HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2013/03/24

連載《マイスタージンガー》講座~《マイスタージンガー》をもっと楽しむために vol.4

音楽ジャーナリストの宮嶋極氏による、《ニュルンベルクのマイスタージンガー》鑑賞講座もいよいよ大詰め。今回は、物語が大団円を迎える「第3幕」を解説します。


文・宮嶋 極(音楽ジャーナリスト、スポーツニッポン新聞社文化社会部長)

 深夜に繰り広げられた大乱闘の喧騒の中、ヴァルターはザックスの自宅に引き入れられ翌朝を迎えた。ザックスはヴァルターが見た夢をもとに歌作りの極意を教えていく。ヴァルターは歌合戦に勝利して、めでたくエファと結婚することができるのか? そしてそこに割って入ろうとするベックメッサーの運命は――。「東京春祭ワーグナー・シリーズ」において演奏会形式で上演される楽劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》のステージをより深く楽しんでいただくためのWeb解説、その4回目は、第3幕を詳しく紹介していきます。なお、台本の日本語訳については、国内の公式翻訳である日本ワーグナー協会監修 三宅幸夫/池上純一編訳『ワーグナー ニュルンベルクのマイスタージンガー』(白水社)を、譜面はドーバー社刊のフル・スコアとPETERS版のピアノ&ボーカル・スコアを参照しました。

第3幕

【前奏曲】

 64小節からなる第3幕への前奏曲はザックスの諦念を表現したもの。瞑想世界のような落ち着いた静けさの中に独特の深みを感じさせる素晴らしい音楽である。第1幕への前奏曲同様に演奏会でも単独で取り上げられることが多い。調性は変ロ長調(B-dur)で、クラリネットやファゴット、トロンボーンなどのBを基調とする管楽器が鳴りやすく、弦楽器も柔らかい響きを得やすいことから、荘厳、壮麗な雰囲気を出す際に使われることの多い調である。

 冒頭、チェロが奏でる旋律は「諦念の動機」(譜例39)。実はこの旋律、第2幕にザックスが靴を作りながら、駆け落ちをしようとするヴァルターとエファを牽制し、ベックメッサーの求愛を邪魔するために大声で歌った「靴作りの歌」第2節目の背後でオーケストラによる対旋律の形でさり気なく提示されていたものである。この「諦念の動機」は、対位法的に第2ヴァイオリン、そして第1ヴァイオリンへと受け継がれていく。15小節目の3拍目からホルンとファゴットによって演奏されるのが、第3幕後半、歌合戦の場面で歌われるコラール「目覚めよ、朝は近付いた」の旋律(譜例40)。ちなみにワーグナー自身による標題的注釈によると、この歌の歌詞は実在したハンス・ザックスがマルティン・ルターの宗教改革を讃えて書いたもので、これによりザックスは詩人としての名声を不動のものにしたのだという。この旋律も他の楽器に受け渡されたていく。さらに弦楽器が先述した第2幕、ザックスの「靴作りの歌」の一部を優美に演奏する。これは単に前夜の出来事を回想しているだけではなく、彼の眼差しの先に日常を超越した"高み"があることを表現したものといえよう。言い換えれば、ザックスの成熟ぶりが表わされているのである。再び「目覚めよ」の旋律がホルンで力強く回想された後、51小節目でオーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トロンボーン、弦楽器の強奏で「諦念の動機」に回帰し穏やかな雰囲気の中、幕が開く。


譜例39

譜例40

【第1場】

 幕が開くとステージには朝の陽光に照らし出されたザックスの仕事部屋のセットが設えられている。あまり広くない空間で、窓際にある肘掛いすに座ったザックスが膝に大きな本を抱えるようにして読みふけっている。

