JOURNAL

東京・春・音楽祭2021

リッカルド・ムーティ「イタリア・オペラ・アカデミー in 東京」vol.2 《マクベス》

開催レポート Part 5

巨匠リッカルド・ムーティによる「イタリア・オペラ・アカデミー」。新型コロナウイルス感染症拡大の影響により、1年延期を経て開催となった第二回目のアカデミーでは、ヴェルディの《マクベス》を題材に約2週間に亘りムーティによる熱き指導が繰り広げられました。初日の《マクベス》作品解説から、本年に限りインターネットで無料公開されたアカデミー講義、そして集大成の《マクベス》公演まで。音楽ライターの宮本明氏にレポートしていただきます。
Part 5は、アカデミーに参加した2組の歌手陣について。

文・宮本 明(音楽ライター)

「簡単ではありませんよ」
 ムーティがレッスン中に何度も発したこの言葉どおり、本人たちはまったく簡単ではなかったろうと思うけれども、今回、日本人歌手たちが確かな存在感で活躍してくれたのは、前回にはなかったうれしい出来事だった。

 本家ラヴェンナのアカデミーでは毎年、ムーティが指揮する演奏会形式上演の他に、指揮受講生たちが交代で指揮する公演が実施されている。前回の「in 東京」では行なわれなかったこのステージが、今回は実現した。4月20日(火)のリッカルド・ムーティ introduces 若い音楽家による《マクベス》(ミューザ川崎シンフォニーホール)。
 この上演を日本人歌手たちが歌うため、今回は以下のように2組の歌手陣がキャスティングされた。

                                   
4/19, 21
4/20
マクベス
ルカ・ミケレッティ
青山 貴
マクベス夫人
アナスタシア・バルトリ
谷原めぐみ
バンコ
リッカルド・ザネッラート
加藤宏隆
マクダフ
芹澤佳通(全日程)
マルコム
城 宏憲(全日程)
侍女
北原瑠美(全日程)
医者
畠山 茂(全日程)








ほか

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photos : ©飯田耕治

 ムーティ指揮の公演は主要役の3人が海外勢。受講生公演はオール日本人という座組み。
 注目したのは、ムーティが指揮受講生にレッスンするすべてのリハーサルを日本人組が歌ったこと。公演自体もさることながら、彼らがムーティから何を受け取るのか、さらに、ムーティにどんなインパクトを残すのか、期待しながら連日配信されるリハーサルを見つめた。

 青山や谷原という、日本のオペラ界の最前線で活躍する歌手たちといえども、やはりイタリア語に関連して細かい指摘があるのはやむをえないだろう。なにせ前回の《リゴレット》では、ムーティ自身がイタリアから連れてきたナポリ出身の歌手もイタリア語を直されていたぐらいだ。
「non l'hanno!(不死)の[L]は大事ではありません。〝とても大事〟です」
「demente!(気がふれた)の[D]は、今の300倍強調してください!あなたがイタリアの劇場で歌うなら、聴衆は全員がそれに期待するのです」
「amore は世界的に知られている唯一のイタリア語ですね。でもなぜ正しく発音できないのか。a-moreと分けて歌ってしまうからです」
 ときに厳しく、ときにユーモアを交えて、次々に言葉を直していく。
 しかし、発音や言葉の意味だけが問題というわけではなさそうだ。それだけならある程度後天的にも学びやすいと思うのだけれど、ムーティが指摘するのは、よりネイティヴな言葉の流れや勢い、さらには言葉の背景にあるイタリアの文化そのものにつながっているように感じる。だからオペラは簡単ではないのだろう。

   

photos : ©飯田耕治

 言葉そのものよりも、より執拗な修正が要求されたのは、声の表現についてだった。とくに、まるでセリフのような、演劇的な声の使い方について。
 ムーティは、《マクベス》は当時のオペラとしてはとても現代的な作品で、演劇的な表現が重要なのだと力説する。音楽的な表現ではなく、演劇的な表現。それゆえ美しい声は求めないのだ、とも。
 だから屈指の美声バリトンの青山に対しても、「あなた、とてもきれいな声ですね」と認めながらも、歌いすぎてはいけないのだと厳しくダメ出しする。
「楽譜に voce muta(音のない声)と書いてありますね。なのに、なぜ朗々と歌うのですか? もっとしゃべってくだださい!」
「Teatro! もっと劇場的な表現で!」
 演劇的な表現が声や音程と同等に、もしかしたらそれよりも重要ということなのだろう。

