HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2016/11/26

連載《神々の黄昏》講座
~《神々の黄昏》、そして『リング』をもっと楽しむために vol.1

音楽ジャーナリスト・宮嶋 極氏による恒例のオペラ鑑賞講座。今年度は、ワーグナー作曲『ニーベルングの指環』(通称『リング』)の第3日《神々の黄昏》を4回に分けて紹介していきます。連載初回は《神々の黄昏》の概要を解説します。

文・宮嶋 極(音楽ジャーナリスト)


 リヒャルト・ワーグナーのオペラや楽劇を毎年1作ずつ、演奏会形式で上演していく「東京春祭ワーグナー・シリーズ」で2014年からスタートした『ニーベルングの指環(リング)』ツィクルス上演、2017年はいよいよ最終作《神々の黄昏》です。演奏は『リング』ツィクルスのスタート以来、好評を博しているマレク・ヤノフスキ指揮、NHK交響楽団が引き続き担当します。ヤノフスキは2016年のバイロイト音楽祭で『リング』を指揮し大成功を収めただけに、さらに充実した演奏が期待されます。このステージをより深く楽しんでいただくために、本稿では物語と音楽を同時並行的に追いながら、ワーグナーがそこに込めたメッセージについて考えていきます。多くの方に《神々の黄昏》の魅力を理解していただけるよう、これまで筆者が取材した指揮者や演出家らの話なども参考にしながら、4回に亘って進めていきます。なお、台本の日本語訳については、日本ワーグナー協会監修 三光長治/高辻知義/三宅幸夫 翻訳「ワーグナー 舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』第3日 神々の黄昏」(白水社)を、譜面はドーバー社刊のフル・スコアを参照しました。

《神々の黄昏》概説

 楽劇4部作からなる長大な『ニーベルングの指環(リング)』を締め括る《神々の黄昏》はワーグナーの創作活動における、ひとつの到達点と位置付けることができる傑作である。序幕と3幕11シーンからなり、上演に要する正味時間は約4時間20~30分の大作ではあるが、4作の中では最も劇的な変化に富んでいることもあり、退屈する間もなく全編を楽しむことができる。

Illustrated by Arthur Rackham
ブリュンヒルデを残し
旅立つジークフリート

 台本の執筆開始から26年もの歳月を費やして完成された『リング』であるが、《ラインの黄金》からの前3作の台本は、当初の構想段階で《ジークフリートの死》と呼んでいた《神々の黄昏》を"補完"するために書かれたものである。当然のことながら《神々の黄昏》こそが『リング』全体の根幹をなす作品ということができる。

 音楽面では最後に作曲されたことで、ワーグナー円熟期の充実した作曲技法がふんだんに盛り込まれている。このためオーケストラの役割に大きなウエイトが置かれていることがこの作品の最大の特徴である。

 序曲や前奏曲というような従来型の劇音楽ではなく、重要な場面で声や言葉を入れずにオーケストラだけに演奏させ、ライトモティーフ(示導動機)を縦横に組み合わせていくことによってさまざまな事象を表現している。序幕の場面転換で演奏される「夜明け」や序幕から第1幕へのジョイントの役目も担っている「ジークフリート ラインへの旅」、第3幕の「ジークフリートの葬送」などはその好例といえる。オーケストラ・ピースとしてコンサートで取り上げられることも多い名曲が、この作品の中に複数存在しているのである。

 全体を通して対位法が自在に駆使され、動機を重層的に折り重ねることによって壮大な響きの世界が構築されていく。調性は複雑にコントロールされ、場面に合わせて音楽の"色"を変化させていくその手腕は、他の作曲家の追随を許さぬものがある。音楽が言葉を超えて雄弁に語りかけ、多彩な響きの変幻が観客・聴衆を物語の世界に引き込んでいく。

 その極め付けはエンディングであろう。「ブリュンヒルデの自己犠牲」に続く4管編成の大管弦楽が織りなす一大交響詩のような壮大な幕切れは、圧巻の一言に尽きる。当初、ワーグナーは2通りのセリフ(歌詞)入りの結末を検討していたが、結局は言葉を採用せずに音楽にすべてを託したのだ。まさに楽劇の中の楽劇といわれるこの作品の結末にふさわしい終わり方といえよう。総譜(スコア)の最後に「1874年11月21日、ヴァーンフリート館にて完成。もう何も言うまい」と書き込んだことは有名なエピソードだ。

 この作品のもうひとつの特徴は『リング』4部作の中で唯一、合唱が用いられていることである。第2幕第3場、ハーゲンの呼びかけに呼応して集まったギービヒ家の家臣たちによる迫力満点の合唱は『リング』全作中でも聴きどころのひとつに数えられる。合唱の役割は《ローエングリン》とも似ているのだが、その複雑さは比較にならない。声部は細分・複雑化され、《トリスタンとイゾルデ》《ニュルンベルクのマイスタージンガー》の後に作曲されただけに、半音階進行が多用されているのが特徴。観客・聴衆には大いに楽しめる場面であるが、演奏者にとってはハーモニーのコントロールに細心の注意を要する難所でもある。

