HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2014/01/30

連載《ラインの黄金》講座
~《ラインの黄金》、そして『リング』をもっと楽しむために vol.2

音楽ジャーナリスト、宮嶋極氏による恒例のオペラ鑑賞講座。今年は、ワーグナーの超大作『ニーベルングの指環』(通称『リング』)の序夜《ラインの黄金》をより深く、より分かりやすく紹介します。連載第2回では、《ラインの黄金》の前半部分を詳しく見ていきます。

文・宮嶋 極(音楽ジャーナリスト、スポーツニッポン新聞社 編集局次長兼文化社会部長)

  「東京春祭ワーグナー・シリーズ」で上演される《ラインの黄金》のステージをより深く楽しんでいただくために物語と音楽を同時並行的に追いながら、ワーグナーがそこに込めたメッセージについて考えていきます。第2回となる本稿では、前奏から第2場の終わりまでを詳しく紐解いていきます。台本の日本語訳については、日本ワーグナー協会監修 三光長治/高辻知義/三宅幸夫/山崎太郎 翻訳「ワーグナー 舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』序夜 ラインの黄金」(白水社)を、譜面はドーバー社刊のフル・スコアとPETERS版のピアノ&ボーカル・スコアを参照しました。なお、原稿中で紹介するライトモティーフ(示導動機)の呼称については、上記翻訳を参考にしつつ、より分かりやすい名称で表記します。さらに本作のみならず『ニーベルングの指環』全体で頻繁に登場する重要動機については、譜例に印を付けていきます。

前奏

 独立した序曲、前奏曲に代わってオーケストラによる136小節からなる前奏が冒頭に配置されている。4作の楽劇からなる長大な『ニーベルングの指環』の総合前奏的な意味合いを持ち、「世界の始源(この世の始まり)」を描写した音楽である。

 現代の宇宙物理学に「ビッグ・バン」という有名な理論(仮説)があるが、この音楽もどこかそれに相通じるところがある。ごくごく簡単にいうと無の状態から忽然とある一点が生まれ、それが爆発的に膨張、拡大し現在の宇宙を形成していったという理論であるが、《ラインの黄金》の前奏がこれを描写した音楽のように聴こえるのは筆者だけであろうか。もちろん、ビッグ・バン理論は20世紀になってから確立されたもので、19世紀に活躍したワーグナーが知る由もないのだが......。

 オーケストラ・ピットがステージの下に階段式に潜り込んでいくような構造となっているバイロイト祝祭劇場でこの前奏を聴くと、まるで地の底から何かが湧き上がってくるように感じられる。

 コントラバスが変ホ長調(Es-dur)の主音であるEs(ミ♭)を弱音で延ばしているところにファゴットが加わり変ホ長調の主和音が形成され、そこにホルンが順次重なっていき音楽は徐々に厚みを増していく。ホルンは低音(8番パート)から1本ずつ加わっていき、全8本によってポリフォニー的な重層構造を構築していく。ホルンの上昇旋律は「(自然の)生成の動機」(譜例①)、高弦も加わり弦セクションが奏でる曲線的な旋律は「波の動機」(譜例②)である。それらが対位法的に絡み合っていく中から次第に「生成の動機」が変化した「ラインの動機」(譜例③)がクッキリと浮かび上がり、金管楽器も加わってオーケストラの全奏によるクレッシェンドが最高潮に達したところでそのまま第1場へと移行する。前奏の136小節の間中、コントラバスは最初から最後までEsの音を延ばし続ける。


譜例1


譜例2


譜例3

第1場

 幕が開くと舞台は神話時代のライン川の川底。そこには「ラインの黄金」が眠る。川を泳ぐラインの乙女はヴェルグンデ、ヴォークリンデ、フロースヒルデの3姉妹。黄金は姉妹に守られている。ヴォークリンデによる冒頭の歌は「ヴァイア! ヴァーガ! ヴォーケ......」と「ヴ(W)」の音で頭韻を踏んでいるのが特徴。

