HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2014/03/12

連載《ラインの黄金》講座
~《ラインの黄金》、そして『リング』をもっと楽しむために vol.3

音楽ジャーナリスト、宮嶋極氏による恒例のオペラ鑑賞講座。今年は、ワーグナーの超大作『ニーベルングの指環』(通称『リング』)の序夜《ラインの黄金》をより深く、より分かりやすく紹介していきます。連載第3回では、《ラインの黄金》の後半を解説します。

文・宮嶋 極(音楽ジャーナリスト、スポーツニッポン新聞社 編集局次長兼文化社会部長)

 「東京春祭ワーグナー・シリーズ」で上演される《ラインの黄金》のステージをより深く楽しんでいただくために物語と音楽を同時並行的に追いながら、ワーグナーがそこに込めたメッセージについて考えていきます。第3回となる本稿では、《ラインの黄金》後半の第3場と第4場の終わりまでを詳しく紐解いていきます。台本の日本語訳については、日本ワーグナー協会監修 三光長治/高辻知義/三宅幸夫/山崎太郎 翻訳「ワーグナー 舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』序夜 ラインの黄金」(白水社)を、譜面はドーバー社刊のフル・スコアとPETERS版のピアノ&ボーカル・スコアを参照しました。なお、原稿中で紹介するライトモティーフ(示導動機)の呼称については、上記翻訳を参考にしつつ、より分かりやすい名称で表記します。さらに本作のみならず『ニーベルングの指環』全体で頻繁に登場する重要動機については、譜例に印を付けていきます。

第3場

 地底の国ニーベルハイムでは、アルベリヒが指環の魔力を使って地下帝国を築き上げていた。アルベリヒは弟で鍛冶職人のミーメの耳を掴んで側坑から引きずり出し、隠れ頭巾を取り上げる。隠れ兜と訳されるケースもあるが、ここでは鉢型の兜ではなく、中世の西洋の騎士が使用していたような、鎖帷子に似た被り物の方がイメージに近いと思われる。

 この頭巾を被ると姿を消したり、どんなものにも変身したりできるのだ。ここでホルンが「隠れ頭巾の動機」(譜例㉔)を弱く奏でる。隠れ頭巾を被ったアルベリヒが呪文を唱えるとその姿はたちまちにして消えてしまい、ミーメは透明になった兄からムチ打たれて、さらにこき使われる。アルベリヒは自らが手にした強大なパワーを誇示、オーケストラは「ニーベルング族の動機」(譜例㉓)を強奏する。弦楽器やティンパニなどが「ニーベルング族の動機」を力強く演奏している背後で、バス・トロンボーン、バス・テューバ、コントラバスといった低音楽器が「苦痛の動機」(譜例㉕)を重層的に響かせる。


譜例24

譜例23


譜例25

 ニーベルハイムに降りてきたヴォータンとローゲは、ミーメからアルベリヒの恐怖支配の実態を聞き出す。そこに「ニーベルング族の動機」とともにアルベリヒが再び現れる。アルベリヒは財宝で山を築かせ悦に入っていたが、ヴォータンとローゲの姿に不快感を示す。アルベリヒは神々の長であるヴォータンを恐れるどころか、逆にヴォータンを挑発する。財宝や指環のこと、隠れ頭巾のことなどを自慢気に語る場面では、コントラファゴット、バス・クラリネットなどによって「財宝の動機」(譜例㉖)が低く反復される。  ヴォータンが怒りを爆発させる寸前でローゲが「ローゲの動機」(譜例⑱)と「ヴァルハルの動機」(譜例⑩)に乗せてアルベリヒの機嫌を取り持つようなおどけた調子で語り始める。


