JOURNAL

東京・春・音楽祭2021

リッカルド・ムーティ「イタリア・オペラ・アカデミー in 東京」vol.2 《マクベス》

開催レポート Part 6

巨匠リッカルド・ムーティによる「イタリア・オペラ・アカデミー」。新型コロナウイルス感染症拡大の影響により、1年延期を経て開催となった第二回目のアカデミーでは、ヴェルディの《マクベス》を題材に約2週間に亘りムーティによる熱き指導が繰り広げられました。初日の《マクベス》作品解説から、本年に限りインターネットで無料公開されたアカデミー講義、そして集大成の《マクベス》公演まで。音楽ライターの宮本明氏にレポートしていただきます。
最終回のPart 6は、日本の若手トップ・プレーヤーから成る東京春祭オーケストラ・メンバーが語る〝リッカルド・ムーティ像〟。名演の背景にはムーティと東京春祭オーケストラのメンバーたち、両者の厚い信頼関係と強い絆がありました。

文・宮本 明(音楽ライター)

 4月19日(月)と21日(水)。アカデミーの最後にムーティが指揮した《マクベス》(演奏会形式)の上演の興奮は、たぶん一生忘れ得ない。まさに圧巻。言葉にできないショックで身体が震えた。

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 マクベス役のルカ・ミケレッティやマクベス夫人役のアナスタシア・バルトリを始めとする歌手たちの生き生きとしたパフォーマンスが素晴らしかったことはもちろんなのだけれど、一方の主役は、間違いなく東京春祭オーケストラだった。オーケストラの首席奏者やソリストなど、日本の若手トップ・プレーヤーがずらりと並ぶ顔ぶれを見ただけでも、その演奏水準の高さが十分に想像できるスーパー・オーケストラ(そういえば、今回は学生メンバーがいなかった。前回の《リゴレット》の時は、ムーティの強い希望により、とくに弦には現役の学生たちも参加していたのだけれど、コロナ禍で対面の授業やレッスンに制約を受けている大学の事情に配慮して、今回は学生の参加を見送ったのだそう)。

 ムーティ自身も会心の出来栄えだったようで、インターネット配信用に収録した録音のコピーを所望して、CDにしてラヴェンナに持ち帰ったとか。

 実際、ムーティが東京春祭オーケストラに寄せる信頼は深く、厚い。今回、《マクベス》のあとにモーツァルト・プログラムによるオーケストラ・コンサートが追加されたのは、「オペラだけでなく、このオーケストラとたっぷり向き合いたい」というムーティのたっての希望によるものだった。すでに音楽祭の全日程が決まったあとでの急な開催決定だったため、事務局は慌ててコンサート会場を探さなければならなかった。そして、それを聞いた一部のオーケストラ・メンバーが、コンサートホールの空き情報を調べるなど、会場探しに協力してくれたという美談も伝えられている。

 レポートの最後に、そんな両者の絆が確認できる、オーケストラ・メンバーの声を集めた。日本のトップ・プレーヤーたちが語る〝リッカルド・ムーティ像〟は、彼らの演奏と同じぐらい感慨深い。

長原幸太(コンサートマスター)
©読売日本交響楽団

長原幸太(コンサートマスター)
読売日本交響楽団コンサートマスター
[参加歴:2010、2013、2016、2016ラヴェンナ音楽祭、2019]
*2016年からコンサートマスターを務めている