 この冒頭の場面は『リング』の新演出が出る度に、まずは注目されるシーンであることから演出家にとっては最初の試金石となる箇所ともいえる。過去には舞台上に大きな水槽を設えて乙女役のスタントを泳がすようなことをした演出もあった。また、昨今ではコンピュータ・グラフィクスを駆使してSFのような映像を投影する手法も増えている。

ババイロイト音楽祭、フランク・カストロフ演出による2013年の『リング』から《ラインの黄金》第1場、ラインの乙女

© Bayreuther Festspiele / Enrico Nawrath

バイロイト音楽祭、タンクレート・ドルスト演出による2009年のステージから《ラインの黄金》冒頭シーン

© Bayreuther Festspiele GmbH / Enrico Nawrath

 ちなみに昨年、ワーグナー生誕200年のメモリアル・イヤーにバイロイト音楽祭でお披露目されたフランク・カストロフ演出による新『リング』では、舞台は米国西部にある安っぽいモーテルに、ライン川はモーテルに併設された小さなプール、乙女たちは肌の露出が目立つ服を着た売春婦に読み替えられていた。

 そこに地底の国ニーベルハイムに住むニーベルング族のアルベリヒが現われる。小柄で醜い姿のアルベリヒは岩陰から乙女たちの美しさに見とれてしまう。変ホ長調で奏でられていた「波の動機」の変形(譜例④)が臨時記号によって暗い響きに変換され、アルベリヒの出現が前途に不吉な事態をもたらすことを暗示する。

 アルベリヒは乙女たちひとりひとりに言い寄るが、誰にも相手にされない。それどころか、嘲笑の言葉を浴びせられる。現代社会において男性に彼女たちが発したような言葉を投げ掛けたとしたら、名誉毀損や逆セクハラで訴えられてしまうこと、間違いなしである。

 アルベリヒと乙女たちによる追いかけっこの一連の動きの終わりに、川の流れ越しに陽光が差し込み、中央にある岩の突端がまばゆいばかりの金色の光を反射する。ライン川の底にある黄金が光を放ち始めたのだ。この場面、最初はホルンの弱音によって「(ラインの)黄金の動機」(譜例⑤)が奏でられる。そこに第1、第2ヴァイオリンが8声部に分かれてトレモロのような9連符(譜例⑥)を重ねていき、川の流れに反射する黄金の光が次第に輝きを増していく様子を生き生きと描写する。さらに各パートが加わっていき、次第に厚みを増して、最後はトランペットによる輝かしい強奏ではっきりと「黄金の動機」(例⑦)が演奏される。


譜例4


譜例5

譜例6


譜例7

 乙女たちは、「黄金賛歌」に乗せて本当は知られてはいけないラインの黄金の秘密を明かしてしまう。やがて訪れる朝、黄金が輝き始める。夜に眠り、朝に輝く不思議な黄金は、愛欲を断念した者だけが手にすることができる。その黄金で指環を作れば、世界を支配できる無限のパワーを手に入れられるのだと。ヴェルグンデが指環に言及すると木管楽器によって「指環の動機」(譜面⑧)が初めて提示される。

 アルベリヒがおのれの愛欲を断てるはずがないと、乙女たちは見くびっていたが、間違いだった。乙女たちの話を聞いたアルベリヒは愛欲を捨て、黄金を奪うことを決意する。ヴォークリンデが「愛の力を捨て去る者のみが」と歌う旋律は「愛の断念の動機」(譜例⑨)。アルベリヒは突然、素早く動きラインの黄金を強奪して逃げていく。無限のパワーを持つ黄金を手に入れれば、思いのままにならない女などいない、と乙女たちを逆に嘲笑する。

 物語の舞台がライン川の川底から静かな川面、そして神々の世界へと移っていく様子が音楽で描かれる。ホルンによる「指環の動機」の旋律が次第に「ヴァルハル(ワルハラ)の動機」(譜例⑩)に変容していき、それがハッキリとした形となったときに第2場となる。第1場から第2場へのオーケストラによるスムーズなジョイント部分こそワーグナーならではの「移行の技法」の活用である。

