HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2017/02/13

連載《神々の黄昏》講座
~《神々の黄昏》、そして『リング』をもっと楽しむために vol.4

音楽ジャーナリスト・宮嶋 極氏による恒例のオペラ鑑賞講座。今年度は、ワーグナー作曲『ニーベルングの指環』(通称『リング』)の第3日《神々の黄昏》を4回に分けて紹介していきます。連載第4回(最終回)では、クライマックスの第3幕を取り上げます。

文・宮嶋 極(音楽ジャーナリスト)

 《神々の黄昏》のステージをより深く楽しんでいただくために、物語と音楽を同時並行的に追いながら、ワーグナーがそこに込めたメッセージについて考えていきます。第4回は『ニーベルングの指環(リング)』全作のクライマックスとなる第3幕を紐解いていきます。なお、台本の日本語訳は、日本ワーグナー協会監修 三光長治/高辻知義/三宅幸夫 翻訳「ワーグナー 舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』第3日 神々の黄昏」(白水社)を、譜面はドーバー社刊のフル・スコアを参照しました。原稿中で紹介するライトモティーフ(示導動機)の呼称については、上記翻訳を参考にしつつ、より分かりやすい名称で表記します。また、譜例の整理番号については《神々の黄昏》全作の通し番号として、①からスタートする形にしており、前3作で既出の動機であっても本稿では改めて整理番号を付けています。

 ワーグナー作品上演の"総本山"とされるバイロイト音楽祭で『ニーベルングの指環(リング)』全4作は6日間かけてツィクルス上演される。《ワルキューレ》と《ジークフリート》の間、《ジークフリート》と《神々の黄昏》の間に、それぞれ1日ずつ"休演日"が設けられているからだ。"リング休演日"の祝祭劇場では、別の作品が上演されることが多いのだが、いずれにしても『リング』の観客・聴衆にとっては、かなりの時間をかけてこの壮大な物語に向き合うことになる。バイロイトでは開演の合図として、祝祭劇場正面のバルコニーから金管楽器のアンサンブルで、これから始まる幕に登場する代表的なライトモティーフが演奏される。《神々の黄昏》第3幕の前は「ヴァルハルの動機」(譜例⑥)が定番。午後4時の開演から休憩も含めてここに至るまで約5時間、あたりはすっかり暗くなっている。暗闇に響きわたる「ヴァルハルの動機」を聴くと毎回、何とも言えない感慨に浸ってしまうのは筆者だけではないはずだ。

譜例⑥

【第3幕】

 前奏の調性はヘ長調。ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」を思い浮かべていただくと分かりやすいが、のどかな雰囲気を醸しだす効果を持つ。第2幕の重苦しく緊迫した幕切れから一転、第3幕は穏やかな空気感を漂わせた幕開けとなる。このへんの大胆な転換もワーグナーならではの巧みさといえよう。

 ジークフリートとハーゲンらギービヒ家の一行による勇壮な狩の様子をオーケストラだけで表現。「ジークフリート角笛の動機」(譜例⑮)がホルンで力強く演奏されると、それに応えて「苦痛の動機」(譜例㊵)と「ギービヒの角笛の動機」(譜例㉜)が聞こえてくる。

譜例⑮

譜例㊵

譜例㉜

 次に《ラインの黄金》冒頭に回帰するかのように、ホルンが1本ずつ増えていきながら全8本になるまで「(自然の)生成の動機」(譜例㊶)を奏でる。さらに「ラインの乙女の動機」(譜例㊷)などが現れ、狩で獲物を追い走り回るうちにジークフリートがライン河の側までやってきたことが音楽によって描かれる。

譜例㊶

譜例㊷

[ 第1場 ]

 幕が開くと、舞台はライン河の畔。3人のラインの乙女たちが指環を取り戻すためにジークフリートをここに差し向けるように、と太陽に願をかけている。それが通じたのか、遠くから角笛が鳴り響き、ジークフリートがやって来る。乙女たちはジークフリートを半分からかいながら、指環の返却を求めていく。指環を欲しがって戯れる乙女たち。オーケストラからは「ラインの黄金の動機」(譜例㊲)が繰り返し聴こえてくる。ジークフリートはいったん指環を渡す気になるが、乙女たちは指環に呪いがかかっており、所有する者には必ず死が訪れると警告する。その背景でトロンボーンが「呪いの動機」(譜例⑧)を響かせる。ジークフリートは「もういい加減にしろ。脅しなどにはのらないぞ。この指環は世界を支配する力をもたらしてくれるというが、俺は愛の恵みのためなら手放してもいいぜ。どうだ、お前たちのひとりが愛欲の喜びをもたらしてくれるなら指環をやってもいいぞ。でもこの身の命に関わると脅すなら指環は手放さない」と返還を拒否。乙女たちはあきらめて「さようなら! ジークフリート! 性悪なあなたの宝はきょうにも誇り高い女性が相続するはず」と言い残して姿を消す。

