヒルデは、東の森の中では大蛇に変身したファフナーが指環を守っているため、さすがのヴォータンもそこだけは敬遠して近付かないことを教える。さらに先に集めたノートゥングの破片を渡し、胎内の子がいつの日か、この剣を鍛え直し、それを振るうであろうことを予告する。そして勝利への願いを込めて、子どもにジークフリートという名を与える。

譜例⑮

譜例㉜

[第2場]

 ジークリンデと入れ替わるように怒りを爆発させたヴォータンが現れる。ワルキューレたちは、姉を庇おうとするが、「不機嫌の動機」(譜例22)が強奏され、ついにブリュンヒルデ自ら父の前に進み出る。ヴォータンは「死の告知の動機」(譜例27)とともに自らの命に背いたブリュンヒルデへの処罰を宣告する。それはブリュンヒルデをワルキューレから除名した上にその神性も奪い去る、という厳しいものだった。さらに無防備となったブリュンヒルデを岩山の頂上に眠らせ、最初に目覚めさせた人間の男のものとする、とまで告げると、ブリュンヒルデは絶望に打ちひしがれ、妹たちはクモの子を散らすように逃げていく。遠ざかっていくような「ワルキューレの動機」が妹たちの去っていく様子を表現している。

譜例㉒

譜例㉗

[第3場]

 ヴォータンとブリュンヒルデだけがその場に残る。ブリュンヒルデは、自分が命令に背いたのは、父の本当の気持ちを汲んだためであり、逆らう意思はまったくなかったこと、そしてジークムントの愛に心を動かされたことを切々と訴える。ヴォータンの気持ちは次第に愛娘への愛情に動かされ始める。ブリュンヒルデは最後の、そしてたったひとつの願いとして、無防備となって眠る自分の周りを燃え盛る炎で囲み、真の勇者しか近付けないようにしてほしいと懇願する。この願いを聞き入れたヴォータンは、ブリュンヒルデの瞼に口づけし、神性を奪った上で「まどろみの動機」と(譜例33)ともに眠りに落ちた彼女を優しく横たえる。「ワルキューレの動機」が全オーケストラで高らかに奏され、ここから先は「ヴォータンの告別」と呼ばれる『ニーベルングの指環』前半のハイライト。ブリュンヒルデの思い出をしみじみと語るヴォータン。父親としての愛情にあふれたシーンだ。「運命の動機」(譜例26)に続いて、「槍の動機」☆(譜例23)が現れ、ヴォータンは槍で3度岩山を突いて火の神ローゲを呼び出し、岩山の頂上を炎で包ませる。この場面は「魔の炎の音楽」とも呼ばれる。この時、ローゲは舞台上に姿を現すことはないが、「ローゲの動機」(譜例34)、「炎の動機」(譜例35)がその存在を表す。ヴォータンは槍を天に振り上げて「この槍の穂先を恐れる者は、決してこの炎を越えてはならない」と宣言する。この旋律も「ジークフリートの動機」。

2013年からバイロイトで上演されている『リング』より《ワルキューレ》第3幕のラストシーン
© Bayreuther Festspiele / Enrico Nawrath

バイロイト音楽祭で2006〜09年まで上演されたタンクレート・ドルスト演出の『リング』より《ワルキューレ》第3幕のラストシーン。写真は09年の公演
© Bayreuther Festspiele / Enrico Nawrath

譜例㉝

譜例㉖

譜例㉓

譜例㉞

譜例㉟

 ちなみにこの場面では、バイロイトをはじめ読み替え演出が当たり前となっているヨーロッパの歌劇場のプロダクションでも、大抵、本物の火が使用されることが多い。

 ヴォータンの言葉に続いて金管楽器のトゥッティで「ジークフリートの動機」が輝かしく反復され、ブリュンヒルデを目覚めさせることが出来るのは、ジークフリートであることを明快に示す。この長い物語のもうひとりの主役である英雄ジークフリートの登場への期待をにじませながら、音楽が次第に穏やかに収束して第1夜の幕が閉じる。

 ここまで《ワルキューレ》の物語と音楽を同時並行的に追いながら詳しくご紹介してきました。本稿が皆さまの鑑賞に少しでもお役に立てたとしたら幸いです。ワーグナー作品上演の総本山であるバイロイト音楽祭でも、2016年から《リング》を指揮することが決まったマレク・ヤノフスキ指揮によるNHK交響楽団の演奏で、その真価をお楽しみください。

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