譜例26


譜例18


譜例10

 アルベリヒはローゲの口車に乗せられて、隠れ頭巾の魔力を誇示するため、最初に大蛇に変身してみせる。バス・テューバによって吹奏される不気味な旋律が「大蛇の動機」(譜例㉗)。調子に乗ったアルベリヒは驚いたふりをするローゲに騙されて、小さなカエルに姿を変えてしまう。コールアングレとクラリネットがカエルのぴょこぴょこ動くさまを表す(譜例㉘)。この音型を「カエルの動機」と呼ぶことはあまりない。ローゲはすかさずカエルを捕まえ縛り上げると、隠れ頭巾もむしり取ってしまった。元の姿に戻ったアルベリヒは「まんまと罠にはまってしまった!」と悔しがるが後の祭り。囚われの身となり、地上へと連行されていく。

 この場面ではニーベルハイムに降りて来た際と逆の順番で動機が次々に演奏され、彼らが来た道を引き返して地上へと向かっていることが巧みに表現される。


譜例27


譜例28

第4場

 地底から連れ出されたアルベリヒにヴォータンは、指環の魔力を使って得た莫大な財宝をすべて差し出すよう要求する。自由を奪われたアルベリヒは逆らえず、地下のニーベルング族たちに命令し財宝を運び出させる。「財宝の動機」と「ニーベルング族の動機」が絡み合い、ニーベルング族たちが、地下から財宝を運び出す様子が音楽でも表現される。屈辱にまみれたアルベリヒだったが、財宝をすべて渡したとしても指環さえ手放さなければ再び財宝など手に入れることは簡単と考える。

 ところが、ローゲが隠れ頭巾の返却を拒否、続いて「槍の動機(契約の動機)」(譜例⑰)とともにヴォータンが無理やり指環をも奪い取る。それによってようやく自由を取り戻したアルベリヒは、クラリネットによる「怨念の動機」(譜例㉙)をバックに怒りと絶望を交錯させ独白を始める。ホルンがゲシュトプフト奏法で不気味な雰囲気を醸し出す。ゲシュトプフト奏法とは、ホルンの朝顔の開口部を拳で蓋をするようにすることで、くぐもった音を出す奏法。ワーグナーのほか、マーラーもいくつかの交響曲の中で効果的に活用している。アルベリヒは「この指環を持つ者が招くのは富ではなく死の手先、死神の虜となって恐怖のあまり震え出す。呪いの効力はこの手を離れた指環が再びこの手に戻るまで続く!」と指環に呪いをかけて憎悪を露わにしながら去っていく。


譜例17


譜例29

2013年バイロイト音楽祭《ラインの黄金》ファフナーとファーゾルト

© Bayreuther Festspiele / Enrico Nawrath

 アルベリヒが去るとファーゾルトとファフナーがフライアを連れて戻ってくる。オーケストラではティンパニが「巨人族の動機」(譜例⑫)の変形のような付点音符のリズムを繰り返すのに乗せて「黄金のリンゴの動機」(譜例⑯)をホルンから始まり、木管楽器各パートへと増幅させていく(譜例㉚)ことで、音楽面からもフライアが巨人兄弟に連れられて次第に近付いてくる様子が生き生きと描写されていく。兄弟はヴォータンにフライアの姿がスッポリ隠れるほどの財宝を要求。ローゲはフライアの身長と同じ高さの杭を左右に立てて、その間に地下から運び出させた財宝を積み上げていく。オーケストラは「契約順守の動機」(譜例⑮)と「ニーベルング族の動機」を演奏する。すべての宝が積み上げられ、フライアの姿は見えなくなるが、ファフナーは髪の毛が少しはみ出ていると難癖をつけて隠れ頭巾も要求する。フライアを諦めきれないファーゾルトは宝の隙間からフライアの瞳が見えると言い出すと「フライアの動機」がオーボエで演奏される。さらにファフナーはその隙間を埋めるために指環も寄こせと迫るが、ヴォータンは意に介さない。フライアは必死に助けを求めフリッカらも指環を渡すようヴォータンに頼むが「指環だけはやれぬ!」と頑として聞き入れない。