 僕は最初に参加した時は第2プルトで弾いていたのですが、その頃と比べると、ムーティの印象はかなり変わりましたよ。まだ結構血気盛んというか、結構ピリついていたんです。その印象が強いです。
 たとえばムーティが何か注意すると、みんなそれをすぐメモらなきゃと思って急いでバタバタっと楽譜に書き込みますよね。ムーティはそれが気に入らない。
 また、指揮者が他のパートに指示しているあいだを使って、パートをまとめるために、弦の首席奏者が後ろを向いて指示することってありますよね。そうすると、「私がしゃべっている時に何を話してるんだ?」と叱られる。もちろん、すべてのパートが関連しているのだから、他のパートへの指示も聞いておけよということなんですけどね。
 それを知っているから、5年前に僕がコンサートマスターをやるようになって、事前に「後で書け」「しゃべるな」と根回ししておいたんです。別にご機嫌取りじゃなくて、そのほうが彼がやりやすいんだったらそのほうがいい。とりあえずムーティの言うことを全部やろうみたいなことです。
 ムーティも、吸収力のある若い人がいいというので、メンバー構成も少しずつ変わってきて、そうすると、あ、この人はただ厳しいわけではないんだなということが、とてもよくわかってきたんです。イタリアの真の伝統を伝えるのが自分の使命だとおっしゃっていますが、ああ、そういうことかと、とても納得できました。
 たぶんムーティは今後の音楽人生で、少なくとも自分のプロジェクトでは、限られたものしかやらないんじゃないかと思うんですね。それは当然ヴェルディであり、モーツァルトであり。あとはシューベルトとか。でもそうやってムーティは自分を追い込んでるわけじゃないですか。ヴェルディを正しく伝えていきたいという使命を持っているから、曲にかける情熱が違うわけですよ。
 若い音楽家は、そういうところを見習わないといけないですよね。たとえば何かひとつの作品に集中して楽譜を読み込んで、本当に自分の血肉にしてからオーケストラの前で振るというのが本来の指揮者なんだなって、今回ムーティを見て、あらためて感じました。「使命なんだ」っていう言葉は本当にすごいと思います。
 今回モーツァルトで感じたのは、全部歌だということです。前にも説明してくれたことがあるんですけど、モーツァルトはイタリア語でオペラを書いてるだろ?と。イタリア中を旅行したし、当時、文化の中心はイタリアだったって。まあ、イタリア人の言うことですから(笑)。でも、そう言われてみればそうだなとも思いますよね。
 だからムーティのモーツァルトはロマンティックな印象。前にやった時は正直ちょっとロマンティックすぎるかなとも感じたんです。僕はモーツァルトとかベートーヴェンを、ゲルハルト・ボッセにとことん仕込まれた人間だから。でも今回やってみて、彼が歌うと、ちゃんとアーティキュレーションしてるのを感じるんですね。それはどこかに言葉がはまっているからだと思うんです。ドイツ語でなくイタリア語で。
 そして、単につねにロマンティックなだけでなく、その中に、必ず古典の様式がある。ボッセの伝統とも矛盾しないんですよ。やり方がちょっと違うだけで、きっと目指すところは一緒なんですね。
 ここで得たことを、みんな自分のオーケストラに帰って、どう還元できるかが大事ですよね。もちろん、われわれがずっとやってきた日本のオーケストラなりの歴史を、一瞬で変えるのが無理だということはわかっています。だけど、ここにいる若い奏者たちが、これからのオケ人生の中で、せめてそれを忘れないでいてくれよ、そしてこれから入ってくる、より若い世代にちゃんと引き継いでいってくれよ、ということだと思います。
 僕は最近「ムーティ・ワクチン」って呼んでるんだけど、やっぱり1年に1回ここに来て打っておかないと(笑)。なんなら1年ずっとムーティばっかりでいい!

直江智沙子(ヴァイオリン)

直江智沙子(ヴァイオリン)
神奈川フィルハーモニー管弦楽団第2ヴァイオリン首席奏者
[参加歴:2006、2013、2016、2016ラヴェンナ音楽祭、2019]

