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連載《ラインの黄金》講座

~《ラインの黄金》、そして『リング』をもっと楽しむために vol.1

音楽ジャーナリスト、宮嶋極氏による恒例のオペラ鑑賞講座。今年は、ワーグナーの超大作『ニーベルングの指環』(通称『リング』)の序夜《ラインの黄金》をより深く、より分かりやすく紹介します。連載第1回では、『リング』全体をおさらいしたうえで、《ラインの黄金》の「総論」をお届けします。

文・宮嶋 極(音楽ジャーナリスト、スポーツニッポン新聞社 編集局次長兼文化社会部長)


 リヒャルト・ワーグナーのオペラや楽劇を毎年1作ずつ、演奏会形式で上演していく「東京春祭ワーグナー・シリーズ」。2014年からいよいよ楽劇4部作からなる大作『ニーベルングの指環(リング)』のツィクルス上演がスタートする。《ラインの黄金》から順に1年1作ずつ、4年がかりでツィクルスを完成させる予定で、指揮はワーグナーやリヒャルト・シュトラウスなどのドイツ・ロマン派の作品解釈に定評があるマレク・ヤノフスキ、演奏はNHK交響楽団が担当します。また、例年同様、バイロイト音楽祭を始めとする世界のひのき舞台で活躍する実力派のワーグナー歌手が顔を揃えるとあって高水準の演奏が期待されます。

 このステージをより深く楽しんでいただくために、本稿では物語と音楽を同時並行的に追いながら、ワーグナーがそこに込めたメッセージについて考えていきます。テキストに記された言葉、譜面の中のさまざまな旋律に込められた多種多様な意味合いを分かりやすく紐解いていくことで、一人でも多くの方に《ラインの黄金》、そして『リング』の魅力を理解していただけるよう、これまで筆者が取材した指揮者や演出家らの話なども参考にしながら、3回に亘って進めていきます。初回は『リング』の総論に続いて《ラインの黄金》の全体像を探っていきましょう。長大な上に神話をベースにしたストーリーのためか、とかく難解なイメージが付いて回る『リング』ですが、実はSF映画のような冒険活劇でもあるのです。そこで初回は、専門家やワグネリアンからの批判を覚悟の上で、『リング』を短時間で楽しむことが出来るようになるためのいくつかの"近道"もご紹介します。なお、台本の日本語訳については、日本ワーグナー協会監修 三光長治/高辻知義/三宅幸夫/山崎太郎 翻訳「ワーグナー 舞台祝祭『ニーベルングの指環』序夜 ラインの黄金」(白水社)を、譜面はドーバー社刊のフル・スコアとPETERS版のピアノ&ボーカル・スコアを参照しました。

『リング』を初めて聴く人のための実践的予習法

 『ニーベルングの指環』は、ワーグナーが約26年の時を費やして完成させた楽劇4部作全11幕からなる空前の超大作。ツィクルス上演には、4晩15~16時間(休憩は含まず)を要し、100人規模の大編成オーケストラ、30役以上のキャスト、そして合唱(《神々の黄昏》のみ)とすべてがケタ外れの巨大作品である。さらにワーグナー自身が執筆した台本は、ゲルマンや北欧神話をベースに作者自身の創作をふんだんに織り込んでいることもあって、多様な解釈が入り込む余地がある奥の深い内容となっている。

 それゆえにワーグナーに馴染みの薄い人には敬遠されることが多いのだが、今回は本論に入る前にこれから『リング』を楽しんでいこうという方に向けて、手っ取り早く全体像を把握するための"実践的予習法"から紹介していこう。

 まず、専門の解説書を読んで理解を深める、というのは後回しにした方がよいだろう。というのも解説書の大半は、テキストの細部にわたる説明や語句の解釈に重点が置かれており、学術的である半面、あえて言えば必要以上に難解なものが多いからである。こうした解説書は作品をある程度理解し、それをさらに深めていこうという"中級者"に向けてこそ有益であって、初心者が読むとかなりの割合で「ワーグナーはやはり分かりにくい」と誤解されてしまう恐れがある、と筆者は考える。

 では、どうすればよいのか。


ストーリー

 物語のアウトラインをザックリと掴むためには漫画版「リング」を一読することもひとつの方法であろう。「リング」は日本でも有名漫画家によって漫画やコミック化されている。現在、里中満智子、あずみ椋、池田理代子の3氏の手による漫画版「リング」がそれぞれ中古市場も含めて入手可能。筆者の印象では里中、あずみ版が比較的原作に忠実に書かれており、池田版はオリジナルから少しだけ外れる分、よりドラマテイックに仕上げられている。