譜例30

譜例12


譜例16


譜例15

2013年バイロイト音楽祭《ラインの黄金》エルダの登場場面

© Bayreuther Festspiele / Enrico Nawrath

 すると突然時間が止まったような状態となり「エルダの動機」(譜例㉛)とともに智の神エルダが現れる。エルダは「神々の黄昏」が近付いているとし、ヴォータンに呪いのかかった指環を手放すように忠告する。彼女が黄昏について言及する背後でヴァイオリンとヴィオラが奏でるのが「黄昏の動機」(譜例㉜)。「エルダの動機」を裏返しにしたような音形だが、いずれも「生成の動機」から発展したモティーフである。


譜例31


譜例32

 また、この場面のように物理的な時間の流れがストップしてしまうシーンは、ワーグナーの他の作品でもしばしば見られる。《ローエングリン》第2幕5場や《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第3幕第4場の終盤などが好例で、舞台上の登場人物たちの心中などをそれぞれの独白が絡み合うアンサンブルに仕立てて聴かせる見事な手法といえよう。

 エルダの忠告を受けヴォータンは結局、指環を兄弟に渡し、フライアは無事神々のもとに戻される。

 ところが、指環を手に入れた兄弟がたちまち争いを始め、弟のファフナーは兄ファーゾルトをこん棒で撲殺してしまう。ここでトロンボーンの強奏による「呪いの動機」(譜例㉝)が鳴り響き、早くもアルベリヒの呪いが現実のものとなったことを強烈に印象付ける。


譜例33

 指環にかけられた呪いが現実のものとなり、この不吉な空気を振り払うためにドンナーが雷を起こし、フローがヴァルハル城に向けて虹の橋を架ける。城は今や神々のもの。「ヴァルハルの動機」が厳かに響く中、ヴォータンが初めて「ヴァルハル」という城の名前を明かし、次回《ヴァルキューレ》を予告するかのように「ノートゥング(剣)の動機」(譜例㉞)がトランペットで高らかに奏される。そんな華々しい雰囲気に水を差すかのように、ラインの乙女たちが黄金を奪われて嘆き悲しむ声が川底から聞こえてくる。ヴォータンはこれを無視、ヴァルハル城に歩みを進める。そんな彼らの姿にローゲはこれから先の「神々の黄昏」を予見、最後は自らの炎がすべてを焼き尽くすことを示唆して姿を消す。以降、「ローゲの動機」は何度も登場するが、ローゲ自身が舞台上に姿を現すことはない。それらをかき消すかのように大編成のオーケストラが全開となる「ヴァルハル城への神々の入場」の音楽とともに、神々は虹の橋を渡り入城していき、ここから始まる長大な物語のプロローグは幕を閉じる。

 ちなみにこの場面、オーケストラ・スコアの総段数はなんと! 30段にもなり、多数の楽器が重層的に紡ぎ出す壮大な音楽はこれ以前のワーグナー作品だけではなく、同時代のあらゆる作曲家に比べても、圧倒的なスケール感をもって観客・聴衆に迫る素晴らしいものといえる。第一夜《ヴァルキューレ》への期待が、嫌が上にも高まる幕切れといえよう。


譜例34

 ここまで、《ラインの黄金》について音楽と物語を同時並行的に追いながら詳しく紹介してきました。1幕4場、約2時間半の作品の中で留意すべきライトモティーフが33(譜例は34)、その後の作品にもしばしば使用されるとしてを付けて一層注目すべき動機としたものが14もあったことでもお分かりいただけると思いますが、『ニーベルングの指環(リング)』全体で使用されるライトモティーフのうち、かなりの数が本作の中で提示されているのです。従って《ラインの黄金》をしっかりと聴き込むことによって、ここに登場するライトモティーフを自然に覚えてしまえば、『リング』全体を楽しんで観賞できるようになるための有効な"近道"になると筆者は考えます。本稿が、そうした"近道"への道標としてお役に立つことが出来たとしたら幸いです。4月5日、7日、東京文化会館で行われる公演をどうぞ、お楽しみください。

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〜関連公演〜

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