 木管楽器による「ダフィトの動機」(譜例14)に乗ってダフィトがやって来る。半開きの戸口から中を覗くと、ザックスが寝なかったのか座ったまま読書している姿に驚いて後ずさりしてしまう。前夜の喧嘩騒ぎのことで親方から叱られるのではないかとビクビクしていたダフィトは忍び足でコッソリと中に入っていくが、瞑想にふけっているザックスはまったく意に介さない様子。ダフィトがあれこれ話しかけてもザックスが無反応でいると、その背景でオーケストラが「諦念の動機」を繰り返す。しばらくするとザックスは読んでいた本をバタンと音を立てて閉じる。驚いたダフィトはよろめいてザックスの足下に跪く。

譜例14

 聖ヨハネ祭の朝ということでザックスはかねて練習していた祝詞を歌うよう指示する。前夜の騒ぎが脳裏に焼き付いているダフィトは、思わずベックメッサーの歌ったセレナードの旋律(譜例37)で歌ってしまう。すかさず木管楽器が「殴り合いの動機」(譜例38)を回想する。「何だ!」とザックスに一喝されたダフィトは、ようやく落ち着きを取り戻し「ヨルダン川のほとりに聖ヨハネが立ちて...」と正しく歌った(譜例41)ところで、ハンスという名前はヨハネ(ヨハネス)に由来するもので、この日が師匠の命名日であることに気付く。


譜例37


譜例38


譜例41

 ダフィトが部屋から出ていくと、チェロとコントラバスによる「諦念の動機」に導かれるようにザックスは「狂っている! 狂っている!」と「迷いのモノローグ」(譜例42)を歌い始める。ザックスはこの世のあらゆる営みは妄執に取りつかれており、欲望のために血を流し苦しめ合うのは無益なことであると嘆く。ニュルンベルクの町について思いを馳せるくだりでは、ティンパニの三連符に乗って「ニュルンベルクの動機」(譜例43)が現われ、それが次第に強く演奏されていくことで、ザックスの気持ちの高ぶりが表現されている。さらに妄執は愛についても同じで、昨晩の騒動を防げなかったことを後悔する。前夜の騒動を回想する場面では「殴り合いの動機」が再現されるが、それが頂点に達したところでハープと弦楽器が奏でる「夏至の魔力の動機」(譜例44)によって打ち消される。「ともあれヨハネ祭の朝が来た。ハンス・ザックスが妄執の手綱を取り、見事にもう一花咲かせることができるかどうか...」。ザックスは自分が妄執をコントロールすることで、より次元の高い行動をしようと決心する。ヨハネ祭に言及した部分では「ヨハネ祭の動機」(譜例45)がヴァイオリンによって高らかに演奏される。その後、「ヨハネ祭の動機」や「愛の動機」などが重層的に折り重なりながら、ハープのアルペッジョ(譜例46)によって転調し、モノローグは終結する。


譜例42


譜例43


譜例44


譜例45


譜例46

【第2場】

 ヴァルターが起きてきて、素晴らしい夢を見たと話す。ザックスは「人間の思いもよらぬ真実は夢の中にこそ姿を現すもの。(中略)きょうにもマイスターになるという夢のお告げに違いないのでは」と励まし、新しい詩を作るために見た夢の内容を話すよう求める。ヴァルターは前日、自分を全否定したマイスターたちに対していささか抵抗を感じながらも、ペンを手に夢の内容(詩)を書きとめようとするザックスに向かって話し始める。これが歌合戦でヴァルターが歌う有名な「朝はばら色の光に輝き」の基となる「朝の夢の歌」(譜例47)である。ヴァルターが最初の節を歌い終えたところで、ザックスは「それがシュトレン(A節)。気を付けてそっくり同じ型を続けなさい」とさり気なく歌の規則についてアドヴァイスする。こうしたやり取りを繰り返しながら、アプゲザング(B節)(譜例48)まで作り上げ、ひとつ目のバールを完成させていく。


譜例47


譜例48

 さて、ここでバール形式に基づくマイスターたちの歌の構造を簡単に説明しておこう。

 ソナタ形式の主題提示部的な節をシュトレン(A)と呼び、同じ旋律を2度繰り返す。展開部に相当するのがアプゲザング(B)で、これら「A+A+B」の3つの節によって構成されるセットをバールと呼ぶ。さらにこのバールが3セット揃って初めて歌の完成となるわけだ。

