HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2017/01/15

連載《神々の黄昏》講座
~《神々の黄昏》、そして『リング』をもっと楽しむために vol.3

音楽ジャーナリスト・宮嶋 極氏による恒例のオペラ鑑賞講座。今年度は、ワーグナー作曲『ニーベルングの指環』(通称『リング』)の第3日《神々の黄昏》を4回に分けて紹介していきます。連載第3回では「第2幕」を解説します。

文・宮嶋 極(音楽ジャーナリスト)

 《神々の黄昏》のステージをより深く楽しんでいただくために、物語と音楽を同時並行的に追いながら、ワーグナーがそこに込めたメッセージについて考えていきます。第3回となる本稿では、第2幕を紐解きます。なお、台本の日本語訳は、日本ワーグナー協会監修 三光長治/高辻知義/三宅幸夫 翻訳「ワーグナー 舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』第3日 神々の黄昏」(白水社)を、譜面はドーバー社刊のフル・スコアを参照しました。原稿中で紹介するライトモティーフ(示導動機)の呼称については、上記翻訳を参考にしつつ、より分かりやすい名称で表記します。また、譜例の整理番号については《神々の黄昏》全作の通し番号として、①からスタートする形にしており、前3作で既出の動機であっても本稿では改めて整理番号を付けています。

【第2幕】

 上演にかかる時間が正味15時間以上の大作である『ニーベルングの指環(リング)』であるが、この幕になって初めて合唱が登場する。《ラインの黄金》冒頭からここに至るまで、少なくとも12時間以上が経過しているだけに、迫力満点のコーラスの登場は観客・聴衆に視覚・聴覚の両面で一種独特の解放感をもたらす。ギービヒ家の家臣たちが、その場の状況や雰囲気を言葉で表わし、劇的な緊張感を盛り上げていくのだが、こうした合唱の使い方は《ローエングリン》とも似ている。しかし《神々の黄昏》では、合唱の声部が《ローエングリン》とは比較にならないほど複雑になっていることに加えて、拍子も目まぐるしく変化していくほか、多彩な技巧も要求されている。さらにオーケストラが合唱に並行して重層的にさまざま事柄や登場人物の感情を表現。歌手、合唱、オーケストラが三位一体となって多層的に絡み合いながら圧巻の音場を構築していく。

[ 第1場 ]

 ニーベルング族を象徴する変ロ短調(b-moll)の和音(譜例㉖)で始まる陰鬱な雰囲気の29小節からなる前奏。変ロ短調は弦楽器で弾いた場合、開放弦が極端に少なくなるためオーケストラ作品で使われることは多くはない。重苦しい雰囲気が醸し出される効果があり、《葬送行進曲》として有名なショパンのピアノ・ソナタ第2番、ドヴォルザークの《レクイエム》、バーバーの《弦楽のためのアダージョ》などの作品で採用されている。ここでは、ジークフリートとブリュンヒルデに待ち受ける暗い運命を暗示しているのか、それともニーベルング族のアルベリヒによって指環にかけられた呪いの重苦しさを表わしているのか。恐らくその両方であろう。

譜例㉖

 幕が開くとギービヒ家の館でハーゲンが柱にもたれかかり、まどろみながら見張りを続けている。そこに父アルベリヒが現れる。まどろむハーゲンの夢の中の出来事なのか、それとも現実なのか定かではない。そもそもこの時点でのアルベリヒの生死も不明である。弦楽器が重苦しくシンコペーションのリズム(譜例㉗)を刻む中で、2人の"対話"が繰り広げられていく。ワーグナーの作品でこうしたシンコペーションが使われる場合、大抵、登場人物の迷いや心理的な動揺、精神的な揺らぎを表わしていることが多い。やはりアルベリヒの登場は、ハーゲンの精神の中での出来事なのだろうか。アルベリヒは「恨みとねたみこそが、我々に共通するエネルギーである」と言い、ハーゲンに世界を征服するために指環の奪還を誓わせようとする。「呪いの動機」(譜例⑧)や「指環の動機」(譜例㉘)とともに「殺人の動機」(譜例㉙)が何度か現れては消えていく。ハーゲンは「心配無用だ」と答える。

譜例㉗

譜例⑧

譜例㉘

譜例㉙

[ 第2場 ]

 バス・クラリネットの導入にホルンが1本ずつ加わっていき、全8本になるまで和音(譜例㉚)を膨らませていくことで、夜が次第に明けていく様子を巧みに描いた間奏。夜明けとともにジークフリートが「ジークフリート角笛の動機」(譜例⑮)とともに帰還。ブリュンヒルデの拉致がうまくいったことを誇らしげにハーゲンに話す。一方、ブリュンヒルデと一夜を共にしたのではないかと早くも嫉妬心を燃やすグートルーネ。ジークフリートは「東と西の間には北があるように...」などとおかしな言い訳をして言いくるめてしまう。

譜例㉚

譜例⑮

[ 第3場 ]

