JOURNAL

「友達はベートーヴェン」

第3回 私が聞いたベートーヴェンのウワサ

文・飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)

 記念の年だけあって、ベートーヴェンのさまざまなエピソードを目にする機会が多い。興味深い話が山のようにある。それらは書物で得た知識であり、もとをたどれば伝記や研究書、当時の手紙などにたどり着く。

 では書物ではなく、直接ベートーヴェン本人と会った人の話を実際に耳にしたことがあるかといえば、それはもちろん、ない。ベートーヴェンは200年近くも前に亡くなっているのだから、存命中のベートーヴェンに会ったことのある人はとっくに世を去っている。

 だったら、「存命中のベートーヴェンに会った人」に会ったことのある人の話はどうだろう。つまり、間接的でもいいから、書物ではなく、ベートーヴェンその人について口伝えに語られてきたことを、なにかひとつくらい知りたいとは思わないだろうか。

ベートーヴェン記念館パスクアラティハウス
ベートーヴェンが1804~1815年の間に断続的に暮らしたと言われるウィーン中心部にある住居。ベートーヴェンはここで《フィデリオ》《エリーゼのために》を作曲した
photo: Lisa Rastl © Wien Museum

 2014年に世を去った指揮者フランス・ブリュッヘンが来日して記者会見を開いた際、ブリュッヘンは友人のスティーヴン・イッサーリスが彼の父親から聞いた話を紹介してくれた。父イッサーリスは、幼かった息子スティーヴンとともにウィーンに引っ越して来たとき、あるアパートの大家を尋ねると、大家の老女はこういった。「私はすっかり年を取ってしまったので、もう部屋は貸していない」。老女はずいぶん高齢だったという。しかし、それでもぜひ貸してほしいとお願いしたところ、こんな答えが返ってきた。「じゃあ、貸しましょう。ただしひとつだけ条件があります。いつも部屋をきれいにしていてください。部屋の隅でおしっこをしたり、床に唾を吐いたりしてはいけませんよ、以前ここでベートーヴェンがしていたように」(!)

 この瞬間、また聞きではあるが、ベートーヴェン本人にわずかに触れたという感激があった。書物には書かれていない、ベートーヴェンその人を知る人物の証言。それはベートーヴェンが不潔だったという話だ。

 社会学者スタンレー・ミルグラムの仮説「6次の隔たり」によれば、人は平均6人の知り合いを介すると世界中のだれとでもつながるという。FacebookなどSNSで、友達の友達のそのまた友達の……と6人ほどたどれば大体の人とは縁があるというわけだ。

 この仮説は現存する人についてのものだろうが、もしベートーヴェンその人につながりたいなら間に何人をはさめばいいだろうか。私はブリュッヘンと直接の知り合いではなかったが、間にだれかひとり挟めばつながると思う。ベートーヴェン→大家さん→イッサーリス父→イッサーリス→ブリュッヘン→だれか→私。ベートーヴェンは私と「6次の隔たり」にあるといえそうだ。つまり私から見て「友達の友達の友達の友達の友達の友達」がベートーヴェンだということになる。

 「友達の友達の友達の友達の友達の友達」というのは遠いような近いような関係だ。でも、昔から友達の友達は友達だ、というではないか。ならば、簡潔にこう言ってもいいはずだ。

 友達はベートーヴェン。

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