 決して自分の考えを押し付けることなく、優しく詩や芸術について伝授していくザックス。その言葉はワーグナー自身の芸術に対する哲学や基本思想にほかならない。さまざまな動機が交錯しながら彩りを添えていく音楽は美しく、温かさや穏やかさの中にもザックス(=ワーグナー)の揺るぎない信念を感じさせてくれる印象的なものである。

 第2バールまで完成させたところで、ヴァルターは歌の極意を習得したことを確信する。最後の第3バールについては、後ほど(第4場)エファの前で披露されることになる。オーケストラからは「ニュルンベルクの動機」が高らかに湧き起こり、2人は手を打ち合わせて着替えのため別室へと消えていく。

【第3場】

 誰もいなくなったザックスの仕事部屋。机の上には先ほどザックスがヴァルターの歌った詩を書きとめた紙が残されている。オーケストラからは「ベックメッサーのセレナード」「殴り合いの動機」「諦念の動機」などが次々と現われ、「ベックメッサーの動機」(譜例26)とともに、ベックメッサーが挙動不審の様子でコッソリ忍び込んでくる。前夜の乱闘騒ぎでダフィトに散々な目に遭わされたため足を引きずり、痛々しい姿である。彼の脳裏には昨晩の悪夢が蘇ってくるのか、走馬灯を見るかのように「殴り合いの動機」をはじめ、前夜の出来事を回想するライトモティーフが次々と現われる。キョロキョロするうちにベックメッサーは机上の紙に視線を止める。その先にあるのが何であるかは、オーケストラが「朝の夢の歌」の旋律を演奏することで明らかだ。この場面、ライトモティーフの効用が分かりやすい形でフル活用されている。


譜例26

 紙を手に取ったベックメッサーは、書かれていた詩をザックスが作ったものと勘違いして狂喜し、ポケットにしまい込む。そこへ正装したザックスが戻ってくると、彼が自ら歌合戦に出場するために歌を作ったと思い込んでいるベックメッサーは、いろいろと言いがかりをつける。それを否定するザックスに対してベックメッサーは、詩が書かれた紙を盗んだことまで明かして、さらに詰め寄る。これに対してザックスは、歌合戦に出場する意思がないことを示す証しとして、その歌をベックメッサーに進呈すると言う。ベックメッサーは一抹の不安を覚えたものの、差し迫った歌合戦で勝利を得るためには背に腹は代えられないとばかりに、ザックスにお世辞まで言って喜んで出て行く。その後ろ姿に不敵な笑みを浮かべるザックス。ベックメッサーが彼の計略にまんまと嵌った瞬間である。

【第4場】

 ベックメッサーと入れ替わるように今度はエファがザックスの仕事部屋にやって来る。真っ白の衣裳に美しい飾りを付け、まばゆいばかりの姿であるが、その表情は幾分こわばっている。エファは間もなく開催される歌合戦と、ヴァルターのことが不安で居ても立ってもいられず、作ってもらった靴の具合が悪いということを口実にザックスのもとを訪れたのであった。ザックスはわざとそれに気付かぬふりをして、エファの片方の足を台に乗せさせて、靴の具合を確認していると、騎士の正装に着替えたヴァルターが部屋に戻ってくる。

 「ああ!」と思わず叫び声を上げるエファ。彼女の胸の躍動感をオーケストラが代弁するように弦楽器を中心に美しいフォルティシモの響き(譜例49)を奏でる。足を台に乗せ身じろぎもできないまま、視線はヴァルターにクギ付けになっている。一方のヴァルターも着飾ったエファの美しさに圧倒され、扉の前に立ち尽くす。ザックスはそんな2人の様子に気付いているのかいないのか、靴を直す作業に取り掛かる。靴職人としての境遇を嘆き、エファへの想いを諦めたような"独り言"を呟きながら、「せめて仕事に合わせて、誰か歌でも歌ってくれれば...。今朝、美しい歌を聴いたけれども、3番目のバールは出来たのかな?」とヴァルターに第3バールの披露を促す。ヴァルターは3つ目のバールを歌い始め、歌をついに完成させる。ザックスは「よくお聴き、これこそマイスターの歌だよ」と仕事を続けながらエファにささやく。2人にとって運命の歌合戦を前にザックスの"お墨付き"が出たわけだ。