 ハーゲンが「ホイホー!」と大声で連呼し、ギービヒ家の軍勢や家臣を呼び集める。ハーゲンの呼び掛けにシュティーアホルン(野牛の角笛)の荒々しい響き(譜例㉛)が呼応する。オーケストラはホルンを主体とした「ギービヒの角笛の動機」(譜例㉜)を力強く奏でる。舞台上には大勢のギービヒ家の家臣が集まり、活力に満ちた動的展開に。ここで4部作を通じて初めて合唱が登場する。ハーゲンは軍事的な動員ではなく婚礼のための招集であることを告げ、これを聞いた家臣たちは陽気に歌い出す。歌のやり取りの中で、フリッカをはじめ《ラインの黄金》に登場した神々の名前が挙げられる。ここでのハーゲンはおどけた調子でバスのトリル(譜例㉝)を披露する場面も。合唱は「結婚の祝福の動機」(譜例㉞)の旋律を高々と歌い上げる。

譜例㉛

譜例㉜

譜例㉝

譜例㉞

[ 第4場 ]

 グンターとブリュンヒルデが館に到着し、家臣たちが出迎える。「ワルキューレの動機」に「不機嫌の動機」(譜例㉟)が絡む。グンターは2組の結婚式を挙げることを宣言する。憔悴した様子のブリュンヒルデはジークフリートの姿を見つけ、愕然とする。ブリュンヒルデのただならぬ様子に家臣たちは「どうしたのだ?」と不審に思う。もちろん、ジークフリートは薬によってブリュンヒルデのことを忘れているので、彼女の驚く姿をうつろな眼差しで眺めている。ブリュンヒルデは、グンターに奪われたはずの指環がジークフリートの指に光っていることを見つけ、さらに驚く。背後では「呪いの動機」。それと同時に怒りがこみ上げてくる。音楽は「怨念の動機」(譜例㊱)、「ラインの黄金の動機」(譜例㊲)。

 「これは欺瞞だ!」と激しく詰め寄るブリュンヒルデ。彼女とジークフリートの言い合いに割って入り、火に油を注ぐように仕向けるハーゲン。ここでもブリュンヒルデと群集の動揺を表わすかのようにシンコペーション(譜例㊳)のリズムが使われる。それに乗じてハーゲンは「いいか、この女の言い分をよく聞くのだ!」と巧みに群集を煽っていく。家臣たちの前で面目を失うグンター。いきなりの異様な事態に驚く家臣たちも絡んで、劇的緊張が高まっていく。

 ジークフリートはハーゲンが突き出した誓いの槍に手を当て、自身の潔白を宣誓する。バックでオーケストラは、第1幕でジークフリートとグンターが兄弟の契りを交わした際に使われた「贖罪の動機」(譜例㊴)を演奏する。そこにブリュンヒルデが割って入り、ジークフリートと同じ旋律に乗って激しい口調で、その言い分を真っ向から否定していく。家臣たちは騒然となるが、ジークフリートは「この女は正気ではない。女と争うなら進んで身を引く」と苦しい弁明をしながら、婚礼準備のために一同を引き連れてその場を去っていく。喧噪が去り、ハーゲンとグンター、ブリュンヒルデの3人が残っている。

譜例㉟

譜例㊱

譜例㊲

譜例㊳

譜例㊴

[ 第5場 ]

 呆然と立ち尽くすブリュンヒルデにハーゲンが近づく。ハーゲンは自分の槍にかけて誓ったブリュンヒルデの言葉は真実であり、ジークフリートへの復讐を手伝うと申し出る。ブリュンヒルデは、ハーゲンには無敵の英雄であるジークフリートを倒すことは不可能だと言う。ジークフリートは彼女の秘術を受けて不死身になったことを明かす。ハーゲンはあきらめずに、言葉巧みにジークフリートの弱点を聞き出そうとする。ブリュンヒルデは怒りで正常な判断力を失ったのか、敵に背中を見せるような臆病なまねは決してしないジークフリートの背中には秘術を施していないことをついに告白してしまう。オーケストラは「怨念の動機」を繰り返す。愛情が転じての憎しみがブリュンヒルデをしてジークフリートの弱点を明かしてしまう、という行為に及ばせたことが音楽によって表わされている。ハーゲンはグンターの名誉を守るためには「ジークフリートの死」しかないと言い出して、グンターも鼓舞しようとするが、彼は妹のことを思い、ジークフリートの暗殺を躊躇する。

 ハーゲンはなおもジークフリートの持つ指環を手に入れれば、世界を支配できるとそそのかす。ついにグンターもジークフリート殺害に同意してしまう。2人はジークフリートを狩りに呼び出して、背中を槍で突くことにする。復讐を誓うブリュンヒルデとグンター、2人を利用して指環を奪おうとするハーゲンによる三重唱。音楽は「贖罪の動機」「苦痛の動機」(譜例㊵)などを繰り返す。そこに「ギービヒの角笛の動機」とともに館からジークフリートとグートルーネの婚礼の行列が繰り出してくる中、再び金管楽器による「苦痛の動機」が鳴り響き幕となる。

譜例㊵

 次回は第3幕について詳しく紹介します。


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