HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2015/12/14

連載《ジークフリート》講座
~《ジークフリート》、そして『リング』をもっと楽しむために vol.1

音楽ジャーナリスト・宮嶋 極氏による恒例のオペラ鑑賞講座。今年度は、ワーグナー作曲『ニーベルングの指環』(通称『リング』)の第2日《ジークフリート》を紹介していきます。連載初回では《ジークフリート》の概要を解説します。

文・宮嶋 極(音楽ジャーナリスト)


 リヒャルト・ワーグナーのオペラや楽劇を毎年1作ずつ、演奏会形式で上演していく「東京春祭ワーグナー・シリーズ」で2014年からスタートした『ニーベルングの指環(リング)』ツィクルス上演、2016年は《ジークフリート》の登場です。演奏は《ラインの黄金》《ワルキューレ》で好評を博したマレク・ヤノフスキ指揮、NHK交響楽団が引き続き担当します。ヤノフスキは2016年のバイロイト音楽祭で『リング』を指揮することが決まっており、一層気力漲る演奏が期待されます。このステージをより深く楽しんでいただくために、本稿では物語と音楽を同時並行的に追いながら、ワーグナーがそこに込めたメッセージについて考えていきます。多くの方に《ジークフリート》の魅力を理解していただけるよう、これまで筆者が取材した指揮者や演出家らの話なども参考にしながら、4回に亘って進めていきます。なお、台本の日本語訳については、日本ワーグナー協会監修 三光長治/高辻知義/三宅幸夫 翻訳「ジークフリート:舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』第2日」(白水社)を、譜面はドーバー社刊のフル・スコアとショット社版のピアノ&ボーカル・スコアを参照しました。

《ジークフリート》概説

 いきなり私事で恐縮だが、この十数年の間、毎年バイロイト音楽祭に取材で訪れるなどしていると、音楽好きの友人から「ワーグナー作品の中で一番好きなのは何?」と聞かれることがよくある。「全部!」というのが本心ではあるが、それでは何の愛想もないので、そんな時には必ず「《ジークフリート》ですよ」と答えている。恐らく《神々の黄昏》とか《ワルキューレ》、あるいは《トリスタンとイゾルデ》あたりの答えが返ってくると踏んでの問いかけなのだろうか、大抵の場合、相手は少し怪訝な表情を浮かべながら「なぜ?」と重ねて訊ねてくることが多い。そこで私は以下のような理由を挙げて説明することにしている。


① 《ジークフリート》はワーグナーの舞台作品の中でストーリー、音楽の両面において唯一といってもいいほどの前向きな推進力に満ちあふれている。

② 大編成のオーケストラを駆使しながら、まるで室内楽のような精妙なアンサンブルが随所に繰り広げられ、それがえも言われぬロマンティックな感覚をもたらしてくれる。

③ 第3幕以降は前項とは逆に重層的で濃厚な、いかにもワーグナーらしい音楽へと変化し、堂々たるクライマックスを構築している。

④ 《神々の黄昏》におけるジークフリートとブリュンヒルデの行く末はともかくとして、とりあえずはあまり難しいことを考えずに幸せな気分で劇場を後にすることができる。


 これらの理由は、私の個人的な見解というよりも《ジークフリート》という作品の性格を表わす上でよく語られることを集約したものなので、あえてここに記した次第である。

 ワーグナーは生前、『リング』について4部作のツィクルス上演を原則としていたものの、「《ジークフリート》は最も人気を博すだろうから、単独上演されることも止むを得ない」という趣旨のことを語っていたとされる。現代において4部作の中で単独上演される機会が多いのは《ワルキューレ》であることは周知の通りだが、ワーグナー自身は《ジークフリート》に特別の思い入れを持っていたことを窺わせるエピソードといえよう。

Illustrated by Arthur Rackham
ジークフリートが
眠れるブリュンヒルデを見出す

 さらに本作初演前の1870年12月にワーグナーが妻のコジマへのバースデー&クリスマス・プレゼントとしてこの作品と共通するいくつかの旋律をモティーフにした室内オーケストラのための《ジークフリート牧歌(原題は「フィーディーの鳥の歌とオレンジ色の日の出を伴うトリープシェン牧歌」)》を捧げていることにも注目したい。コジマ夫人は前年に長男ジークフリートを出産しており、フィーディーとは息子ジークフリートの愛称である。長男に楽劇の主人公と同じ名前を授け、妻と長男への想いを込めた《トリープシェン牧歌》の旋律を楽劇のクライマックスで効果的に使用している。この事実を見ても、ワーグナーの想いの中で《ジークフリート》が他とは異なる位置付けがなされた特別の作品であったことは想像に難くはないだろう。

 第一夜《ワルキューレ》でヴェルズング族の双子の兄妹、ジークムントとジークリンデの間に授かった命が両親の死後、ニーベルング族のミーメによって育てられ、恐れを知らぬ少年ジークフリートに成長している。少年から青年へと成熟する過渡期にあるジークフリートは、森の熊をも自在に操れるほどの怪力と勇猛果敢さを持ち合わせてはいるものの、精神的にはまだ子供の状態。無鉄砲で暴れん坊の少年がさまざまな試練を乗り越えながら、鳥の導きで神々の長ヴォータンによって眠らされたブリュンヒルデと出会い、青年としての、そして大人の男性としての自我を芽生えさせ、恐れを知っていくという成長物語である。