譜例49

 エファは魔法にかけられたようにヴァルターを見詰め続け、ついに泣き出しザックスの胸に顔を埋める。ヴァルターはそんな2人に歩み寄り、万感の思いを込めてザックスの手を握る。しばらくの沈黙の後、ザックスは意を決したようにエファを引き離し、その身をヴァルターに預ける。オーケストラは「靴作りの歌」の旋律をベースにした音楽を奏で、ザックスは突然、怒りを爆発させる。すべてを悟った賢人のように振舞っていたザックスもやはり、ひとりの男性だった。密かに思いを寄せていたエファを事もあろうに自分の手で若き騎士と結び付けたことにやるせない気持ちを爆発させたのである。ワーグナーによる人間の心理描写がいかに掘り下げられたものであるかを物語る象徴的なシーンといえよう。

 ダフィトを探しに行くふりをして部屋を出て行こうとするザックスをエファが必死に引き止める。彼女はザックスの心中を理解して再び彼に身を寄せて、心からの感謝の言葉を述べる。場合によっては自分の夫になるべき人はザックスだったのかもしれない。しかし、何の巡り会わせか、このような事態になったこと、そしてザックスの存在によって自分も成長できたことを切々と訴えた。

 オーケストラは《トリスタンとイゾルデ》から有名なトリスタン和音を伴う「憧憬の動機」(譜例50)を演奏する。ザックスは同じく《トリスタンとイゾルデ》から「マルケ王の動機」の旋律(譜例51)に乗せて「トリスタンとイゾルデの悲しい末路は知っている。ハンス・ザックスは賢いから(若い女性と再婚するという)マルケ王の幸福は望まない」と語り、自分の迷いに踏ん切りをつける。最初に管楽器が、続いて弦楽器が三連符を伴うシンコペーションの音型(譜例52)を繰り返し、長調に転じて気持ちの動揺と迷いからの決別を表現する。これは昨年の《タンホイザー》の解説でも述べたが、ワーグナーの作品の中で登場人物が激しく動揺し、後悔したり改心したりするシーンでしばしば使われるスタイルである。


譜例50

譜例51


譜例52

 ザックスの呼びかけに応じて、ダフィトと着飾ったマクダレーネが部屋に入ってくる。この2人を立会人としザックスはヴァルターが作った歌を「清らかな朝の夢―その夢解きの調べ」と名付ける。これに先立って弟子のダフィトのほほに平手打ちを食らわせて、彼を徒弟から職人に昇格させる儀式を行う。

 5人はザックスを中心に半円状に立っていたが、ザックスが横に逸れてエファが中心に立ち、5人それぞれの思いを述べる美しい五重唱(譜例53)が繰り広げられる。エファが歌い始めるとハ長調(C-dur)から変ト長調(Ges-dur)に転調される。ピアノでは黒鍵が多く弾きにくい調で、普通は転調を繰り返す途中で"渡り廊下"のような役割で使われることが多い。登場人物が成熟していく過程の心模様を吐露している場面だけに、"渡り廊下のような調"を使ったと解釈するのはいささかこじつけ過ぎか。いずれにしても、密やかで柔らかい響きが印象に残る調である。ちなみにこの調で書かれた他の名曲としては、プッチーニの歌劇《蝶々夫人》第2幕の有名なアリア「ある晴れた日に」、ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」などがある。そうそう、黒鍵だけで弾く「猫踏んじゃった」も変ト長調の代表格といえよう。

