JOURNAL

ワーグナー集
2022/01/21

ワーグナーに魅せられた人たち

第4回 クーデンホーフ一族

ワーグナーに魅せられた人たち 第4回 クーデンホーフ一族

ワーグナーの作品は多くの人を虜にし、それらは“ワグネリアン”と総称される。
本連載では「ワーグナーに魅せられた人たち」をピックアップして紹介する。
第4回は、ワーグナー家とも浅からぬ関係を持ち、日欧の近代史に足跡を残した「クーデンホーフ一族」を取り上げる。

文・奧波一秀(日本女子大学教授)

1930年、ベルリンのジングアカデミーで開催された汎ヨーロッパ集会 左から、トーマス・マン、イダ・ローラン、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー Archives cantonales vaudoises, CH-ACV_PP_1001_324

 日本とハプスブルク=ハンガリー二重帝国との国交成立からほぼ20年後の1892年(明治24年)、二重帝国の外交官として東京に着任したのが、ハインリヒ・クーデンホーフ伯爵(1859-1906)である。ハインリヒは日本人の青山光子を見初めて結婚し、日本での仕事を終えたのち、シンデレラさながら、日本生まれの二児と共に光子を母国に伴った。

 そのクーデンホーフ家とワーグナー家とのかかわりは古い。ハインリヒは夕食後の二、三時間、好みの楽劇の一節を歌うのが日課で、光子を伴って毎夏のようにバイロイトを訪れており、次男の名「リヒャルト」はワーグナーにあやかったものだった。ワーグナー家との縁は、ハインリヒの祖母マリア・カレルギス(1822-74)にさかのぼる。ポーランド貴族の家に生まれ、ショパンに習ったこともあるピアニストだった彼女がパリで開いたサロンには、数々の音楽家や文士が出入りしていた。ワーグナー自身もそのひとりであり、《タンホイザー》パリ公演の実現に向けて苦労した際には、クーデンホーフ家が借金の肩代わりをしたといわれる。マリアは、ワーグナーとコジマのためにソファーにみずから刺繍したというし、バイロイト祝祭劇場の舞台には所領であるロンスペルクの森から切り出された木で作られた板が使われていた。ワーグナー終焉の地であるヴェニスのヴェンドミラン・カレルジ宮は、マリアの夫がつらなる(らしい)ギリシアの名門カレルジ一族がかつて所有していたものでもあった。

マリア・カレルギス

 ハインリヒと光子のあいだに生まれた次男リヒャルト(1894-1972 日本名「栄次郎」)は、のちに汎ヨーロッパ主義を唱え、今日のEUの理念を先取りしたといわれる人物である。第一次大戦のきっかけとなるサラエボ事件直後、1914年7月、リヒャルトは、のちに正式に妻となる15歳年長の女優イダ・ローランとともにバイロイト音楽祭を訪れ、コジマ、ジークフリート、H.S.チェンバレンと会っている。「第三帝国のいわば祖父」にあたるチェンバレンだが、「人あたりのよい年配の学者」という印象で、その思想を訝しく思うことはなかったようだ。イダとともに初夏のバイロイトの社交や楽劇を楽しんでいたリヒャルトだったが、セルビアに対する二重帝国の最後通牒の知らせが入り、ヨーロッパ各地から集まっていたゲストたちは、戦争勃発前に帰国しようと右往左往し、ついに音楽祭は8月2日を以って中止となった。二重帝国の終焉の始まりでもあった。

 ヒトラーは『我が闘争』のなかで、リヒャルトの汎ヨーロッパ思想を「劣等、もしくは人種が混ざった私生児どもの理念」と酷評し、ボヘミア貴族と日本人とのハーフであるリヒャルトを「正真正銘の私生児」と罵倒した。他方、リヒャルトは戦間期、ファシズムに微妙に接近した面もあったようだが、ナチの反ユダヤ主義に対してはっきり反対していたし、妻イダはユダヤ系だったとの説もある。ナチからの二人の逃避行は、ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマン主演の映画『カサブランカ』のモデルになっているともいわれる。

 ハインリヒとイダを苦しめたナチの反ユダヤ主義を、理論的な面で先取りしていたとも評されるワーグナーの悪名高い「音楽におけるユダヤ性」という一文は、当初匿名で雑誌に掲載されたが、のちに改めてワーグナーの実名と新たな献辞を付して公刊された。因果なことに、その献辞が向けられた相手は、誰あろう、リヒャルトの曽祖母マリア・カレルギスその人であった。リヒャルトが知っていたか、どう思っていたのかは、未だ不明のままである。



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