創作の経緯

Illustrated by Arthur Rackham
ジークフリートの亡骸とともに
燃え盛る炎の中へ
愛馬グラーネに乗り
飛び込むブリュンヒルデ

 ワーグナー自身が「3日と、ひと晩の序夜のための舞台祝典劇」とした『ニーベルングの指環』は、プロローグと3つの楽劇からなる舞台作品。プロローグに当たる序夜が《ラインの黄金》、第1夜《ワルキューレ》、第2夜《ジークフリート》、そして第3夜の《神々の黄昏》で完結する構成となっている。作曲、台本執筆ともにワーグナー自身が行った。台本は1848年から1852年にかけて《神々の黄昏(原題・ジークフリートの死)》→《ジークフリート(同・若き日のジークフリート)》→《ワルキューレ》→《ラインの黄金》の順で書かれ、音楽は台本がほぼ完成した後、1854年から1874年までの間に《ラインの黄金》から逆の順番で作られた。

 《神々の黄昏》の前段階に当たる《ジークフリートの死》の最初の草稿には1848年10月20日の日付が記されている。つまり草稿を書き始めてから完成までに約26年間もの歳月を要しているのだが、それらの経緯については本連載の《ラインの黄金》第1回、《ジークフリート》第1回などに詳述しているので、重複を避けるためにもバックナンバーをご参照いただきたい。

 この物語のメインテーマである「ジークフリートの死」に至る経緯と前史については《ラインの黄金》以降の3作が追加されたことにより、当初の構想から大幅な改訂が行われ、説明的な部分の簡略化も施されている。その結果、作品全体に緊密なまとまりが生まれ、長大な作品ではあるものの、無駄と感じる場面がまったくない充実した舞台作品に仕上がった。

 《神々の黄昏》の初演は『リング』のツィクルス上演が初めて実現した第1回バイロイト音楽祭(祝祭)の1876年8月17日。バイロイト祝祭劇場でワーグナー自身の演出、ハンス・リヒターの指揮によって行われた。この時、《ラインの黄金》は13日、《ワルキューレ》は14日、《ジークフリート》は16日に上演されている。

☆作品データ
作曲:
1869~74年
台本:
1848年、56年、作曲家自身の手によるドイツ語のオリジナル台本
初演:
1876年8月17日、バイロイト祝祭劇場
指揮:
ハンス・リヒター
設定:
神話の神々と英雄の時代の終わり
ブリュンヒルデが眠っていた岩山(序幕)
ライン河畔のギービヒ家→岩山(第1幕)
ギービヒ家の館と庭(第2幕)
ライン河畔の森→ギービヒ家の広間(第3幕)
☆登場人物
ジークフリート
ヴェルズング族のジークムントとジークリンデの息子。恐れを知らない無敵の勇者。父の形見である魔法の剣ノートゥングを鍛え直し、大蛇に変身していた巨人族のファーフナーを倒して、ニーベルングの指環と何にでも変身できる隠れ頭巾を奪取。神々の長ヴォータンの制止を振り切って、炎の燃え盛る岩山の頂に眠るブリュンヒルデを目覚めさせ、妻に娶った。
ブリュンヒルデ
神々の長ヴォータンと智の神エルダの間に生まれた娘。ヴァルキューレの長女。父の命令に背いたことから罰として神性を剥奪され、炎に囲まれた岩山の頂に眠らされる。ジークフリートに眠りから覚まされて妻となった。
グンター
ライン河畔に勢力を張るギービヒ家の当主。
ハーゲン
ニーベルング族のアルベリヒが人間の女性との間にもうけた息子。グンターの異父弟。この作品の"陰の主役"と位置付けられる存在。
アルベリヒ
地底に住むニーベルング族。世界を支配する魔力を秘めた指環をライン河の底に眠っていた黄金で作るも、ヴォータンとローゲの姦計にはまって奪われる。指環の持ち主に死をもたらす呪いをかけた。
グートルーネ
グンターの妹。ハーゲンの計略にはまり記憶を失ったジークフリートと結婚する。
ヴァルトラウテ
ヴォータンと智の女神エルダとの間に生まれた娘。ヴァルキューレのひとりでブリュンヒルデの妹。
ラインの乙女
ヴォークリンデ  ヴェルグンデ  フロースヒルデ
ライン河に住む3姉妹。川の精のような存在で、川底の黄金を守っていた。黄金の返還を乞い願っている。
3人のノルン
運命の女神の3姉妹。序幕の冒頭に登場し、神々の世界の過去、現在、未来について語る。

☆オーケストラ楽器編成

フルート3、ピッコロ1、オーボエ4(1本はコールアングレ持ち替え)、クラリネット3、バス・クラリネット1、ファゴット3(1本はコントラ・ファゴット持ち替え)、ホルン8(4本はワーグナー・テューバ持ち替え)、トランペット3、バス・トランペット1、トロンボーン4(1本はバス・トロンボーン)、テューバ1、ティンパニ2、シンバル、テナー・ドラム、トライアングル、グロッケンシュピール、タムタム、ハープ6、弦5部(16・16・12・12・8)、舞台上のバンダ(ホルン4、ナチュラル・ホルン3)



 次回は第1幕を詳しく紐解いていきます。


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