 コロナ禍のいま、ムーティさんが、「音楽家は単なる職業でなく使命である。人々の精神的な糧となる使命を背負っている」と繰り返しおっしゃっていたのが、私はとても励みになりました。音楽は不要不急かとか、自分も「音楽ってなんだろう」と考えることがすごく多くて、やはりムーティさんのような方が声を大にしてそれを言ってくださると、これからも頑張ろうという気持ちになれます。
 ムーティさんは今回、まだ学生の時に参加したヴェルディ《レクイエム》の時と比べたら、人が変わったように優しかったです。とは言っても厳しいところは厳しいのですけど、その中に愛情があるし、オーケストラを信頼してくださっているのがわかるので、頑張ってついていく気にさせてくださるんです。たぶんメンバー全員がそういう気持ちだったので、それが音楽に、良い方向で繋がった。それが一番良かったですね。弾いていて、とても一体感を感じました。ムーティさんがどうしたいのか、それを体現しようとみんなで頑張ったからだと思います。
 オペラはもちろん歌がありきの世界ですけど、シンフォニーでも、すべてが歌なんだなとあらためて感じました。今回のモーツァルトも、すごく歌うモーツァルトだったので、遅めのテンポなのにけっして退屈に感じさせない。ずっと歌が流れている、ずっと繋がっているという印象を受けました。
 歌うこと、音の合間を大切にすること、感情の持って行き方やフレーズの作り方。仕事として音楽を続けるうちに忘れていたことを思い出させてくださった。忘れずに、ずっとそれをやり続けたいですね。それが、ここで得た体験を、自分のオーケストラや他の仲間たちに持ち帰ることにつながると思います。あの体験を共有していない相手にどうやって伝えればいいのかは正直難しいのですけど、私は上から言うつもりはまったくないので、自分が一音一音を大切に歌い続けて、それに誰かが気づいてくれれば。遠回りかもしれませんが、それが私にできることかなと思っています。

林七奈(ヴァイオリン)
photo:K.Miura

林七奈(ヴァイオリン)
大阪交響楽団コンサートマスター
[参加歴:2013、2016、2016ラヴェンナ音楽祭、2019]

 とてつもなく懐の深い、温かい指揮者です。威厳があるので、最初はちょっと気おくれする人もいるかもしれないですけど、こちらがきちんと目を見て、誠実に音楽で会話していくと、本当に温かい。日本人を下に見るようなところもなく、君たちと音楽を共有したいという熱い思いがひしひしと伝わって、いまそれを思い出すだけでも目頭が熱くなってきます。
 今回モーツァルトだけの参加だった私が合流した時にはすでに、前回の《リゴレット》の時よりも、マエストロとオーケストラの距離がものすごく近くなっているように感じました。おそらくコロナ禍で、マエストロご自身も経験されたことのない演奏活動の制限があったり、ファミリーと過ごされたりしたことで前にもまして音楽に対する思いが深くなられて、音楽ができる喜び、それを舞台からお客様に届ける喜びが伝わってくるようで感動しました。言葉ではちょっと表現できない世界でしたね。
 楽譜に忠実にということを厳しくおっしゃいますが、もちろん書いてあることだけをやるのではなくて、そこに音のファンタジーというか創造する部分があって、そのためにどういう音を出せばいいのかが、手や目の表情で、弾く前からわかります。これは本当にマエストロ・ムーティでしか経験がないことです。しかも本当に内面に強い音楽の力を秘めている方だし、意味のない動きがないので、オーケストラは自然に、自分たちのすべき音楽が奏でられて、まったくストレスがありません。
 とくに東京春祭オーケストラは、それを全員で共有できているという感覚があるんです。ずっとマエストロとお付き合いさせていただいているメンバーが核になり、新しく入ったメンバーも、瞬時にその感覚を吸収できるのではないでしょうか。みんながスッと寄れるというのは素晴らしいオーケストラだと思います。
 紀尾井ホールの最終公演のカーテンコールで、コンサートマスターの長原さんがマエストロに連れられてステージに出てきて号泣してましたけど、私もコンサートマスターをするので、彼の気持ちはよくわかります。音楽家として、なんとかムーティの要求に応えたい。しかも自分一人でなく、オーケストラをリードして応えなければならないという重圧があったと思います。舞台裏でみんな泣いていました。
 マエストロとプライヴェートな話をする機会はなかなかなかったのですが、モーツァルトの初日のあとに、マエストロが私のところにいらして、バッと肩を掴んで、「すごくよかったよ」と言ってくださったんです。本当に数日寝られないぐらいうれしくて、一生忘れられない宝物になりました。
 マエストロ・ムーティからいただいたものを、今度は私たちが日本の若い人たちに伝える使命があると思っています。自分の中で終わらせてはいけない。それぞれのメンバーがそれぞれの場所で、それぞれの体験で得たものを、少しずつ他の人に分けていくこと。そこにこのアカデミーの意義があると思います。

