HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2013/02/01

連載《マイスタージンガー》講座~《マイスタージンガー》をもっと楽しむために vol.3

音楽ジャーナリストの宮嶋極氏による、《ニュルンベルクのマイスタージンガー》鑑賞講座の第3回。今回は、様々な人間模様が交錯する「第2幕」を詳しく見ていきます。


文・宮嶋 極(音楽ジャーナリスト、スポーツニッポン新聞社文化社会部長)

 マイスタージンガーになるための資格試験に失敗した騎士ヴァルター。婚約者に名乗りを上げることが出来なかったことでエファへの想いをますます募らせ、ついに2人で駆け落ちすることを企てる。夜陰にまぎれてニュルンベルクの町を後にしようとする2人の前にあのハンス・ザックスが立ちはだかる――。「東京春祭ワーグナー・シリーズ」において演奏会形式で上演される楽劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》のステージをより深く楽しんでいただくためのWeb解説、その3回目は、物語が活発に動き出す第2幕を詳しく紹介していきます。なお、台本の日本語訳については、国内の公式翻訳である日本ワーグナー協会監修 三宅幸夫/池上純一編訳『ワーグナー ニュルンベルクのマイスタージンガー』(白水社)を、譜面はドーバー社刊のフル・スコアとPETERS版のピアノ&ボーカル・スコアを参照しました。

第2幕

【第1場】

 「活発に、しかし速すぎないように」と指定された前奏。「聖ヨハネ祭の動機」(譜例21)を基にしたこの前奏は、トリルやグリッサンドを巧みに取り入れて、祭りの前の華やいだ雰囲気を表現している。フルステージ上演では、幕が開くと舞台はヴァルターの資格試験が行われた日の夕刻、小路に続くニュルンベルクの街並みが設えられている。下手にはニワトコの木が繁るザックスの家、上手はポークナーの家で、前には菩提樹が生えている。ダフィトら徒弟たちが各戸の窓に鎧戸を閉め戸締りをしている。そこにマクダレーネが出て来て、ダフィトに昼間の資格試験の顛末を尋ねる。ヴァルターがマイスタージンガーになれなかったことを知ったマグダレーネは落胆し、ダフィトへの差し入れを渡すのも忘れて、ポークナー家に戻ってしまう。徒弟たちがダフィトとマクダレーネの仲を冷やかしていると、そこにザックスが現れ、浮かれ気味のダフィトをたしなめて、連れ立って仕事場に入っていく。

譜例21

【第2場】

 入れ替わるようにポークナーとエファが散歩から帰ってくる。ポークナーも昼間の出来事が気にかかるのか、ザックス家の窓を覗くが、彼を訪ねるのは躊躇してしまう。結局、父娘は菩提樹の木の下のベンチに並んで腰掛け、2人で話し始める。「心地よい夕暮れのなんとやさしいこと...」。ポークナーの言葉の背景では、木管楽器から弦楽器へと受け継がれる形で「ニュルンベルクの動機」(譜例29)が演奏される。「お父さま、どうしてもマイスターじゃないと駄目?」と自身の結婚相手の条件について尋ねるエファ。盛んに昼間の試験結果を気にする娘の様子に、ポークナーはエファがヴァルターに恋心を抱いていることに気付く。そこにマクダレーネが家から出てきて、エファにザックスなら試験結果を教えてくれるのではないか、とアドヴァイスする。ザックスの名前を聞いたエファの背景でクラリネットが「エファの動機」(譜例30)を奏でる。

譜例29

譜例30

【第3場】

 部屋着に着替えたザックスが再び姿を見せ、仕事場の外の作業台で仕事を続ける。オーケストラは「靴屋の動機」(譜例17)を繰り返す。ダフィトが家に戻ると、ザックスはしばし物思いにふける。ヴァルターが試験の際に歌った旋律(譜例28)が穏やかに回想される中、ザックスの胸中を表わした有名な「ニワトコのモノローグ」(譜例31)が始まる。ザックスの頭の中からはヴァルターの歌が離れない。初めて聴いた新しい響き、それを創作した青年騎士ヴァルターのことをすっかり気に入ってしまったことを自分の中で改めて確認する。98小節に亘るこのモノローグは見事な展開をみせ、清々しい雰囲気を湛えて締め括られる。コンサートでも単独で取り上げられることの多い名曲である。