 「ヴァルハルの動機」は『リング』に使われているライトモティーフの中でも最重要動機のひとつである。バイロイト音楽祭では、開演を知らせる予鈴の代わりに、劇場正面のバルコニーからブラス・アンサンブルがこれから始まる幕の中に登場する重要な動機を吹奏し開演が迫ったことを観客・聴衆に知らせるのだが、「ヴァルハルの動機」は『リング』ツィクルスの最終日、《神々の黄昏》第3幕の前に演奏されることが最近の慣わしとなっている。休演日も含めて6日間に亘って観、聴き続けてきた壮大な『リング』の物語もいよいよ大詰め。16時から始まった上演も第3幕が始まるころには20時を過ぎており、すっかり暗くなった祝祭劇場の前でこの動機を聴くと、自分自身もヴォータンやブリュンヒルデ、ジークフリートらとともに長い道のりを歩んできたようなしみじみとした気持ちになり、何ともいえない感慨にとらわれてしまうのは、筆者だけではないだろう。


譜例8


譜例9


譜例10

第2場

 ライン川を見下ろす山の上に神々の長ヴォータンが、巨人族の兄弟ファーゾルトとファーフナーに築かせた壮大な居城ヴァルハル(ワルハラ)城がそびえ立つ。ここでの「ヴァルハルの動機」は城そのものを表わしているが、城の主であるヴォータンを表わす際などにも頻繁に登場する。

 山の頂の広々とした場所にヴォータンとその妻で結婚を司る神フリッカがまどろんでいる。ヴァルハル城の姿がハッキリと見えるようになった時、フリッカが目を覚ましヴォータンを起こす。ヴォータンは壁が銀色に輝く城を見上げて「永遠の業績がここに完成した!」と城の竣工を喜び、自分の権勢の大きさにひとり悦に入っている。

 しかし、フリッカは怒りと不安をない交ぜにさせながら、ヴォータンに強い口調で迫る。ヴォータンが巨人族兄弟に築城の報酬として、自分の妹である美の女神フライアを与える約束をしていたことを怒り、妹が連れ去られることを恐れている。ヴァルハル城は元々フリッカが欲しがったものだが、ヴォータンは妻に何の相談もなく妹フライアを差し出す約束をしてしまっていたのだ。

 そこに「フライアの動機」と「逃亡の動機」が連結されたような旋律(譜例⑪)に追い立てられるようにフライア自身が血相を変えて駆け込んできて「助けて、お姉さま! お義兄さま、私を守って! ファーゾルトが"いとしいお前を迎えに来た"と迫ってきたの」と助けを求める。

 ヴォータンは、巨人兄弟とのいい加減な約束を勧めた火の神ローゲを探そうとするが、ティンパニの強打を伴う重々しい「巨人族の動機」(譜例⑫)とともにファーゾルトとファーフナー兄弟がこん棒を手に登場する。この動機は、巨人の荒々しさとともにどこかコミカルな雰囲気を感じさせるもので、滑稽なまでにフライアに惚れている兄ファーゾルトの性格をそれとなく表現したものともいえよう。


譜例11

譜例12

 兄弟はフライアを受け取るためにやってきた。しかし、ヴォータンは約束を交わしたにもかかわらず差し出すつもりもない。とぼけるヴォータンに対して改めてフライアの引渡しを要求するファーゾルト。彼がフライアの名前を告げる時、チェロが奏でる旋律が「フライアの動機」(譜例⑬)、約束を守るように迫るくだりでは、「契約の動機(槍の動機)」(譜例⑭)がトロンボーンなどによってシンコペーションのリズムを伴って演奏され、さらにホルンと低弦によって「契約遵守の動機」(譜例⑮)が現われる。

 ヴォータンは代わりの報酬を示すが、兄弟は拒む。奸智に長けたファーフナーにとってヴォータンの約束不履行は想定の範囲内だった。ファーフナーはフライアの身柄を押えることで、彼女が栽培している黄金のりんごを作れないようにすることを狙う。なぜなら、このりんごはヴォータンを始めとする神々の生命の源であり、これがないと若さが保てず動けなくなってしまうのだ。ファーフナーの言葉の裏でホルンが「黄金のりんごの動機」(譜例⑯)を奏でる。ファーフナーはフライアを"人(神)質"にして、もっと大きな報酬を手に入れる魂胆だ。