譜例53

 時間が止まったかのように複数の人の思いが同時に語られるこうした重唱は、《ローエングリン》第2幕や《神々の黄昏》第2幕など、ワーグナーがしばしば用いる高等テクニックである。舞台上の時間を一時的に止めて、登場人物たちの心の内側を表現する。音楽と演劇を融合させた楽劇という概念の真骨頂ともいうべき、考え抜かれたテクニックといえよう。

 《マイスタージンガー》のこの場面では、やはり対位法が駆使されて、おのおのの言葉はむろんのこと、異なる5つの旋律が縦横に組み合わされて、ひとつの美しい響きへと見事に昇華させている。ワーグナーの驚くべき作曲・作劇技術である。

 幸福感に満ち溢れた五重唱が終わると、ザックスは皆に歌合戦の会場に急ぐよう促し、職人ダフィトに戸締りを頼み、自らもヴァルターと連れ立って出発する。誰もいなくなったザックスの仕事部屋。筆者はこの場面を見ると、なぜかいつも何ともいえない寂しさを感じる。オーケストラが「ニュルンベルクの動機」を繰り返す中、舞台裏から聖ヨハネ祭を寿ことほぐファンファーレ(譜例54)が聞こえてくる。長い物語もいよいよクライマックスを迎える。


譜例54

【第5場】

 ペグニッツ川のほとりにある平原。遠くにニュルンベルクの街並みが見える。祝祭の会場となる場所には天幕が張られ、中央には舞台が設えられている。天幕の前には町中の人々が集まり、陽気に盛り上がっている。徒弟たちも盛装して川辺で船を降りてくる人々を案内するなど、接待役として忙しく動いている。

 人々は舞台上で演奏されるファンファーレに呼応して、それぞれのシンボルが染め抜かれた旗とともに入場してくる同業組合の人々を歓迎する。最初は「靴屋の動機」とともに靴職人たちが入場。続いてテーラー、パン職人たちがそれぞれの旗をなびかせながら賑やかに入ってくる。隣町フェルトから船でやってきた乙女たちが、徒弟たちと踊り始める。最初は止めに入ったはずのダフィトもいつしか踊りの輪に加わっていく。

 「マイスタージンガーの動機」「タヴィデ王の動機」(譜例④)などとともにマイスタージンガーたちが威風堂々と行進。先頭には旗を掲げたコートナーの姿が見える。徒弟たちは整列して出迎え、民衆は道を空けて歓迎する。殿しんがりにザックスが現われると、人々は第3幕への前奏曲にも使われたコラール「目覚めよ、朝は近付いた」を合唱し、敬意を表する。


譜例4

 ザックスは人々の尊敬の念に対して謝辞を述べ、歌合戦の参加者としてヴァルターを皆に認めてほしいとの思いを込めて、歌合戦の意義などについて語る。優勝者が獲得する賞についてエファへの配慮と思いやりに溢れた言葉に父親のポークナーは感激する。背後でオーケストラは、「ヨハネ祭の動機」「資格試験の動機」(譜例⑳)を演奏する。

 一方、ベックメッサーは入場行進が始まってからも、詩を書きとめた紙を取り出して暗記に必死の様子。そんなベックメッサーの姿を見たザックスは、からかいの言葉をかける。コートナーが前に進み出て歌合戦の開始を宣言。最初の歌い手としてベックメッサーを指名する。