譜例17


譜例28


譜例31

【第4場】

 エファが通りに現れ、おずおずとザックスの仕事場に近付いてくる。「マイスター、今晩は」との声にザックスは少し驚く。ここでクラリネットが奏でる優しい旋律が「優美の動機」(譜例32)。エファはヴァルターの試験結果が気になって仕方がない。それをザックスから聞き出そうと訪れたのだが、恥ずかしさもあってストレートにその思いを口には出せないでいた。一方のザックスは薄々感づいたものの、わざとはぐらかすように冗談を交えながら話を逸らす。2人の微妙のやり取りからは、両者の間(特にザックスの心中)には単なる親愛の情を超えた想いがあることが窺える。エファがようやく、ヴァルターが不合格に終わったという試験結果を聞き出したところで、マクダレーネが迎えにやって来る。父ポークナーがエファを探しているというのだ。オーケストラからは「靴屋の動機」、「ヴァルターの動機」(譜例23)などが次々と現われる。さらにマクダレーネは、ベックメッサーがエファへの求愛のセレナードを歌うために夜間に家の窓の下に忍んで来ることを伝える。エファはマグダレーネに、ベックメッサーが来たら自分の代わりに窓辺に立つようにと告げる。モーツァルトの《ドン・ジョヴァンニ》を思い出させる設定だ。家の中からはポークナーが娘を探す声が聞こえてくる。


譜例32

譜例23

【第5場】

 「ヴァルターの動機」に導かれるように向こうの角にヴァルターの姿が見えると、エファは「あの方よ!」と声を弾ませ、マクダレーネの制止を振りきって彼に駆け寄っていく。情熱的に自らの想いを告白するエファ。オーケストラは「エファの動機」を何度も繰り返す。エファの激励に対して、ヴァルターは規則に拘泥されるマイスターたちの保守的な態度に失望したこと、よって自分はマイスターになれないのでポークナーの宣言に従えば、エファへの求婚の資格を得ることもできないとの落胆を吐露する。エファは婚約者を最終的に決めるのは自分の意思だと励ますが、ヴァルターは聞く耳を持たず、ニュルンベルクの町から2人で駆け落ちすることを提案する。マイスターらを批判する自分の言葉に興奮したヴァルターは「こんな辱めを受けるのなら、いっそあいつらを真一文字にぶった切ってやる!」と大声で叫ぶと、町には夜警の吹く角笛の音(譜例33)が響き渡る。これをきっかけに角笛のFisを主音とするFis-dur(嬰ヘ長調)の下属調であるロ長調に転じて、「夏至の魔力の動機」(譜例34)がホルンの持続音に乗ってヴァイオリンで奏でられる。ロ長調は弦楽器にとっては開放弦で弾ける音が少なく、豊かな響きが得にくい調とされる。そうしたくすんだ響きから「絶望的な性質を持っている」ともいわれ、ヴァルターの心中を代弁したとも解釈できる。しかし、そうした"くすみ"が夜陰に紛れてのヴァルターとエファの情熱を密やかな抒情を湛えて描き出す絶妙の効果を生んでいるとも解釈することが可能であろう。ここもワーグナーの調性コントロールの高等テクニックが光る場面といえよう。ちなみにロ長調で書かれた名曲は少ないとされているが、探してみるとベートーヴェンの「幻想曲」、ヴェルディの《リゴレット》第3幕の有名なアリア「女心の歌」、ドヴォルザークのスラブ舞曲作品72の第1番、美空ひばりの「愛燦燦」などがあった。