音楽

 大編成のオーケストラを駆使したワーグナーの音楽は、時に麻薬のように人の心をトランス状態にするほどの特別な魅力に溢れている。とはいえ、15時間もかかる『リング』全曲を何度も繰り返して聴くのは、忙しい現代人にとっては至難の業であろう。その魅力的な部分を60分から90分程度に凝縮して聴けるのが、オーケストラ・コンサート用に編曲された管弦楽編曲版である。CDやDVD等のパッケージ・メディアで現在入手可能なものとしては、オランダ放送フィルの打楽器奏者で、作曲家としても活躍しているヘンク・デ・フリーハーが編曲した「オーケストラ・アドベンチャー~ニーベルングの指環」と、指揮者のロリン・マゼールによる「言葉のない指環」の2種類がある。両方とも『リング』のキーポイントとなる主要なライトモティーフ(示導動機)がほぼ網羅されており、これらを聴き込んでおけば、音楽面でのアウトラインを把握することが出来るはずだ。


ライトモティーフ

 前述したライトモティーフについても触れておこう。日本語で示導動機と訳されるが、簡単に言うと作品に登場する人物や動物、自然、物、そしてそれらの感情や状態、状況などにそれぞれ決まった旋律を当てはめて音楽や物語の流れの中でその意味合いをクローズアップしていく手法である。現代では映画音楽などでも当たり前のように使われている。(例「スター・ウォーズ」のダース・ベイダーが登場するときの音楽)

 ワーグナー自身が発明した手法ではないが、それ以前の作曲家とは比較にならないほどの分量と重要度をもって活用したのが、ワーグナーであり、とりわけ『リング』において効果的に多用され、その結果、ライトモティーフという概念が確立されたといっても過言ではないだろう。ただし、『リング』に登場する膨大な数のライトモティーフとその名称はワーグナー自身が分類し体系化したものではないため、呼ばれ方もさまざま存在する。本稿では「ワーグナー 舞台祝祭『ニーベルングの指環』序夜 ラインの黄金」(白水社)で使用されている名称を参考にしつつ、より馴染みがあり分かりやすい名称で表記していきたい。

 ライトモティーフを受験の英単語のように丸暗記することを勧める解説書や、中にはライトモティーフだけを集めた暗記用CDも存在するが、筆者はそうした覚え方はあまりお勧めしたくない。あくまで、全体の流れの中で自然に覚えていくのが望ましいが、前述したように管弦楽組曲版を聴き込めば、主要なモティーフをほぼすべて聴き取ることが出来る。

『リング』総論

 ここからは『ニーベルングの指環』の総体について説明していきたい。

①作品の全体像

2013年にバイロイト音楽祭で上演された《ラインの黄金》
© Bayreuther Festspiele / Enrico Nawrath

 ワーグナー自身が「3日と、ひと晩の序夜のための舞台祝典劇」と位置付けた『ニーベルングの指環』は、プロローグと3つの楽劇からなる巨大な舞台作品である。プロローグにあたる序夜が《ラインの黄金》、続く第1夜が《ヴァルキューレ》、第2夜が《ジークフリート》、そして第3夜の《神々の黄昏》で完結する構成となっている。それぞれ独立した性格を有し単独で上演することも可能である。

 弦5部(第1ヴァイオリンからに順に16-16-12-12-8の指定がある)をベースに4管編成の管楽器(ホルンはワーグナー・テューバと持ち替えで8本)、ティンパニ&打楽器群、ハープを複数必要とする100人超の大編成のオーケストラも、それ以前のオペラでは考えられなかったスケールである。

 単に規模が大きいだけではなく、内容も濃い。中世のゲルマンや北欧神話に題材をとりながらも、ワーグナー自身の創作によって人間の本質的な問題が巧みに織り込まれており、21世紀に生きる我々にもさまざまな問いやメッセージを投げかけてくる。その普遍性、多義性から現代では当たり前となりつつあるオペラの読み替え演出が本格的に行われ始めたのも、この作品であった。とりわけワーグナーが開祖であるドイツ・バイロイト音楽祭は、その典型例。同音楽祭は『リング』をメーンにワーグナーの作品のみを上演する特別な祝祭。彼の孫で第2次世界大戦後、バイロイトを再興させた名演出家ヴィーラント・ワーグナーによる「新バイロイト様式」はその最初の一歩であったし、バイロイト百年祭(1976年)におけるパトリス・シェロー演出、ピエール・ブーレーズ指揮のフレンチ・コンビによる『リング』は、世界のオペラ界が読み替え演出の時代へと扉を開く決定的な役割を果たした、といわれている。

