HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2012/01/19

連載《タンホイザー》講座~《タンホイザー》をもっと楽しむために vol.3

音楽ジャーナリストの宮嶋極氏に《タンホイザー》をより深く、より分かりやすく紹介していただく本シリーズ。連載第3回は、第2幕を詳しく見ていきます。


■前奏
■第1場
■第2場
■第3場
■第4場


文・宮嶋 極(音楽ジャーナリスト、スポーツニッポン新聞社文化社会部長)


 第1幕で、ヴェーヌスの誘惑を振り切ってヴェーヌスベルクを脱出したタンホイザーは、親友のヴォルフラムらと会い、恋人エリーザベトが待つヴァルトブルクに戻ることを決意した。続く第2幕では物語の舞台をヴァルトブルクへ移し、多くの人物が登場して華やかな音楽劇へと発展していく。この幕は、第2場のタンホイザーとエリーザベトによる二重唱、終盤に繰り広げられるアンサンブルに代表される伝統的なオペラのスタイルが色濃く残されている部分である。しかし、歌合戦に先立つ殿堂への入場の大行進曲や歌合戦で騎士たちが披露する多彩な歌など、聴いていて(観ていて)ストレートに楽しめる場面であることも確かだ。こうした楽しみ方は楽劇へと進化していったその後のワーグナー作品では、なかなか体験できない種類のものであろう。ただし、聴き逃してはいけないのは、伝統的なスタイルに立脚しながらも、後の楽劇の手法へとつながる彼ならではの新たな試みが随所に隠されていることだ。本稿ではこれまでと同様に、物語と音楽を同時並行的に追いながら、ワーグナーならではの"新手法"をピックアップし、その意味合いについて探っていく。なお、台本の日本語訳については、オペラ対訳ライブラリー 高辻知義訳『ワーグナー タンホイザー』(音楽之友社)を、譜面はドーバー社刊のフル・スコアとPETERS版のピアノ&ヴォーカル・スコアを参照しました。



【第2幕】

■前奏

  木管楽器による6連符の軽やかな刻み(譜例①)によって始まる76小節にわたる前奏部分は、ト長調で書かれている。弦楽器が明るく朗々と鳴る調性であり、タンホイザーが戻ってきたことを喜ぶエリーザベトの弾むような気持ちが端的に表現された音楽だ。オーボエのソロに導かれるように24小節目からヴァイオリンが奏でる旋律は、第1幕の終わりに登場したエリーザベトの「殿堂のアリア」のメロディーと同一のもの。38小節目から弦楽器による3連符のせわしない上下行(譜例②)をきっかけに、音楽は一瞬の陰りを見せる。これは、エリーザベトの払拭しきれない一抹の不安感なのか、あるいは素直に喜ぶエリーザベトに対してヴェーヌスベルクでの過去に引っかかりを持つタンホイザーの心中を示したものなのだろうか。いずれにしても音楽は再び明るさを取り戻し、第2幕が開く。


譜例1


譜例2



■第1場

 ヴァルトブルク城内にある歌の殿堂の広間。前奏に続いてエリーザベトが「殿堂のアリア」(譜例③)を歌う。タンホイザーが戻ってきたことの喜びを、思い出の多い殿堂の中で情感タップリに歌い上げるアリアであり、この役にとっては最初の聴かせどころだ。途中、タンホイザーがいなくなっていた間の寂しさを歌うくだりでは、前奏同様、陰りを感じさせる音楽となる。


譜例3



■第2場

 ヴォルフラムに導かれてタンホイザーが殿堂に入ってくる。タンホイザーは勢いよくエリーザベトのもとに走り寄り、その足下に跪く。エリーザベトはタンホイザーに立つよう促した後、「これほどの長い間、いったいどこに行っていらしたの?」と尋ねる。第1幕4場でヴォルフラムが発したのと同じ問いである。とはいえ、このくだりにおけるエリーザベトの言葉は詰問調ではない。「愛の動機」とも呼ばれる旋律(譜例④)に乗せた、優しさを感じさせる歌となっている。エリーザベトの問いに呼応するようにヴァイオリンとヴィオラが奏でる8分音符の刻み(譜例⑤)は、半拍目から始まっていることに加えて、フォルティシモから一気にピアノにまで音量を急速に下げるディミヌエンドを伴っている。これはタンホイザーの心の"揺らめき"を表わしたものと捉えることが出来よう。似たような音型はこの幕の第4場でより顕著に表れる。

