JOURNAL

東京・春・音楽祭2021

リッカルド・ムーティ「イタリア・オペラ・アカデミー in 東京」vol.2 《マクベス》

開催レポート Part 2

巨匠リッカルド・ムーティによる「イタリア・オペラ・アカデミー」。新型コロナウイルス感染症拡大の影響により、1年延期を経て開催となった第二回目のアカデミーでは、ヴェルディの《マクベス》を題材に約2週間に亘りムーティによる熱き指導が繰り広げられました。初日の《マクベス》作品解説から、本年に限りインターネットで無料公開されたアカデミー講義、そして集大成の《マクベス》公演まで。音楽ライターの宮本明氏にレポートしていただきます。
Part 2は引き続き、ムーティによる《マクベス》作品解説の模様より。

文・宮本 明(音楽ライター)

 「リッカルド・ムーティ イタリア・オペラ・アカデミー in 東京 vol.2」初日のムーティによる「作品解説」。後半は、7月20日の「リッカルド・ムーティ introduces 若い音楽家による《マクベス》」に出演する日本人歌手たちが登場しての公開レッスンとなった。
 「若い音楽家による~」は前回はなかった公演で、《マクベス》の抜粋を指揮受講生4人が分担して指揮するもの。出演歌手もムーティ指揮の公演とは別キャストで、それがこの日登場した以下のみなさん。

マクベス:青山貴(バリトン)
バンコ:加藤宏隆(バス・バリトン)
マクベス夫人:谷原めぐみ(ソプラノ)
マクダフ:芹澤佳通(テノール)
マルコム:城宏憲(テノール)
侍女:北原瑠美(ソプラノ)
[ピアノ:浅野菜生子]

「ヴェルディは言いました。小さな役というものは存在しない。小さな歌手と偉大な歌手がいるだけだ」

 うまいっ! 格言をメモしている間に歌手たちの準備が整った。全員が実績十分の主役級。次代の日本のオペラ界を担って活躍しておられる面々だ。
 ただ、あとから聞いた話では、じつはムーティの隔離期間との兼ね合いもあり、彼らがムーティに会ったのはこの日が初めて。簡単なリハーサルだけの本番で、誰がどこを歌うのかも知らされていなかったそうだから、たぶんかなり緊張していただろう。しかもムーティが自ら伴奏を弾き始めるのだから、しびれる。

 一番手で登場したのは題名役の青山貴。マクベスに与えられた唯一のアリア〈慈悲、尊敬、愛〉を歌った。ムーティはまず最初に、楽譜の歌詞の訂正を指摘する。
 冒頭の「慈悲、尊敬、愛(Pieta, rispetto, amore)」は、年老いた日々の慰めとなるものとして挙げられている言葉。これがリコルディの最新の校訂版では「慈悲、尊敬、名誉(Pieta, rispetto, onore)」に変更されていると指摘。後者だと、rispetto_onoreと「o」の母音が重なって歌いづらいので変えられてしまったのだろうという。後日リコルディの校訂報告を見ると、シェイクスピアの原作は、該当する箇所の一番最初に「honor」が置かれているのだそう。自筆譜は「onore」だが、初稿台本もすでに「amore」だったので、出版時にヴェルディが変更した可能性もある。しかしシェイクスピアについてのヴェルディの深い見識や、このアリアについて触れているヴェルディの書簡の記述を検討して、新校訂版では自筆譜の「onore」が採用されている。
 返しながら与えられる注意は、その後のアカデミー期間中のすべてのレッスンでも貫かれた、基本的な内容がほとんどであるのが印象的だ。

「8分音符の長さを正確に」
「レガートで続けて」
「ピアニッシモ! もっと弱く」
「そこは tutta forza! もっと強く」

 もちろん杓子定規に、ただ音符どおり歌いなさいということではない。言葉との関わりを大切に、ときに臨機応変な対処も求められる。

「16分音符の短い Ahi(ああ痛い!辛い!などの感情を表す間投詞)には絶望が表れてるのです」

p e legato(弱く、レガートで)という指示はヴェルディの怖いところです。そのとおりに歌うとブーイングを受けますね。mf で、でもp のイメージを持って。弱音のカラーが大切です」

 指摘によって、みるみるうちに豊かな歌が浮かび上がってくる。
 もちろん、得意のシニカルなジョークも飛び出す。

「フェルマータを見ると、なぜみんな遅くするのでしょう? そのほうが長い時間ステージに立っていられるからですか? フェルマータの前でリタルダンドしないで!」

※ 画像をクリックすると、拡大表示します。

 次に登場したのはマクベス夫人役の谷原めぐみ。第1幕の登場のアリア〈さあ、急いでいらっしゃい〉を歌った。歌の前に手紙を読む長いセリフが置かれた異例のアリア。歌手にとって、音符のない部分の表現はやはり難しいところだと思う。しかもムーティは夫人役に、音楽的にではなく演劇的な声の使い方が必要だと解説している。

「大声で読まないで!」
「ちょっと甘すぎるかな」
「もちろん、私が日本語で手紙を読んだらひどいことになるのはわかっています。とても難しいです」

 1976年に録音したムーティの《マクベス》は、夫人役をメゾ・ソプラノのフィオレンツァ・コッソットが歌っているが、その時にも、この部分を特に念入りに練習したのだそう。ちなみにムーティが最も高く評価する《マクベス》は、マリア・カラスが夫人役を歌った1952年のヴィクトル・デ・サバタ指揮のスカラ座のライヴだそう。
 ニュアンスを細かく指摘するムーティのアドヴァイス。谷原も一回ごとにさまざまなアプローチを試みて、表現がどんどん変わっていった。

 谷原は「夢遊の場」も歌った。

「いつもテンポどおりに歌ってください。ここはオーケストラは(16分音符で細かく刻んでいるので)ルバートできません。そのベースの上で歌ってください。考えて、考えて!」

 罪悪感から精神に異常をきたして徘徊するマクベス夫人。その場にいないマクベスに「a letto, a letto(ベッドへ=眠りなさい)」と呼びかける。

「いま、どう発音しましたか? ある時ローマの聴衆がここで大笑いしました。なぜならソプラノが甘い発音で歌ったから。エロティックなシーンではないのです。夢の中でマクベスを子ども扱いしている。恐ろしいシーンなんです。もっと命令のような口調で発音してください」

 何度か口ずさむ谷原にムーティが「日本語だとどうなるのですか?」とアドバイス。そこで「寝なさい!」と、まさに家で子どもを叱りつけるような口調で発すると、
「そういうことです!」

「ちょっと冗談を言いすぎてたらごめんなさい」

 120分に及ぶ予定時間をさらに15分ほどオーバーしてムーティの白熱教室は終了した。その間ムーティ自身はほとんど立ちっぱなし。音楽に注ぐ底知れぬ情熱、無尽蔵のエネルギーをひしひしと感じた。アカデミーの最後に彼が指揮する《マクベス》をより細部まで楽しむための贅沢な予習になる曲目解説。うれしい機会だった。
 翌日からはいよいよアカデミーの本編、指揮受講生へのマスタークラスだ。

photos : ©青柳 聡

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