 ワーグナー生誕200年のメモリアル・イヤーとなった2013年のバイロイトでは、キリル・ペトレンコ指揮、フランク・カストロフ演出による新たな『リング』がお披露目されたが、やはり台本のト書きとはまったく無関係の読み替え演出に賛否両論が渦巻いた。


②創作の経緯

同じく《ジークフリート》
© Bayreuther Festspiele / Enrico Nawrath

 作曲はもちろん、台本もワーグナー自身が執筆。中世ドイツの叙事詩「ニーベルンゲンの歌」をベースに13世紀アイスランドで編さんされた歌集「エッダ」や北欧神話などの要素をミックスした上で、独自の創作をプラスして『ニーベルングの指環』を書き上げた。1848年から1852年にかけて《神々の黄昏(原題・ジークフリートの死)》→《ジークフリート(同・若き日のジークフリート)》→《ヴァルキューレ》→《ラインの黄金》の順で書かれ、音楽は台本がほぼ完成した後、1854年から1874年までの間に《ラインの黄金》から逆の順番で作られた。

 この間の1857年6月、《ジークフリート》第2幕の途中まで作曲が進んだところでワーグナーは筆を置いてしまう。主な理由は、大作を完成させたとしても上演はおろか、楽譜出版のめどすら立たない状況であったため、上演が可能な比較的小規模の作品を作ろうと考えたことであった。その結果、世に送り出されたのが《トリスタンとイゾルデ》と《ニュルンベルクのマイスタージンガー》である。この2作品、オーケストラ編成は『リング』に比べると小規模ではあるものの、作品の長大さや内容の濃さという点においては、他の作曲家のオペラと比べると例を見ないほどの大作である。結局、ワーグナーは小ぶりな作品を作ることが出来なかったのかもしれない。

 革命運動に参加したことで政治亡命を余儀なくされ、莫大な借金で身動きが取れなくなっていたワーグナーに救いの手を差し伸べ、『リング』完成へと道を開いたのはバイエルン国王ルートヴィヒ2世の出現であった。国王に巨額の借金を完済してもらい、さらに莫大な援助まで受けられるようになったことで、ワーグナーは《ジークフリート》の作曲を1864年ごろから再開。1871年には同作を書き上げ、74年11月に《神々の黄昏》を脱稿し、全作を完成させたのであった。最初に散文草案を書いた1848年から約7年の中断期間も含めて完成まで実に26年もの年月を要したのである。まさに生涯を賭けた渾身の大作ということが出来る。


③初演

バイロイト祝祭劇場(筆者撮影)

 『リング』全4作の初演は1876年8月13~30日にかけて行われた。この作品を上演するためにワーグナーは、バイエルン王国のオーバーフランケン地方にある小都市バイロイトに自ら設計に関与して劇場を建設、祝祭を開催した。これが、現在のバイロイト音楽祭(祝祭)の始まりである。期間中3回にわたってツィクルス上演されたのだが、第1ツィクルスにあたるプレミエ時にはドイツ皇帝ヴィルヘルム1世(プロイセン国王)、ブラジル皇帝ドン・ペドロ2世を始めとする世界各国の王侯貴族、ワーグナーの義父にあたるリスト、ブルックナー、チャイコフスキー、サン=サーンスら大作曲家など、錚々たる顔ぶれが祝祭劇場に集った。しかし、劇場建設や祝祭開催にも多大な支援を行ったルートヴィヒ2世はゲネプロと3回目のツィクルスに臨席したが、プレミエには顔を見せなかった。内向的なルートヴィヒ王は各国君主らと顔を合わせるのを避けたかった、というのが初演欠席の理由とされている。

 初演の指揮はハンス・リヒターが務め、ワーグナー自身は演技指導、今でいうところの演出に専念した。オーケストラはウィーンも含めたドイツ語圏から有志を集めて編成。彼らの大半は無報酬で参加したと伝えられている。現在のバイロイト祝祭管弦楽団も毎年夏、ドイツを中心にヨーロッパ中から優秀かつ、夏休みを返上してでもワーグナーを弾きたいという熱意を持ったプレイヤーが集められ編成されている。

 大々的に行われた初演だが、ワーグナーにとっては舞台美術と、その転換の失敗、歌唱・演技面などで大きな不満を残す結果に終わったとされている。

 なお、《ラインの黄金》については『リング』の完成を待ちきれなかったルートヴィヒ2世が、ワーグナーの強い反対を押し切って1869年9月22日、ミュンヘンのバイエルン宮廷歌劇場で単独初演させている。さらに《ヴァルキューレ》も翌年6月に同様の経緯で単独初演されている。