依田真宣(ヴァイオリン)

依田真宣(ヴァイオリン)
東京フィルハーモニー交響楽団コンサートマスター
[参加歴:2016]

 その場の空気をガラッと変えることができるのは魔法ですよね。
 どういう音楽、どんな音、今この瞬間どのような景色が必要なのか。それらを瞬間的に出すことができる指揮者は世界的にも本当に限られた存在です。
 マエストロが他の指揮者と違うところは、まずコミュニケーションです。
 オペラを演奏する時に、オーケストラが歌に合わせて音楽をつくるのではなく、歌手とオーケストラのコミュニケーションをどれだけ深く合わせることができるか、この大切さを今回改めて感じました。
 オペラを普段演奏していると、自然と歌へ合わせにいってしまうのですが、今回マエストロがおっしゃっていたように、それがスコアに書いてあることと違っていたり、作曲家が意図しているところではないのに、勝手な解釈や自分たちの都合で演奏されてしまっていることで、オーケストラが無理に歌へ合わせなければならない状況が生まれてしまっている部分はたくさんあると思います。これがまさに、歌手とオーケストラがどこまで密接にコミュニケーションをとることができているか、という部分だと思います。
 マエストロは、その関係性を深いところまできちんと繋いでいきます。ひとつの音に対して呼吸をどのようにするか、言葉の意味に沿った音色、音質が出せているか。オペラでもシンフォニーでも変わらず、つねにこれを意識して音楽を創り上げています。
 だからこそ、演奏するわれわれも全神経を集中させて、全身全霊でその音楽に向き合います。オーケストラもこのようなメンバーだからこそ、長期間のリハーサルや本番でマエストロの要求に全力で応えられたのだと思います。本当に貴重な経験でした。
 東京フィルでもオペラを演奏することがこれからもたくさんありますので、この経験を生かしていきたいと思いますし、それをまた若い人たちにうまく伝えられれば、オーケストラの響きも少しずつ変わってくるのかなと思っています。

金子亜未(オーボエ)
©Ayane Shindo

金子亜未(オーボエ)
読売日本交響楽団首席オーボエ奏者
[参加歴:2016、2016ラヴェンナ音楽祭、2019]

 

 昨年は中止で1年空いてしまったので、とても待ち遠しかったです。
 ピアニッシモを要求されることが多かったのですが、ダブルリード的にはかなり難しいので、精神的にはかなり追い詰められました。《マクベス》は前奏曲の冒頭からいきなりで、痺れますよね(笑)。
 でもムーティさんが振ると、すごく吹きやすい。発音しやすくなるんです。オーケストラは家族だとおっしゃってくださって、その包み込むような温かさがあったからじゃないかなと思うんです。安心感があるというか。2年前よりも家族的な感じで、すごく近くなれたような気がしました。
 ムーティさんがいると細胞が生き返るというか、ものすごくいい緊張感かあります。ムーティさんがこうやって欲しいというのが伝わってくるし、自分の中からもこうやりたいというものが自然と出てくる感じです。とても生き生きと。楽しかったです。
 モーツァルトも、やっぱりどうしてもピアニッシモが印象的でした(笑)。たとえば《ジュピター》の第1楽章で、ピアノと書いてあっても、普段だったら結構吹かなければいけないところがあるんです。それを「もっと弱く!」と。他の楽器にも、ここはオーボエを聴くんだと言ってくださって。かなり落として、それでもホールにはすごくよく響いているのがわかりました。
 普段だと、出さないと聴こえないんじゃないかという気持ちもあって、あの全員でのピアニッシモは、ムーティさんじゃないと出ないかもしれません。自分一人でやっても埋もれてしまうだけなので、そこは今後どう他のみんなと共有できるか、難しいところですね。

中舘壮志(クラリネット)

中舘壮志(クラリネット)
新日本フィルハーモニー交響楽団副首席クラリネット奏者
[参加歴:2019]