 

ルカ・ミケレッティ /©飯田耕治

 その点では、ムーティのお気に入りの若手バリトン、ルカ・ミケレッティの巧みさは光った。
 日本入国後の隔離待機が明けて海外勢が合流したのは、本番の3日前。その日からは指揮受講生は見学にまわって、すべてムーティが指揮するリハーサルとなった(ムーティが振ると、突然「オペラ」の空気になるからすごい)。ミケレッティはもともと舞台俳優・演出家からバリトン歌手に転向したという異色の経歴の持ち主。歌手としてのキャリアはまだ数年のようだが、そこまでやってしまっていいの?と心配になるぐらい、まさにセリフのように言葉を発する。音符の存在を感じさせないギリギリの表現というか、もしこれがソルフェージュの試験だったらアウトかもしれない。なるほど、これがムーティの求める〝劇場〟ということなのかと納得。

 海外勢では、まだキャリアをスタートしたばかりの若いソプラノ、アナスタシア・バルトリの魅力も際立っていた。幅広い音域が求められる難役を、強い声と豊かなニュアンスで余裕を持って歌い切る。リハーサルではムーティが、第4幕の「夢遊の場」のアリアのラスト、最弱声の高いレ♭の出る難所を、アドヴァイスを与えながら繰り返し(キツそう!)、その前の低い部分をもっとレッジェーロに歌うのが秘訣だと伝授していた。
 なお、彼女は名ソプラノ、チェチーリア・ガスディアのお嬢さんなのだそう。一般の方のSNS投稿で知って確認したが、情報に間違いはなさそう。しかしコネ採用みたいなことではなく、ムーティの妻クリスティーナ夫人が主宰する別のプロジェクトに応募があり、夫人の勧めもあって大抜擢されたらしい。ムーティの歌手を見る目は確かだ。今後の活躍から目が離せない新星が現れた。

photos : ©増田雄介

 さて、サービス精神満点のマエストロだから、今回もまた、ちょっとシニカルな、ときに物騒なジョークがいたるところで炸裂した。

「そこは振らなくていいですよ。それでもし彼がテンポを走ったら、指揮棒で刺せばいい(笑)」

「アクセントはつけないで! マイク・タイソンではないのです。相撲レスラーでもないですよ」

「フィラデルフィア管弦楽団の音楽監督だった時、指揮法の教本を贈られたことがあります。2ページで閉じました。いろんな嘘が書き連ねてありましたからね。でも可哀想な学生たちは、あれを勉強しなければならないのですね」

「指揮の本質とは何でしょうか。ジャーナリストたちは、指揮者が派手なジェスチャーで振ると、素晴らしい!巨匠だ!と言いますけどね」

「カラヤンが《トリスタンとイゾルデ》を上演した時、オーケストラ・リハーサルが終わった時にこう言ったそうです。ありがとう。楽園は終わりだ。明日からは歌手が入る(笑)」

「(第4幕でマクベスと男声合唱とが「La morte! 死を!」と交互に歌い合う箇所で急に笑い出して)ここ、ちょっと馬鹿っぽい(stupid)ですよね。(天を仰いで)マエストロ、ごめんなさい!」

「(トランペットのファンファーレを指揮受講生に音名で歌わせて)あなた、上手いですね! じゃあ、レオノーレ序曲第3番はできますか? 私はできます。レ・ミ・ファ、レ・ミ・ファ、ドソファミレドシ、ラソファミレド……(と、プレストのヴァイオリンを延々やってみせ、オーケストラの大拍手に満足そうに)これでフィラデルフィアの仕事を獲得したのです(笑)」

「その発音は違います。あなた、イタリアで勉強したのでしょう?(小声で)だからイタリアで勉強してはいけないのです」

「おはようございます。よく眠れましたか? 私は眠れませんでした。指揮している時は寝られるんですけどね。冗談です」

「もっと情熱を持って! あなたいくつですか。30歳? 私は42歳です(笑)。みんな、なぜ笑うのです?」

(つづく)

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