 その背景には『リング』の版権をルートヴィヒに献呈していたことも大きな影響を及ぼしていた。ワーグナーはこの版権をルートヴィヒ王以外にも譲渡する契約を複数結んでいたそうだ。現代日本のポップス界でも似たようなことを行って詐欺罪に問われ、有罪判決を受けた有名ミュージシャンがいたが、ワーグナーも自らの意に反して《ラインの黄金》を強行初演されてしまうという報いを受けたのである。

《ラインの黄金》について

①総論

 《ラインの黄金》は、『リング』全作における長大なプロローグ的な作品で、物語のカギとなる「ニーベルングの指環」には、どんないわく因縁があるのかを観る側に伝える役割を担っている。

 また、前述したライトモティーフ(示導動機)の手法が、それまでの作品にはない分量と重要度をもって活用されているのも特色。重要な動機が比較的分かりやすい形で提示されているが、後の作品になるにつれて、複数の動機が複雑に絡み合って重構造のような音楽を作り上げていく。《ラインの黄金》では、『リング』全体で使われる100以上(分類の仕方によっては200以上ともいわれる)の動機のうち、3割くらいが登場し、そのほとんどがその後の作品でも頻繁に使用されることになる。

 短い前奏と4場からなる1幕の作品だが、場と場の間に切れ目はなく"人物"の動きや物語の進行を音楽で描き出した間奏がジョイントとして機能し、スムーズな転換が図られる。神々がヴァルハル(ワルハラ)城に入場するラストシーンでは、オーケストラの壮大な響きで幕引きが図られ、これをコーダと位置付けると巨大な4楽章の交響曲のような構成となっている。


②登場人物

 《ラインの黄金》に登場するキャラクターについてもできる限り分かりやすく紹介しておこう。なお、解説書にはゲルマンや北欧神話では、どのように呼ばれているかとの説明が付記されていることが多いが、ここではあえて割愛する。

☆神々
ヴォータン
神々の長。契約の文字が彫られた槍を持つ
フリッカ
ヴォータンの正妻。結婚の神
フライア
フリッカの妹。美の女神。不老のリンゴを栽培
エルダ
智の女神。ヴォータンとの間に9人の娘(ヴァルキューレ)を誕生させた
ドンナー
雷神
フロー
幸福の神
ローゲ
火の神。神性は半分しか持ち合わせていないが、奸智に長けている
☆ニーベルング族
アルベリヒ
地底に住むニーベルング族の小人。ラインの黄金を強奪し世界を支配する魔力を帯びた指環を作る。ニーベルングの指環とは、アルベリヒの指環のことであり、その意味ではタイトル・ロールと位置付けることも可能
ミーメ
アルベリヒの弟。本作では兄から奴隷のような扱いを受けている
小人たち
アルベリヒの支配されているニーベルング族の小人たち。歌唱はなし
☆巨人族
ファーゾルト
地上のリーゼンハイムという国に住む巨人。ヴァルハル城建設に従事
ファーフナー
<ファーゾルトの弟。指環をめぐって兄を殺害してしまう/dd>
☆ラインの乙女
ヴォークリンデ、ヴェルグンデ、フロースヒルデ
ライン川に住む三姉妹。川の精のような存在で川底の黄金を守る

③作品データ

作曲:
1853~54年
台本:
1852年、作曲家自身の手によるドイツ語のオリジナル台本
初演:
1869年9月22日、ミュンヘンのバイエルン宮廷歌劇場。指揮はフランツ・ヴェルナー
設定:
神話時代のライン川周辺、ニーベルハイムの地下洞窟
楽器編成:
フルート4(ピッコロ持ち替え2) オーボエ4(コールアングレ持ち替え1) クラリネット3 バス・クラリネット1 ファゴット4(コントラファゴット持ち替え1) ホルン8(ワーグナー・テューバ持ち替え4) トランペット3 バス・トランペット1 トロンボーン4 テューバ1 ティンパニ2 大太鼓 小太鼓 シンバル トライアングル ドラ 鉄帖18 ハープ6 弦5部(16-16-12-12-8)

 以上が舞台祝典劇『ニーベルングの指環』とその序夜にあたる《ラインの黄金》の概要である。次回は《ラインの黄金》の前奏から第2場の終わりまでについて詳しく紹介していきたい。

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