 タンホイザーは、おもむろに立ち上がり「ここから遠く離れた、はるかな国々にいました。厚い忘却の帳(とばり)が今日と昨日の間に降りています」と答える。ヴォルフラムへの答えとはニュアンスを異にするこの言葉、ヴェーヌスベルクの過去を隠したいがための方便なのか、それとも本当に思い出せないのか、この時点ではまだ分らない。もちろん、純真なエリーザベトにとってはヴェーヌスベルクでの不行状などは、想像すら出来ないことであろう。彼女が「では、あなたをここに連れ戻したのは、何だったのですか?」と重ねて尋ねると、タンホイザーは「奇蹟だったのです!」と言い切る。「奇蹟を讃えましょう!」と素直に喜ぶエリーザベト。2人の歓喜に満ちた二重唱に終盤でヴォルフラムも加わり、この場は締め括られる。これら一連のくだりは、先述したとおり伝統的なオペラのスタイルに依拠したものである。タンホイザーは、ヴォルフラムとともに殿堂を後にする。


譜例4


譜例5



■第3場

 エリーザベトひとりが残った殿堂に今度は領主ヘルマンが入ってくる。「この殿堂でそなたに会おうとは?」と驚くヘルマンにエリーサベトが駆け寄る。ヘルマンはエリーザベトの胸の内にある不安を見抜くが、深くは詮索せずにいたわりの態度で優しく接する。そこへ外からラッパの音(譜例⑥)が響き、ヘルマンは国中の貴族や貴婦人が集まっての盛大な歌合戦の開催を告げる。


譜例6



■第4場

 歌合戦を見学する貴族やその夫人ら、そして参加する歌手、騎士たちが続々入場してくる。譜例⑥と同じトランペットのファンファーレに導かれるように始まる有名な大行進曲の中に登場する主要な3つの旋律が表しているとみられる意味は以下の通り。
(1)力強さと荘厳さを表わす主題(譜面⑦)
(2)高貴で優雅な主題(譜例⑧)
(3)騎士をイメージさせる主題(譜例⑨)
であるが、いずれも後のライトモティーフのような役割は果たしていない。

 行進曲とともに入場してきた人々がそれぞれ定められた席に着くと、領主ヘルマンが立ち上がり、歌合戦のテーマを「愛の本質を究明できるか」に定め、「その問いを解き、最高の品位を込めて歌った者に、エリーザベトが賞を授与する」として、開会を宣言する。


譜例7


譜例8


譜例9

 エリーザベトが黄金の鉢に入れられた参加者の名札の中から1枚選ぶと、そこにはヴォルフラムの名前が記されていた。小姓たちの呼び出しに応じて進み出たヴォルフラムが一番手として歌い始める。「気高いこの一座を見渡せば」で始まるヴォルフラムの歌(譜例⑩)は、愛を清らかな泉になぞらえて賛美する内容。3節目の「光まばゆい空にかかる、ただひとつの星を仰ぎ見ると」の星とはエリーザベトを暗示したものであり、これは彼が第3幕で歌う有名なアリア「夕星の歌」の伏線となっている。貴族やその夫人たちからは「その通りだ!」と賛同する声が次々と上がる。


譜例10

 茫然とした様子で耳を傾けるタンホイザー。その時、オーケストラはバッカナールの旋律(第1幕を参照)を奏でる。これはタンホイザーに一瞬、ヴェーヌスベルクの記憶が蘇ったことを意味するもの。こうした旋律の使い方は、ライトモティーフの萌芽と位置付けることができよう。タンホイザーはヴォルフラムが愛を泉に喩えたことに同調しつつも、「熱く燃える渇望なしには、僕はそこに近づけない」と欲望を正面から捉えていないことを批判する。

 ドレスデン版では続いてヴァルターが立ち上がり、ヴォルフラム同様、清らかな愛を讃える歌を披露し、賛同の声に包まれる。しかし、またしてもタンホイザーは欲望に目を向けない愛など所詮はきれいごとに過ぎないという内容の歌で反論する。なお、改訂後のパリ(ウィーン)版では、これらヴァルターとのくだりはカットされている。