 一方、ジークフリートはヴォータンの孫にあたるわけで、祖父の狙い通り無敵の魔力が込められた剣ノートゥングを鍛え直し、世界を支配する力を持つラインの黄金で作られた指環を大蛇に変身した巨人族のファーフナーから見事奪還してみせるのである。しかし、その先はヴォータンのシナリオ通りに事が運ぶのかどうか、これから3幕9場に亘る本作を幕ごとに順を追って考察しながら考えていきたい。

Illustrated by Arthur Rackham
ノートゥングを鍛え直した
ジークフリート

 なお、『ニーベルングの指環』の総論及びライトモティーフ等の説明に関しては、2014年の連載《ラインの黄金》の第1回で詳述しているので、バックナンバーをクリックしてご参照いただきたい。また、譜例の整理番号を《ジークフリート》連載では新たに①からスタートする形にしており、《ラインの黄金》《ワルキューレ》で既出の動機であっても、本稿では改めて整理番号を付けていきます。

創作の経緯

 ワーグナー自身が「3日と、ひと晩の序夜のための舞台祝典劇」とした『ニーベルングの指環』は、プロローグと3つの楽劇からなる舞台作品。プロローグに当たる序夜が《ラインの黄金》、第1夜《ワルキューレ》、第2夜《ジークフリート》、そして第3夜の《神々の黄昏》で完結する構成となっている。作曲、台本執筆ともにワーグナー自身が行なった。台本は1848年から1852年にかけて《神々の黄昏(原題・ジークフリートの死)》→《ジークフリート(同・若き日のジークフリート)》→《ワルキューレ》→《ラインの黄金》の順で書かれ、音楽は台本がほぼ完成した後、1854年から1874年までの間に《ラインの黄金》から逆の順番で作られた。

 《ジークフリート》の最大の特徴は当初、1856年から翌年にかけて作曲が行なわれたものの、4部作を通しての上演のめどがまったく立たなかったことや経済的な困窮、体調不良などから第2幕第2場までで、いったん筆をおいてしまったことである。ワーグナーは57年6月に友人のフランツ・リストに宛てて「私はジークフリートを人のいない森に連れて行き、菩提樹の木陰に置き去りにした」との旨を記した手紙を送っている。

 中断は実に12年間にも及び、ワーグナーはその間に《トリスタンとイゾルデ》と《ニュルンベルクのマイスタージンガー》を完成させている。《トリスタン》における半音階進行を始めとする新たな"引き出し"を複数掌中にしたワーグナーは、まさに円熟した手腕を存分に発揮して《ジークフリート》最終盤の音楽を書き上げたのであった。音楽面の充実は劇中におけるジークフリートの成長ぶりと歩みを合わせているかのようで、聴いていて違和感はなく、それどころか劇的効果を一層高めることに繋がっている。

 初演は『リング』のツィクルス上演が初めて実現した第1回バイロイト音楽祭(祝祭)の1876年8月16日。バイロイト祝祭劇場でワーグナー自身の演出、ハンス・リヒターの指揮によって行なわれた。この時、《ラインの黄金》は13日、《ワルキューレ》は14日、《神々の黄昏》は17日に上演されている。

☆作品データ
作曲:
1856~57年、69~71年
台本:
1851年、作曲家自身の手によるドイツ語のオリジナル台本
初演:
1876年8月16日、バイロイト祝祭劇場(指揮:ハンス・リヒター)
設定:
神話時代。森の中の洞窟(第1幕)
     森の奥(第2幕)
     荒涼とした岩山の麓と岩山の頂上(第3幕)
☆登場人物
ジークフリート
ジークムントとジークリンデの息子。恐れを知らない無敵の勇者。
ミーメ
地底に住むニーベルング族でアルベリヒの弟。ジークフリートを育て、彼の力を利用して指環の奪取を密かに画策している。
さすらい人
神々の長、ヴォータン。この作品では"実名"での登場はない。
アルベリヒ
ニーベルング族。世界を支配する魔力を秘めた指環をライン川の底に眠っていた黄金で作るも、ヴォータンとローゲの姦計にはまって奪われる。指環の持ち主に死をもたらす呪いをかけた。
ファーフナー
巨人族の弟。兄ファーゾルトと指環を奪い合い、殺害後、森の洞窟内で"隠れ頭巾"を使って大蛇に姿を変えて指環や宝を守っている。
ブリュンヒルデ
ヴォータンと智の女神エルダとの間に生まれた娘。前作では父の命に背いたため神性を剥奪され岩山の山頂に眠らされた。炎に包まれたこの岩山は真の勇者だけが登り頂に到達することができる。
エルダ
智の女神。ヴォータンとの間にブリュンヒルデら9人の娘(ワルキューレ)を誕生させた。ヴォータンに危機が迫っていることを警告する。
森の鳥
何も知らないジークフリートにさまざまな情報を与えて導く。

☆オーケストラ楽器編成

フルート4(2本はピッコロ持ち替え)、オーボエ4(1本はコールアングレ持ち替え)、クラリネット4(1本はバス・クラリネット持ち替え)、ファゴット3(1本はコントラ・ファゴット持ち替え)、ホルン8(4本はワーグナー・テューバ持ち替え)、トランペット3、バス・トランペット1、トロンボーン4(1本はバス・トロンボーン)、テューバ1、ティンパニ2、シンバル、タムタム、トライアングル、グロッケンシュピール、ハープ6、弦5部(16・16・12・12・8)



 次回は第1幕を詳しく紐解いていきます。


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