譜例33

譜例34

 夜警の角笛に興奮が頂点に達したヴァルターは、腰の剣を抜いて虚空を斬りつける。エファはマクダレーネに促されていったん家に戻る。そこに夜警が姿を現し午後10時を過ぎたことを告げ、戸締り火の用心に加えて「どちらさまも、つつがなく主なる神を讃えませ」と呼びかけた上で再び夜の闇に姿を消す。扉の向こうでヴァルターとエファのやり取りを聞いていたザックスはランプの灯りを落として、ドアを少し開け外の様子に注意を怠らない。

 そこにマクダレーネと服を取り替えたエファが戻って来る。いよいよ2人で駆け落ちしようというのだ。ザックスは若い2人の軽挙を阻止するために、わざとランプの灯りを明るくしてドアを開け放ち、闇に紛れて進もうとする行く手を煌々と照らし出す。味方だと信じていたザックスの思わぬ妨害にヴァルターは驚きを禁じ得なかった。オーケストラからは「靴屋の動機」と「リュートの動機」(譜例35)が連続して奏でられ、2人の駆け落ちを妨害する2つのファクターが暗示される。

譜例35

【第6場】

 ベックメッサーが小路に姿を現し、リュート(ラウテ)の調弦を始める。この音を聞いたザックスは再び灯りを暗くして、扉の下半分を開けて様子を窺う。ベックメッサーの出現に昼間の出来事を思い出したヴァルターはますます興奮し、彼を襲撃しようとするが、エファに止められる。そうこうしているうちにいつの間にかザックスが仕事机を扉の際まで持ち出して静かに仕事を始める。そんな3人の動向にまったく気付いていないベックメッサーは、ポークナー家の窓の下まで進み出て、リュートをかき鳴らしてセレナードを歌おうとした矢先、ザックスのハンマーの音があたりの闇を切り裂く。

 「靴屋の動機」に乗せて「イェールム!イェールム!ハラハロヘー...」(譜例36)という掛け声とともに大声で歌い始めるザックス。その歌詞は聖書のアダムとイブ(エファ)の楽園追放を茶化しながら、エファの軽はずみな行動を強く戒めた内容となっている。何も知らないベックメッサーは肝をつぶし「こんな夜更けにお仕事ですか?」とザックスに詰め寄る。口うるさいベックメッサーのために明朝までに靴を仕上げなければいけないと嫌味タップリに返したザックスは歌を続ける。エファはようやくザックスの歌が自分たち2人とベックメッサーの行動を妨害するためのものだと分かり、心が痛む。


譜例36

 ベックメッサーは騒々しい歌を何とか止めさせようとするのだが、ザックスは「靴を仕上げないといけない」などと言を左右にしてさらに歌い続け、エファの心にはますます後ろめたい思いが募っていく。ベックメッサーはポークナー家の窓のことも気になって仕方がないのだが、ザックスの妨害で気の利いた歌詞のひとつも思い浮かべることも出来ないまま焦るうちに、エファに変装したマクダレーネが窓辺に姿を現す。歌を止めてくれと懇願するベックメッサーに対してザックスは、ベックメッサーの歌に間違いがあれば、資格試験でチョークの音を鳴らすのと同じく靴の底をハンマーで叩いて知らせるようにすれば、自分の仕事も捗り一石二鳥だと妙な提案をする。考えるゆとりすらないベックメッサーはとにかくこの提案に乗り、ザックスの「始め!」という試験と同じ号令とともにようやくセレナードを歌い始める。ベックメッサーは窓辺の女性がエファだと思い込んでいる。

 「見よ、朝日が輝きを放ち心地よく我を照らす」と始まるこのセレナード(譜例37)は、因習的なベルカント・アリアをパロディ化したように書かれており、不規則なリズムとセレナードに似つかわしくないホ短調の響きが聴く者の笑いを誘うよう作られている。ちなみにホ短調は、ギターのフレットを押えずに開放弦でそのまま爪弾いた際の響きで、哀愁や悲しみなどを表現するのに適した調といわれている。ハイドンの交響曲第44番《悲しみ》、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の第1楽章、スメタナの交響詩《モルダウ》などがこの調で書かれている。