 このやり取りに怒りを隠しきれないビーテロルフが進み出て「さあ、俺たちと闘うがいい! お前の言葉を耳にして誰が平静でいられるか!」と怒気を込めながら、気高い愛の尊さを歌う。ここでは伴奏にトランペットやティンパニが加わることで、彼の気性の激しさとタンホイザーに対する敵意が表現されている。

 騎士や夫人たちから賛同の声が上がると、タンホイザーもカッとなって「いいか! 愚かなホラ吹きのビーテロルフ」とこちらも敵意を丸出しにする。「狼のように怒りっぽいお前が愛など歌うのか? お前の考える愛など、俺の享楽の対象にもならない」とビーテロルフをこき下ろす。一同の怒りがさらに高まり剣を抜いてタンホイザーに斬りかかろうとする者まで現われたため、ヴォルフラムが進み出て皆の怒りを鎮めようと「天よ、今こそ祈りを聞きとどけてください」と再び気高い愛について美しい旋律(譜例⑪)に乗せて歌う。


譜例11

 これに対してタンホイザーは、まるで何かにとり付かれたように恍惚となって、ついに「ヴェーヌスを讃える歌」(第1幕参照)を歌ってしまう。タンホイザーがヴェーヌスベルクにいたことが一同の知るところとなり、大きな衝撃が走る。

 婦人たちは逃げ出し、騎士らは剣を抜いて「地獄の沼に送り返してやれ!」とタンホイザーを殺そうとする。「やめてください!!」この大混乱を一瞬にして鎮めたのはエリーザベトの悲鳴にも似た叫びだった。

 「私は死など恐れない」と林立する剣の前に立ちはだかったエリーザベト。「彼から永遠の救いを奪うつもりなのか! 彼を裁くべきは残酷なあなたがたではない。清らかな乙女の言葉に耳を傾けてください! 私の言葉を通して、神のご意思を聴き取りなさい!」と敢然と言い放つ。人が変わったようなエリーザベトのこの姿は、《神々の黄昏》終幕のブリュンヒルデに通じるものがある。もはや現世の人間を超越し、神聖な存在へと変貌していると解釈できよう。身を挺して自らの命を救おうとするエリーザベトの言動に激しく心を揺さぶられるタンホイザー。その心の動きはヴィオラによるシンコペーションの刻み(譜例⑫)で表現されている。このくだりでのこれらの音型はすべてタンホイザーの心の声と捉えることができるはずだ。第2場では、タンホイザーの心中を表現した音型は半拍目から始まっているもののすべて8分音符であり、比較的安定しているのに対して、この場面ではシンコペーションのような不安定なリズムとなっており、タンホイザーの心理的動揺の大きさが表されている。それが最高潮に達した時、ヴィオラにヴァイオリン、チェロが加わり、その激しい刻み(譜例⑬)に導かれてタンホイザーは「なんて俺は情けない奴なんだ!!」と初めて後悔の念を口にする。ここからは重唱と合唱による伝統的なアンサンブルが展開されていく。この間、ヴィオラはタンホイザーの気持ちを表わす前述の刻みの音型を繰り返す。


譜面1と譜面2

譜面3

譜面4
 

譜面5

譜面6

譜面7

譜面8

譜例12


譜例13

 領主ヘルマンはタンホイザーをヴァルトブルクから追放することを宣言。エリーザベトは神に赦しを願って祈る。そこに若い巡礼たちの合唱が聞こえてくる。ローマに赴いて贖罪を果たそうと決意したタンホイザーは「ローマへ!」と叫び、一同もそれに唱和。タンホイザーが巡礼の列の後を追っていくところで、幕が降りる。「ローマへ!」の叫びの直前現われるヴァイオリンの上下行の音型(譜例⑭)は、前述の譜例⑤と同じリズムである。これもタンホイザーの心を表現したものと解釈することが可能であろう。ちなみにパリ(ウィーン)版では半音階進行を伴う、より複雑な旋律とリズム(譜例⑮)へと書き換えられている。


譜例14


譜例15



 次回は第3幕を詳しくみていきます。



~関連公演~

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