JOURNAL
ハルサイジャーナル
アドリアン・エレート(バリトン) インタビュー

東京・春・音楽祭 2025《こうもり》でのエレート。後ろの楽団メンバーも楽しそう。 (C)池上直哉
これまで東京・春・音楽祭では《ニュルンベルクのマイスタージンガー》のベックメッサーや《こうもり》のアイゼンシュタインとして私たちを魅了してきたアドリアン・エレートさん。オペラ界きっての演技派バリトンとして名高いが、2026年は久しぶりに歌曲シリーズに登場。シューベルトからクルト・ヴァイルまで、多彩なスタイルが交錯するプログラムにどのような思いを込めたのか聞いた。
――4月のリサイタルのプログラムについてお聞かせください。何か通底するテーマはありますか?
ウィーンの作曲家の音楽を中心にしたいという思いはありました。前半のシューベルトとエゴン・ヴェレスは、少し前にリリースしたCD『Berührungspunkte(接点)』でも取り上げた組み合わせです。また、クルト・ヴァイルについては、実は東京・春・音楽祭実行委員長の鈴木幸一さんから、ぜひヴァイルを歌ってほしいというリクエストがあり、喜んでお引き受けしました。そこに最近歌い始めたブラームスの《4つの厳粛な歌》を加えたという構成です。
――エゴン・ヴェレス(1885-1974)は日本の聴衆にとってあまりなじみがないかもしれません。どんな作曲家かご紹介いただけますか?
ウィーン生まれのとても興味深い音楽家です。彼は1920年代には、ウィーンやドイツ各地でオペラの作曲家として名声を得ました。しかしナチスの台頭とともに英国に亡命を余儀なくされ、オックスフォード大学で教鞭を取るようになり、作曲から遠ざかった時期もありました。したがって歌曲も時代によって様式がさまざまです。《異郷からの歌》(1913)などの初期の歌は繊細かつ透明で、マーラーの影響もあり、同時代の絵画にたとえるなら、オスカー・ココシュカが描いた水彩画を思わせます。これらの歌曲は、作曲家であった私の父の書斎に楽譜があったので、若いころから存在は知っていました。一方、英国時代に書かれた英語の歌曲集《時に》(1946-50)はまったく作風が異なり、とても演劇的で、ベンジャミン・ブリテンのオペラを彷彿とさせる作品です。

開演直前のバックステージにて。(C)平舘平
――プログラム前半では、シューベルトとヴェレスが交互に歌われます。シューベルトのセレクションについてお聞かせください。
今回歌うのはいずれも後期の歌曲で、「さすらい人の月に寄せる歌」と「ヴィルデマンの丘をこえて」の2曲は、私がデビュー以来ずっと歌ってきた大切な曲です。「流れの上で」はもうすこしあとで知った曲になりますが、こちらもすばらしい名曲です。原曲はテノールとホルン、ピアノのために書かれていますが、今回はホルンの代わりにチェロと演奏します。バリトンが歌う場合は、むしろチェロの音色のほうが合うと思うのです。チェロが2人目の歌手の役割を担い、もうひとつ感情の層が加わります。
――ブラームスの《4つの厳粛な歌》は、最近歌い始めたとおっしゃいましたね。
《4つの厳粛な歌》は低声用に書かれていて、バス歌手が歌うことの多い曲ですが、音域の高い曲もあり、円熟したバリトンの声に適した作品だとかねてより思っていました。作品自体は子どものころから知っていましたが、機をうかがって、昨春ようやく全曲をクリストフ・トラクスラーとオーストリアで歌いました。それから一年経ち、私たちのなかで曲がどう熟成し、東京でどんな演奏になるのか楽しみにしています。ブラームスを歌うときは、シューベルトとはちがって、大きなフレーズ感をもってたっぷりと歌うこと――太い筆で絵を描くように――が求められます。
――ヴァイルはどんな曲を選ばれましたか?
実は私のヴァイルとの出会いはかなり古くて、音大に入ってすぐ、19歳か20歳のときに《三文オペラ》に出演したんです。子役として出演したオペラを除けば、私が初めて参加した本格的な舞台劇でした。ですから、まずはこの思い出深い作品から2曲選びました。「ロスト・イン・ザ・スターズ」と「9月の歌」はアメリカ時代に書かれたブロードウェイ・ミュージカルのナンバーですし、「セーヌ哀歌」はパリ時代に書かれた素敵なフランス語の歌です。これまでシャンソンとかキャバレーソングなどは歌ってきましたが、ヴァイルの歌曲はほとんど歌ってこなかったので、とても楽しみです。