譜例13


譜例14


譜例15


譜例16

 騒ぎを聞きつけて、フライアの兄で幸福の神フロー、雷神ドンナーもフライアを守るため勢いよく登場するが、元気だけで何の解決策も持ち合わせていない。ここで鳴り響くトロンボーンの下降音形による「槍の動機(契約の動機)」(譜例⑰)がはっきりとした形で示される。ここではヴォータンが自らの槍で巨人たちを威嚇している様子を表わしたもの。しかし、この「槍の動機」、前出のように槍そのものだけではなく、槍の柄に契約の文言が書かれていることから契約や約束を指す「契約の動機」としても使われるのに加えて、持ち主であるヴォータンその人を表わしたりもする。これも最重要動機のひとつ。

 困ったヴォータンの前にようやく火の神ローゲが「ローゲの動機」(譜例⑱)及び燃え盛る炎を表わす「魔の炎の動機」(譜例⑲)とともにやってくる。彼は回りくどく語り出す。途中、ローゲが「自分は広い世界を方々回ってきたが、宇宙のどこにも女の愛以上に価値あるものを見出すことはできなかった」とアイロニーに満ちた言葉を発する場面でチェロからヴィオラ、ヴァイオリンへと受け渡され上昇していくのが「自然の動機」(譜例⑳)、さらにそこに彩りを添える第1ヴァイオリンの美しい旋律が「愛の動機」(譜例㉑)である。


譜例17


譜例18


譜例19


譜例20


譜例21

 ローゲの長い語りの最終結論は、無限のパワーを持つラインの黄金で作られた指環をアルベリヒから強奪する、というものだった。神々の長としてこの世を支配するヴォータンにとっては、そんな指環がアルベリヒの手にあることは大きな脅威。巨人族にとってもニーベルング族は敵対関係にあった。さらにフリッカまでも装飾品としての黄金の指環に強い興味を示す。ヴォータンは指環強奪作戦に同意。ファーフナーは指環を要求し、それが渡されるまでの"人質"としてフライアを森の中にある巨人族の住みかに連れ去る。

バイロイト音楽祭では、開演前、予鈴の代わりに祝祭劇場正面のバルコニーから、ブラスが次の幕の主要な動機を吹奏し観客・聴衆に開演を知らせる。筆者撮影

 フライアが拉致されると、神々たちは生命の源を失ったため急に若さを失い元気がなくなる。その背景で木管楽器によってホ短調(e-moll)に転調され生気を失った「黄金のりんごの動機」が奏でられる。ただ、半神半人のローゲだけには何の変化も起こらない。「詠嘆の動機」(譜例㉒)とともにヴォータンは意を決し、ローゲとともに地底のニーベルハイムへと降りていく。

 「ローゲの動機」に導かれるように地底に降りていく様子が音楽で活写される。下に降りていくにつれて、バス・トランペットによって「(ラインの)黄金の動機」が変ホ短調(es-moll)の暗い調子に転調され鳴り響く中、その他の楽器が奏でる付点音符のリズムが特徴的な「ニーベルング族の動機」(譜例㉓)が力強さを増してくる。途中、アルベリヒに奴隷のように使われているニーベルング族たちが、金属を鍛えている様子が鉄床を金槌で叩く音で表現される。これも「ニーベルング族の動機」と同じ付点音符のリズム(譜例㉔)となっている。鉄床の音が遠ざかるように消えていくと、いよいよ地底の国ニーベルハイムに到着する。ここも鮮やかな「移行の技法」である。


譜例22

譜例23


譜例24

 70分余の前奏と第1場、第2場の間に、強調しておくべき動機や旋律が24箇所も出てくることを見ても『リング』において、ライトモティーフがいかに重要な役割を果たしているかが分かる。次回は第3場から終わりまでを詳しく紹介していきます。

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