JOURNAL

連載《神々の黄昏》講座

~《神々の黄昏》、そして『リング』をもっと楽しむために vol.2

音楽ジャーナリスト・宮嶋 極氏による恒例のオペラ鑑賞講座。今年度は、ワーグナー作曲『ニーベルングの指環』(通称『リング』)の第3日《神々の黄昏》を4回に分けて紹介していきます。連載第2回では「序幕」および「第1幕」を解説します。

文・宮嶋 極(音楽ジャーナリスト)


 「東京春祭ワーグナー・シリーズ」で上演される《神々の黄昏》のステージをより深く楽しんでいただくために、物語と音楽を同時並行的に追いながら、ワーグナーがそこに込めたメッセージについて考えていきます。第2回となる本稿では、序幕と第1幕を紐解いていきます。なお、台本の日本語訳については、日本ワーグナー協会監修 三光長治/高辻知義/三宅幸夫 翻訳「ワーグナー 舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』第3日 神々の黄昏」(白水社)を、譜面はドーバー社刊のフル・スコアを参照しました。原稿中で紹介するライトモティーフ(示導動機)の呼称については、上記翻訳を参考にしつつ、より分かりやすい名称で表記します。また、譜例の整理番号については、《神々の黄昏》全作の通し番号として、①からスタートする形にしており、前3作で既出の動機であっても本稿では改めて整理番号を付けていきます。

【序幕】

 「適度にゆるやかに」と指定された18小節の短い前奏。冒頭、ブリュンヒルデの「目覚めの動機」(譜例①)が木管楽器とホルンによって奏され、続いて弦楽器による「波の動機」(譜例②)と「智の神エルダの動機」(譜例③)が絡み合い、上演時間が4時間半にも及ぶこの大作は、重苦しい雰囲気を湛えてスタートする。この重苦しさは調性のなせる業。「ジークフリート」第3幕でブリュンヒルデが目覚めたシーンでは、ホ短調(e-moll)で演奏されていた「目覚めの動機」。これに対して「神々の黄昏」の冒頭では、変ホ短調(es-moll)へと半音下げられている。半音下がっている上に、変ホ短調は響きにくい調であることが影響し、神々の終末を予感させる不吉で重苦しい雰囲気が醸しだされているわけだ。

譜例①

譜例②

譜例③

 話は少し脱線するが、筆者は数年前、音楽専門誌で古楽系の指揮者を連続インタビューする形でベートーヴェンの交響曲について一曲ずつ掘り下げていく連載を取材・執筆していた。その際、この指揮者は何度も「ベートーヴェンの素晴らしいところは、交響曲9曲いずれもが一曲として同じような作品がないことである。9曲すべてがそれぞれ違う性質を持っている」と強調していた。取材のたびにこの言葉を聞くにつけて、私は心の中で「それはワーグナーも同じではないか、いや、もっと顕著ではないか」と自問自答していたものだ。

 ほぼ同時期に書かれた《トリスタンとイゾルデ》と《ニュルンベルクのマイスタージンガー》を比べてみれば、明らかであろう。ひとつの長いストーリーを描いた『ニーベルングの指環(リング)』の4作についても同様である。《ラインの黄金》の"神々のヴァルハル城への入城"の壮麗な幕切れから一転、《ワルキューレ》第1幕の"嵐の前奏"。そしてフンディングの家の薄暗い冒頭シーン。趣きをガラリと変えた音楽はもちろん、作劇上も大胆な転換であろう。《ジークフリート》から今作《神々の黄昏》への橋渡しとなる序幕にも同じことが当てはまる。前作の幕切れの場であるブリュンヒルデの岩山からスタートせずに、あえて3人のノルンを登場させ前作の幸福感を払拭し、逆に不吉な雰囲気を醸成して作品に一層の深さを創出させていく。おまけに冒頭の和音は、ジークフリートとブリュンヒルデの幸福の始まりであった「目覚めの動機」を変ホ短調に移調して、同じコード進行でありながら聴衆にまったく違った印象を植え付けてみせるという円熟期のワーグナーならではの卓越した手法が発揮されている。