譜例㊲

譜例⑧

[ 第2場 ]

 「ギービヒの角笛の動機」と「ジークフリート角笛の動機」が交錯し音楽が高揚したところで、森の中からギービヒ家の男たちの呼び声が響き、ジークフリートが「ホイヘー!」と応じる。グンター、ハーゲンらの一行がジークフリートと合流する。ここで休憩を取り酒盛りを始める一行だが、グンターは前幕でのブリュンヒルデの言動にショックを受け、元気がない。ハーゲンが「あなたは鳥の歌う言葉を理解できると聞いたが本当か?」と仕向けると、ジークフリートは「俺の若い頃の話を歌って聞かせよう」とグンターを励ますためにも、これまでの出来事を詳しく語り始める。

 彼はミーメに養育され、ノートゥングを自ら鍛え直したことから始まる話の内容に沿って、オーケストラは「小鳥の動機」(譜例㊸)、「ニーベルングの動機」(譜例㊹)、「剣(ノートゥング)の動機」(譜例㊺)、「森のささやきの動機」(譜例㊻)、「指環の動機」(譜例㉘)などの関連するモティーフを回想するように奏でていく。途中、ハーゲンは記憶を呼び醒す薬を入れた酒を、さり気なくジークフリートに飲ませる。ここでは魔法を象徴する「隠れ頭巾」(譜例㊼)の動機が現れる。鳥の声に導かれて岩山へ向かったと話すうちに、ブリュンヒルデとの出会いを思い出し一同に明かしてしまう。弦楽器が「ジークフリート愛の動機」(譜例⑫)を高らかに奏でる。グンターは大きなショックを受ける。ハーゲンは間髪を入れず、飛び去る2羽の大ガラスにジークフリートの注意を向けさせ、ジークフリートが後ろを振り向いたすきに、その背中を槍で突き刺す。金管楽器による「苦痛の動機」と「呪いの動機」が重なり合う。「ジークフリートの動機」(譜例⑲)に続いて「死の動機」(譜例㊽)が演奏され、そのリズムに合わせてギービヒ家の家臣たちが「ハーゲン、何をするんだ!」と問い詰める。ハーゲンは「偽りの誓いを罰したのだ」と言い放つ。

譜例㊸

譜例㊹

譜例㊺

譜例㊻

譜例㉘

譜例㊼

譜例⑫

譜例⑲

譜例㊽

 ホルンと木管による「目覚めの動機」(譜例①)とともに、楽劇《ジークフリート》第3幕第3場の音楽が再現され、彼の記憶と思いが鮮明に蘇ったことが表される。しかし、時すでに遅し。「ブリュンヒルデがあいさつをしている......」と瀕死の息の中で言葉を絞り出すジークフリート。「ヴェルズング苦難の動機」(譜例㊾)にティンパニによる「死の動機」が折り重なり、彼の絶命が示される。

譜例①

譜例㊾

 ティンパニに金管楽器も加わって「死の動機」がフォルティシモで強奏され、「ジークフリートの葬送行進曲」が始まる。「死の動機」に「ヴェルズング族の動機」(譜例50)が続き、「ジークムントの嘆きの動機」(譜例51)、「ジークリンデの動機」(譜例52)を経て、「剣の動機」が本来の調であるハ長調で輝かしくトランペットで吹かれ、それを受けてホルンが「ジークフリートの動機」をさらに力強く演奏。「ジークフリート英雄の動機」(譜例⑪)に至るまで、さまざまなライトモティーフが次々に現われて音楽が重層的に構築されていく。最後に「呪いの動機」が聴こえてくると「ジークフリート英雄の動機」が短調に転じて、音楽は静まっていく。この音楽も演奏会で独立して取り上げられることが多い傑作だ。

譜例50

譜例51

譜例52

譜例⑪

[ 第3場 ]

 舞台は再びギービヒ家の館。不吉な胸騒ぎを覚えるグートルーネ。ブリュンヒルデがこつ然と姿を消したことも彼女の不安に拍車をかける。そこへハーゲンに率いられてジークフリートの亡骸を担いだ一行が帰ってくる。ショックを受けたグートルーネは、兄グンターに詰め寄る。グンターはハーゲンの犯行だと明かすが、開き直ったハーゲンは、ジークフリート殺害はグンターの花嫁に手をつけた裏切りへの正当な処罰であり、指環は自分のものだと主張する。