 オーケストラは第1幕への前奏曲で提示された「哄笑の動機」(譜例⑨)を演奏。前に進み出たベックメッサーを見た市民たちは、「哄笑の動機」に乗せて「あれが(エファに)求婚するって? とてもお似合いとは思えないが...」などとざわつき、中には嘲笑する者すらいた。徒弟たちが人々を静かにさせて、「始め!」の合図でベックメッサーがリュート(ラウテ)を弾きながら歌い始める。ザックスからもらった紙には詩は書かれているものの、譜面は記されていなかったため、ベックメッサーはやむなく前夜自分が歌ったセレナードの旋律に無理やり当てはめて歌ったのである。「朝の私はばら色の光に輝き...」。この部分、日本語訳では面白さはなかなか伝わりにくいが、ザックスが走り書きしたメモが読みにくいのか、それとも焦っていたベックメッサーが読み間違ったのか、語呂だけが一致している別の意味の言葉の羅列となっているのだ。例えばヴァルターの詩では「Morgenlich(朝には)」となっていたものが、ベックメッサーの歌では「Morgen ich(朝の私は)」と変っているという具合である。まるで落語の一節のようである。全編こんな調子で歌い進めていくうちに人々は、「ベックメッサーの動機」の旋律で「何だ、この歌は」と声をひそめてささやき合い、不審感を募らせる。それでも歌い続けるベックメッサーは、ついに大笑いの渦に巻き込まれ、「靴屋め! 覚えていろ! これはおれの詩じゃない。ザックスのものだ」と激怒して人々の間に分け入って姿を消す。いぶかしがるマイスターや民衆たちにザックスはこの歌は自分が作ったものではなく、実際はとても素晴らしい歌で、これを作った人間こそマイスターの称号を得るにふさわしい人物であることを説明し、ヴァルターを導き入れる。オーケストラは「ベックメッサーの動機」を裏返したような「ヴァルターの動機」(譜例23)を演奏する。


譜例9

譜例23

 ヴァルターは朝作った応募曲(優勝歌)「朝はばら色の光に輝き」を歌い始める。完成形で披露されるこの歌、実際、マイスターによる歌合戦の優勝歌にふさわしい説得力に富んだ素晴らしいもので、オーケストラが重層的に伴奏をつけながら徐々に盛り上げていく。ヴァルターの感情の高まりと、それを聴く人々の興奮が実に生き生きと伝わってくる。

 人々はヴァルターの歌を絶賛、彼はめでたく歌合戦の優勝者と認められ、エファが月桂樹とミルテで編んだ冠をヴァルターの頭上に載せる。ポークナーはザックスに感謝し、マイスタージンガーたちからの「ユンカー殿(ヴァルター)にマイスターの称号を」との声に促されて、3つの記念メダルの付いた黄金の鎖をヴァルターに渡そうとする。ところが、この若い騎士は毅然として「マイスターなんかまっぴらゴメンだ」と受け取りを拒否。一同、唖然とし言葉を失い、その視線はザックスに注がれる。

 おもむろに歩み寄ったザックスは「マイスターをないがしろにせず、その芸術を敬ってもらわなければいけない」と説き始める。この結びの演説については、本稿第1回でも触れているので、ご参照いただきたい。

 ザックスはマイスターたちが培ってきたドイツ芸術の精神の尊さ、価値の高さをとうとうと語る。「たとえ神聖ローマ帝国が煙のように消えてもドイツの神聖な芸術はいつまでも残るであろう」とのザックスの言葉は、当時のワーグナー自身が思い描いていた芸術に対する理想にほかならない。事実、この言葉通り、生誕から200年も経過した21世紀の現代においても彼の素晴らしい芸術は少しも色あせることなく生き続けているのである。

 エファはこの演説の間にヴァルターの頭上から冠を取りさり、ザックスに被せる。一方、演説を終えたザックスはポークナーからメダルの付いた鎖を受け取り、ヴァルターの首にかける。人々は大合唱で「ドイツのマイスターを敬え...」とザックスの演説の言葉を繰り返し、「ニュルンベルクの宝、ザックス万歳!」と讃えて、この巨大な人間劇は幕となる。

 ここまで《ニュルンベルクのマイスタージンガー》の物語と音楽を同時並行的に追いながら詳しくご紹介してきました。本稿が皆さまの鑑賞に少しでもお役に立てたとしたら幸いです。ワーグナー作品上演の総本山であるバイロイト音楽祭でも《マイスタージンガー》を担当したセバスティアン・ヴァイグレ指揮による実際の演奏で、どうぞその真価をお楽しみください。


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