 話を本題に戻そう。幕が開くと、智の神エルダの娘である3人の運命の女神ノルンたちが、彼方の岩山を眺めて夜明けを待っている。長女(アルト)は「過去」、二女(メゾ・ソプラノ)は「現在」、三女(ソプラノ)は「未来」を司っている。ワーグナーは3人の声域を分けることで、それぞれの役割やキャラクターを明確に区別した。彼女たちの仕事は、運命の綱を紡ぐことである。第1のノルンは語る。かつて世界樹は緑を大きく広げ、森が育ち、森は泉を生み出し世界を潤していた。若き日のヴォータンは、泉で永久の知恵を願い、片方の目を捧げることと引き換えに、その望みを叶えた。こうして神々の長となったヴォータンはトネリコの枝を折って、力の象徴である槍の柄に仕立てた。そこには世界を支配する契約の文字が刻まれている。しかし、枝を折られたトネリコの木は傷口から徐々にむしばまれ、ついには泉も枯れ果ててしまった。

 第2のノルンが続く。世界を支配したヴォータンの槍も、今や1人の勇者(ジークフリート)によって打ち砕かれた。ヴォータンは枯れてしまったトネリコの木を根こそぎ倒して、薪にしてしまった。その薪はヴァルハル城の周囲を取り囲むように高く積み上げられている。

 第3のノルンは未来を憂いている。薪が燃える時、神々の終末が訪れてしまうだろうと、ノルンたちは恐れる。終末を少しでも遅らせるべく必死に運命の綱を紡ぐのだが、手繰り寄せた綱が切れてしまう。3人は永遠の知恵の終焉を悟り、地の底に降りていく。ここまでの間、ノルンたちの話の内容に呼応するように「まどろみの動機」(譜例④)、「天のトネリコの動機」(譜例⑤)、「ヴァルハルの動機」(譜例⑥)、「運命の動機」(譜例⑦)、「呪いの動機」(譜例⑧)などが次々と聴こえて来る。

譜例④

譜例⑤

譜例⑥

譜例⑦

譜例⑧

 「夜明けの音楽」(譜例⑨)。かつてブリュンヒルデが眠っていた岩山の頂。「ブリュンヒルデの動機」(譜例⑩)が反復された後、ホルンが「ジークフリート英雄の動機」(譜例⑪)を演奏、それが全オーケストラによって最高潮に達したところでブリュンヒルデとジークフリートが登場する。愛の語らいの二重唱がしばし繰り広げられる。ジークフリートは愛の証として世界を支配する魔力を持つラインの黄金で作られた指環をブリュンヒルデに渡す。彼は指環の力とそこにかけられた呪いの意味を理解していない。ブリュンヒルデはお返しにと愛馬グラーネを贈る。このくだりでも「ジークフリート愛の動機」(譜例⑫)、「ワルキューレの動機」(譜例⑬)などが連なっていく。音楽が最高潮に達したところでジークフリートは、武勲をあげ経験を積むための旅に出発する。「ジークフリート英雄の動機」が再び鳴り響き、これに「ブリュンヒルデの動機」が折り重なる。彼女は岩山に残り、旅立つジークフリートを見送る。

譜例⑨

譜例⑩

譜例⑪

譜例⑫

譜例⑬

 ここからのオーケストラによる音楽が「ジークフリート、ラインへの旅」(譜例⑭)。ジークフリートの姿が見えなくなると、舞台裏から「ジークフリート角笛の動機」(譜例⑮)がこだまする。音楽の前半は「恋の絆の動機」(譜例⑯)に導かれるように力強く諸国を進むジークフリートの姿が描かれ、後半はライン川の雄大な流れに乗ってギービヒ家に近づいていく彼の姿が活写されている。しかし、ギービヒ家に近づくにつれて、ジークフリートの先行きを暗示するように、音楽にかげりが見え始める。頭上にかかった黒雲を引きずったまま、第1幕へとそのままアタッカで入っていく。

譜例⑭

譜例⑮

譜例⑯

第1幕

[ 第1場 ]

 弦楽器による「ハーゲンの動機」(譜例⑰)とともに幕が開くと、そこはギービヒ家の館の大広間。付点音符の「ギービヒ家の動機」(譜例⑱)をバックに、ライン川のほとりで勢力を誇るギービヒ家の長グンターとその妹グートルーネ、そして異父兄弟であるハーゲンが話をしている。ハーゲンは、ニーベルング族のアルベリヒが手元に残った宝でギービヒの妃を誘惑し、もうけた子供だ。父子2代にわたる野望である指環奪還の機会を窺っているハーゲン。このため彼はグンターに花嫁をもらうべきだと進言する。森の彼方に炎に囲まれた岩山があって、そこにブリュンヒルデという最高の女性が眠っている。彼女をグンターの妻として迎えるべきだというのだ。さらにグートルーネには、ジークフリートこそが夫にふさわしいと勧める。そのバックでは、弦楽器が「ジークフリートの動機」(譜例⑲)、ホルンが軽いタッチで「ジークフリート角笛の動機」も演奏。結婚を実現させるための秘策として、ハーゲンはジークフリートに忘れ薬を飲ませて過去の女性、つまりブリュンヒルデのことを忘れさせてしまおうと企む。グンターとグートルーネがその陰謀に乗ることを同意すると、そこにジークフリートの角笛が聞こえてくる。船を力強く漕ぎながらライン川を遡って近づいてくるジークフリートをハーゲンは館に招き入れる。オーケストラは「波の動機」などを組み合わせながらジークフリートが次第に接近してくる様子を描く。