 言葉では表せないようなただならぬ空気感を、僕は前回の《リゴレット》よりも強く感じました。
 ムーティさんが、異常なまでのピアニッシモや、歌詞の意味とリンクしたオーケストラの響きを求めるのは、オペラだからこそなのかなと思っていたのですが、今回モーツァルトも一緒に演奏して、シンフォニーでも同じなのだなということがわかりました。歌と同じニュアンスを求めていらっしゃるのですね。
 音楽的なニュアンスにしても音量にしても、不自然な鳴らし方をするとすぐ、「それは音楽ではない」と厳しく指摘されます。楽器を無理に鳴らすのではなく、リラックスした音の表現が、オーケストラに奥行きを与えているように感じました。
 ピアニッシモは繊細なコントロールが必要ですが、ムーティさんの作るサウンドの中だと、ニュアンスが無理なくお客さんに届くので、すごく心地よいんです。それは僕らが力を入れて演奏してしまったらできない。普段のエクササイズから考え直させられました。じつは期間中、いつも楽器のメンテナンスをしてもらっている人のところに行って吹いたら、「何があったんだ? 音が別人のように変わったんだけど」と言うんです。いまムーティのところで吹いていて、いろいろ考えることが変わってきたんだと答えたら、「それで人ってこんなに変わるんだね」と驚かれました。
 それを一貫して求めてくれるのが、ムーティさんならではの存在感ですね。普段僕らが忘れてしまっているようなことも根気よくおっしゃってくれる。もちろん厳しいところもありますけれども、求めるものがぶれないというのが、指揮者としてすごいところだなと思います。
 一生忘れない体験で、自分の中に残っているものが確実にありますし、それを今度は僕らが伝えていかないと。若い人を集めているのは、そういう意味があるのかなと思っています。

次田心平(チンバッソ)

次田心平(チンバッソ)
読売日本交響楽団チューバ奏者
[参加歴:2016、2016ラヴェンナ音楽祭]

 以前はもっと厳しかったですよね(笑)。回を重ねて、オーケストラのほうもマエストロのやり方をある程度予想して各自が演奏できているから、マエストロも前より信頼してくださったのだと思います。
 たとえば、金管楽器としてはまずバランスですね。オーケストラ全体のバランスを考えて、とくにアカデミーはオペラの演奏会形式なので、より音量を落とさなければなりません。そこは自分たちもあらかじめすごく気をつけて演奏していますし、さらに要求されたら、マエストロを納得させるところまでは落とそうと思ってやっていました。
 あとはフレーズ。フレーズを長く感じることや、伴奏にもパッションがあり続けるべきだと。
 そういったことが、自分のオーケストラで演奏する時や普段レッスンで指導する場所でも、いつも頭によぎっています。
 マエストロがすごいのは、指揮台に立っているのを見るだけでも、なんだか言うことを聞きたくなっちゃうんですよ。指揮に全然迷いがないから説得力がある。何をすればいいのかがはっきりしているので、おのずとそこに進むというか。ずっと見ちゃいますね。
 チンバッソは、日本だとオペラ以外に、スタジオのレコーディングの場所でも使われることがあります。その場合鋭くバリバリとした音の効果を求められることが多いですが、マエストロの場合、温かい音が求められていることが多いと思います。
 今回、コントラバスのピッツィカートと同じ音形を吹いているところで、こちらもスタッカートなのですが、チンバッソだけ長めにと言われたのは興味深い指示でしたね。そういった音の作り方もあるのかと、とても参考になりました。
 全体的にも「長めに」という指示が多かったと思います。フレーズを途切れさせないということなのでしょう。動き続けること。とくに遅い時こそちゃんと方向性をもって進まないといけない。スムーズに吹くということだと思います。僕も基本的にそれが好きなので、「やっぱりそうだよな!」と一人で納得していました(笑)。
 ムーティ、大好きです。愛がますます深まっています。ちょっとキツイことを言われても、「おっ、来た来た!」みたいな(笑)。それを待ってる自分がいます。

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