譜例37

 本来は甘い調子で歌われるはずの求愛の場面で漂う哀愁。ここでのベックメッサーの姿には、ワーグナーの芸術に対する批判の急先鋒であった批評家エドゥアルト・ハンスリックの存在が重ね合わされているといわれ、ザックスがハンマーを打ち鳴らす行為には、ワーグナー自身の反対派に対する反撃の意思が込められている。「伝統と革新」「規則と独創」という本作全体のテーマが喜劇的なタッチの中にも強烈な皮肉を込めて示された場面である。

 さらにこのセレナードについては、ユダヤ教会のカントール歌唱のパロディと解釈する説もあり、こうしたところにも本稿第1回で紹介した《マイスタージンガー》という楽劇の"問題作"としての要素を垣間見ることができる。

 昼間と立場が逆になったベックメッサーは、ザックスの打つハンマーの音に悩まされながらも、窓辺の女性が引き揚げてしまわないうちに歌い終えようと必死になる。いささか悪乗り気味のザックスはハンマーを打ち続け、歌の3番に差しかかったところで「これで完成!」と靴を高々と掲げてみせる。ベックメッサーもこれに負けまいと声を張り上げる。

 この騒ぎにダフィトが目を覚まし、窓から顔を出すと、ポークナー家の窓辺には恋人のマクダレーネがいて、その下でベックメッサーが求愛の歌を歌っている様子を目にして血相を変える。町の人々も目を覚まし各家の窓が一斉に開く。

【第7場】

 こん棒を手に家から飛び出してきたダフィトは、ベックメッサーに襲い掛かる。逃げようとするベックメッサーをダフィトは、その襟首を掴んで放さない。町の人たちも外に飛び出してきて、理由も分からないまま大乱闘に発展していく。ヴァルターとエファは菩提樹の木陰でこの様子を不安げに傍観するしかなかった。ザックスは灯りを消して家に戻るが、扉を少しだけ開けてヴァルターたちの様子を見守っていた。

 大勢の人が入り乱れての乱闘シーンだが、それぞれが同時にいろいろなことを叫んでいる。ここの音楽は、先ほどのベックメッサーのセレナードの旋律を基にした10以上の声部が同時に組み合わされた極めて複雑な対位法によって作られている。ここで登場する新たな動機としては「殴り合いの動機」(譜例38)などがある。演奏上の難易度がとても高く、以前は声部を整理して簡略化して演奏されたこともあったほどだ。


譜例38

 混乱が頂点に達した時、午後11時を知らせる夜警の角笛が響きわたり、女たちが窓という窓から水をぶちまけた。人々はようやく冷静さを取り戻して、三々五々家へと戻っていく。この機を待っていたかのように飛び出してきたザックスは、気を失いかけていたエファをポークナーに引渡し、興奮冷めやらぬダフィトに蹴りを見舞って家に押し込めると同時に、ヴァルターの腕を掴んで自分の家に引き込む。

 ようやくダフィトの暴行から逃れることが出来たベックメッサーはよろよろと退散。夜警が現われて「魑魅魍魎にご用心。悪霊に魂を抜かれぬよう 主なる神を讃えませ」と呼びかけて去っていく。ファゴットによる伴奏は、半音階進行となっていることにも注目していただきたい。静かになった町の小路を満月の光が照らし出す。この幕を回想するかのように、ヴァイオリンが「夏至の魔力の動機」を、フルートが「殴り合いの動機」を、クラリネットがベックメッサーのセレナードの旋律を静かに演奏。ファゴットがもう1度、セレナードの旋律を繰り返すのに導かれるようにオーケストラのトゥティによる和音の強奏とともに幕が降りる。


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