 これに対してグンターは、指環は妻であるグートルーネが相続すべきであり、ギービヒ家のものだと主張し、ニーベルングの息子であるハーゲンに指環を所有する資格はないと拒む。トロンボーンによる「呪いの動機」が鳴り響くや否や、ハーゲンはグンターに襲いかかって殺害してしまう。この醜い争いによる殺害劇も指環にかけられた呪いによるものだった。

 そしてハーゲンがジークフリートの亡骸から指環を外そうと近づくと、「剣の動機」とともにジークフリートの手がまるで生きているかのように持ち上がり、外されることを許さない。

 そこへ、威厳を取り戻したブリュンヒルデが登場する。「神々の黄昏の動機」(譜例53)に続いて、ゆっくりとしたテンポで「智の神エルダの動機」(譜例③)が演奏される。ブリュンヒルデが人間を超越し、神性を取り戻したとも受け取れる動機の使われ方だ。ブリュンヒルデはグートルーネに対して「私は彼の正当な妻です」とキッパリと宣言。グートルーネは、ジークフリートに薬を飲ませて忘れさせた女性がブリュンヒルデだったことに気がつく。

譜例53

譜例③

 ここからいよいよ「ブリュンヒルデの自己犠牲」の音楽。ブリュンヒルデはギービヒ家の家臣たちに河畔に薪を積み上げるよう命じ、ジークフリートの亡骸を薪の上に運ばせる。指環を手に取ったブリュンヒルデは、ラインの乙女たちに返すと語る。トロンボーンが「契約(槍)の動機」(譜例㉒)を強奏すると、ブリュンヒルデはカラスに「飛んで帰り、主人に伝えなさい。ここラインで聞いたことを」と命じる。続いて「ローゲ(火)の動機」(譜例54)が現れ、「そこで炎を上げているローゲをヴァルハルに向かわせなさい。今、神々の黄昏が始まろうとしている」と呼び掛けると同時に松明を投じ、薪を燃え上がらせる。ブリュンヒルデは「ワルキューレの動機」(譜例⑬)とともに愛馬グラーネにまたがって、その炎の中に飛び込む。

譜例㉒

譜例54

譜例⑬

 ここからは前述したとおり、オーケストラによる交響詩のような展開に。すべての情景や出来事を音楽に語らせる。ギービヒ家の館が炎上し、ライン河は氾濫。その濁流に指環が流され、それを取りにラインの乙女たちが姿を現すと、ハーゲンは「指環から離れろ!」と絶叫するが、流れに巻き込まれていく。これが長い『リング』の物語の最後の言葉となる。指環はようやく乙女たちの手元に戻った。ブリュンヒルデの自己犠牲によって呪いは解かれ、すべては救済されたのだ。

 オーケストラは「ヴァルハルの動機」「救済の動機」などを重層的に絡ませて繰り返し演奏。その混沌の中から「ヴァルハルの動機」だけを際立たせるようにトゥッティで強奏され、ヴァルハル城の炎上と神々の世界の終焉の瞬間が描かれる。さらに金管楽器によって「ジークフリートの動機」が高らかに演奏され、英雄の存在をもう1度強調した後、弦楽器が「愛の救済の動機」(譜例55)を美しく奏でる。この動機は《ワルキューレ》第3幕で、絶望していたジークリンデがジークムントの子供(ジークフリート)を妊娠していることを知り、喜びを爆発させた際に使われたのと同じ旋律である。ここでの調性は変ニ長調(Des-dur)。変ニ長調といえば、《ラインの黄金》で初めて「ヴァルハルの動機」が演奏された際の調性でもある。以降、『リング』全作に亘ってヴォータンを象徴する響きとして何度も使われている。これらの一致はいったい何を意味しているのだろうか。ワーグナーがここに込めたメッセージは、少なくとも絶望ではなく希望であることだけは間違いないようだが、誰の何についての希望なのかは、観客・聴衆ひとりひとりが考えるべきことなのかもしれない。

譜例55

 「愛の救済の動機」のメロディが穏やかに消え入ってゆき、長大な『リング』の幕は閉じられる。言葉のない音楽のみによる大団円は、観る者・聴く人にさまざまな思いと示唆を与えてくれるのである。

 4回に亘ってご紹介してきた《神々の黄昏》、そして4年連続で紐解いてきた『ニーベルングの指環』の解説もこれで終わりとなります。バイロイトでも『リング』を指揮し、高い評価を得ているマレク・ヤノフスキが指揮するNHK交響楽団、世界の第一線で活躍するワーグナー歌手が集結する東京春祭ワーグナー・シリーズのステージは、ワーグナーの真髄に迫る素晴らしいものとなるでしょう。その鑑賞に際して、私の拙稿が少しでもお役に立てたとしたら幸いです。ご愛読、ありがとうございました。


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