譜例⑰

譜例⑱

譜例⑲

[ 第2場 ]

 ジークフリートが到着すると「呪いの動機」がこれまでになかったほどの管弦楽の強奏(譜例⑳)で鳴り響き、ハーゲンは挨拶の言葉を絶叫する。この出会いがジークフリートの運命を暗転させるきっかけとなることが音楽によって強調されている。自らの動機とともに上陸したジークフリートは、グンターに対決か友好かのどちらかを選べと迫る。グンターは「世界一の勇者にわが土地も民も財産も全てを捧げる」と友好の態度を示す。

譜例⑳

 そうした対話の後に「グートルーネの動機」(譜例㉑)とともにグートルーネがやって来て、忘れ薬が入った飲み物をジークフリートに飲ませる。それを口にした途端、ジークフリートはブリュンヒルデのことを忘れ、目の前のグートルーネに夢中になり求婚を始め、グンターに彼女と結婚するための資格を尋ねる。グンターはブリュンヒルデを妻とするため、炎に囲まれた岩山を越えて拉致してくるよう求める。ジークフリートはそれを承諾し、グンターとワインにそれぞれの血を入れて、誓いの酒を酌み交わし兄弟分の契りを結ぶ。オーケストラは「呪いの動機」に続いて「契約の動機(槍の動機)」(譜例㉒)を繰り返す。この契約の意味と行く末はおのずと明らかだ。それを裏付けるかのように、ハーゲンはこの契りに加わらない。

譜例㉑

譜例㉒

 ジークフリートとグンターは、ブリュンヒルデがいる岩山へと出かけていく。グートルーネも自室に戻り、広間にはひとりハーゲンが残る。自らの動機を口火として、彼の執念を感じさせる暗く重いモノローグ。全ては指環を手にするための策略であると吐露する。

[ 第3場 ]

 岩山でブリュンヒルデがひとり指環を大事そうにしながらジークフリートを待っている。遠雷が聞こえ、「ワルキューレの動機」が変化した音楽(譜例㉓)とともに、ブリュンヒルデの妹ヴァルトラウテが息せききってやって来る。彼女は神々の終末の危機を脱するために、姉が指環を手放すように説得しに来たのだった。「不機嫌の動機」(譜例㉔)なども交えて、父ヴォータンとヴァルハルの窮地を切々と訴えるヴァルトラウテ。「ヴァルハルの動機」「トネリコの動機」「運命の動機」などが次々と現れ、ヴァルトラウテの話を音楽でなぞっていく。しかし、ブリュンヒルデはジークフリートの愛の証である指環を手放すつもりはないと、断固拒否。説得に失敗したヴァルトラウテは、ヴァルハルへと帰って行く。「ワルキューレの動機」が次第に遠ざかっていく。

譜例㉓

譜例㉔

 そこに角笛が鳴り、ジークフリートが戻ってきたと喜ぶブリュンヒルデ。「炎の動機」(譜例㉕)をベースにした「魔の炎の音楽」が再現され、何者かが炎を越えてやってくることが描かれる。しかし、ブリュンヒルデの前に現れたのは、隠れ頭巾でグンターの姿に変身したジークフリートだった。ブリュンヒルデは見知らぬ男の出現に悲鳴を上げる。男の求愛に「私は指環で守られている」と言って抵抗するブリュンヒルデ。しかし、男は無理やり指環を取り上げて、自分の指にはめてしまう。本物のグンターに義理立てしたのか、ジークフリートはブリュンヒルデとの間に剣(ノートゥング)を突き立て境界とし、「誓いの動機」に合わせて彼女に手を出さないことを宣言する。呆然自失のブリュンヒルデを残して幕が閉じる。

譜例㉕

 次回は第2幕について詳しく紹介します。

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