東京・春・音楽祭初出演となった2013年のワーグナー・シリーズ《ニュルンベルクのマイスタージンガー》。エレートは左から3人目。日本語字幕は中央のスクリーンに投射するスタイルだった。(C)青柳聡
――ピアニストのクリストフ・トラクスラーさんとはいつ頃から共演されているのでしょうか?リハーサルではどんなふうに音楽を作り上げていますか?
クリストフとは10年以上、コンビを組んできました。彼はクラリネットのオッテンザマー一家と長年共演するなど、すばらしい室内楽奏者であり、とてもレパートリーの広いピアニストです。日本ではフィルハーモニクスのピアニストとしてもおなじみでしょう。
リサイタルの準備するときは、まず通して曲の感触をつかみ、そのあとで細部を詰めたり、気になる箇所について話し合ったりします。何度も歌ってきた曲でも、しばらく間隔が空くと、感じ方が変わって違う演奏になることもあります。それがまさに音楽上のパートナーシップのすばらしいところではないでしょうか。
2013年の東京春祭で歌曲シリーズに出演した際の1枚。
ピアノはユストゥス・ツァイエン。(C)堀田力丸
――オペラと歌曲(リート)の歌唱における最大の違いは何ですか?エレートさんは当初から両方歌ってこられたのでしょうか?
それは声楽における根本的な課題のひとつです。私自身は、歌手として勉強を始めたときから両方歌ってきましたし、今の若いオペラ歌手たちにもつねに歌曲—ドイツ・リートにせよフランス歌曲にせよ—を勉強するように強く勧めています。絵画にたとえれば、鉛筆や細い絵筆を使って正確にデッサンするのが歌曲で、大きなカンヴァスに多彩な絵の具を使って描くのがオペラ。それを切り替える方法を学ぶことはとても重要だと思います。声そのものは変えずに、使い方、表現の仕方を変えることが大事です。
――今回の東京春祭では、シェーンベルクの《グレの歌》の語り手役も務めます。そちらへの意気込みもお聞かせください。
語り手を務めるのは初めてですし、出演するのも、私が学生のとき、クラウディオ・アバドがウィーン楽友協会で指揮した《グレの歌》にアーノルト・シェーンベルク合唱団の一員として出て以来です。そのときの語り手は女優のバルバラ・スコヴァでした。この曲は、歌曲のリサイタルとはまったく対極にある巨大な管弦楽作品であり、シェーンベルクはこの曲でロマン主義音楽を極限まで推し進め、これ以上先に進めなくなり、表現主義や十二音技法に方向を転換したのでした。この語り手の役ではそうした様式を先取りしていて、彼の《月に憑かれたピエロ》やベルクの《ヴォツェック》でのシュプレッヒゲザング様式(語りと歌の中間の様式)と共通しています。きわめて演劇的で、ある種のわざとらしさ、大仰さが求められる役だと思います。ヤノフスキさんと相談しながら役を作り上げていきたいです。

インタビューでは、2026年のプログラムについて快活に話していただいた。
――東京春祭には何度もご出演されていますが、特に思い出に残っている公演はありますか?
ハルサイは日本のわが家のような場所で、みなさんとも顔馴染みですし、毎回リラックスして公演に取り組むことができます。いわば私の音楽の家族ですね。いちばん思い出に残っているのは、2013年に初めてハルサイに出演したときです。《ニュルンベルクのマイスタージンガー》にベックメッサーとして出演し、リサイタルではワーグナーとブリテンを歌いました。ハルサイでの歌曲リサイタルはそのとき以来ですので、今からとても楽しみにしています。
――ありがとうございました。
関連公演
東京春祭 合唱の芸術シリーズ vol.13
シェーンベルク《グレの歌》
日時・会場
2026年3月25日 [水] 19:00開演(18:00開場)
東京文化会館 大ホール
出演
指揮:マレク・ヤノフスキ
ヴァルデマール王(テノール):デイヴィッド・バット・フィリップ
トーヴェ(ソプラノ):カミラ・ニールンド
農夫(バリトン):ミヒャエル・クプファー=ラデツキー
山鳩(メゾ・ソプラノ):カトリン・ヴンドザム
道化師クラウス(テノール):トーマス・エベンシュタイン
語り手(バリトン):アドリアン・エレート
管弦楽:NHK交響楽団
合唱:東京オペラシンガーズ
合唱指揮:エベルハルト・フリードリヒ、西口彰浩
曲目
シェーンベルク:《グレの歌》
チケット料金
S:¥27,000 A:¥22,500 B:¥18,500 C:¥15,000
D:¥12,000 E:¥9,000 U-25:¥3,000
東京春祭 歌曲シリーズ vol.47
アドリアン・エレート(バリトン)&クリストフ・トラクスラー(ピアノ)
日時・会場
2026年3月28日 [土] 15:00開演(14:30開場)
東京文化会館 小ホール
出演
バリトン:アドリアン・エレート
ピアノ:クリストフ・トラクスラー
チェロ:加藤陽子*
曲目
シューベルト:さすらい人の月に寄せる歌 D870
ヴェレス:
海の月夜
《異郷からの歌》op.15 より
神秘的な笛
さみしい
シューベルト:
ヴィルデマンの丘をこえて D884
流れの上で D943*
ヴェレス:《時に》op.63
ブラームス:《4つの厳粛な歌》op.121
K.ヴァイル:
《ロスト・イン・ザ・スターズ》より ロスト・イン・ザ・スターズ
《三文オペラ》より 快適な生活のバラード
セーヌ哀歌
《三文オペラ》より 人間は何によって生きるか
《ニッカーボッカー・ホリデイ》より セプテンバー・ソング
チケット料金
全席指定:¥8,000 U-25:¥2,000
