JOURNAL

ワーグナー集
2021/11/29

ワーグナーに魅せられた人たち

第1回 ルートヴィヒ2世とヴァルハラ神殿

ワーグナーに魅せられた人たち 第1回 ルートヴィヒ2世とヴァルハラ神殿

ワーグナーの作品は多くの人を虜にし、それらは“ワグネリアン”と総称される。 本連載では「ワーグナーに魅せられた人たち」のなかから5人をピックアップして紹介する。 第1回は、熱狂的なワーグナー崇拝者で「狂王」とも呼ばれる「ルートヴィヒ2世」を取り上げる。

文・奧波一秀(日本女子大学教授)

 レーゲンスブルクの郊外、ドナウ河畔の小高い丘に、ヴァルハラ神殿がある。建てたのはヴォータン・・・ではもちろんなく、ルートヴィヒ2世の祖父・ルートヴィヒ1世(1786-1868)。集められているのは英雄の魂ではなく、ドイツの歴史・文化の偉人たちの胸像やレリーフである。ルートヴィヒ1世はバイエルンの近代化に貢献した王で、ヨーロッパを横断するライン水系とドナウ水系を運河で結びつけたり、ドイツで最初の鉄道を走らせもした。ミュンヘン宮城から北にのびる華麗なルートヴィヒ通りは、彼の名にちなんで名付けられ、州立図書館やミュンヘン大学、ルートヴィヒ教会など、彼の命により建てられた立派な建造物が立ち並ぶ。

ルートヴィヒ2世

 1845年8月25日未明のニュンフェンブルク城には、孫・ルートヴィヒ2世(1845-86)の誕生を待ちわびる彼の姿があった。両親は「オットー」をファースト・ネームにするつもりだったが、祖父の意向で「ルートヴィヒ」とされた。1世が深夜、時計をみながら今か今かと孫の誕生を待っていたのには特別な理由があった。8月25日は1世自身の誕生日でもあったのである。こうした事情のため、2世の誕生日は実はもっと早かったのでは、と疑う向きもある。ちなみにマキシミリアン2世の実子ではないとの説もある。

 ルートヴィヒ2世への祖父の期待はひとしおで、たとえば積み木あそびで作る建築物の様子をみて、そのセンスのよさに満足したとも伝えられている。祖父の1世はヴァルハラのほか、将軍廟、アルテピナコテークなどを遺し、2世も周知の通り、ノイシュヴァンシュタイン城をはじめ数々の居城を建築した。祖父は絵画に造詣が深かったが、孫が愛したのは音楽だった。2世は《ローエングリン》に魅了されてワーグナー芸術の愛好者となり、即位後まっさきに資金援助し、ワーグナーを借金地獄から救済した。《ローエングリン》の世界をロマンチックに具現したノイシュヴァンシュタイン城には、白鳥の騎士その他、ワーグナーの作品世界のさまざまな場面が壁画や部屋に再現され、今日ではドイツ最強の観光資源としてバイエルンに貢献している。ワーグナーの傑作のいくつか、そしてバイロイト音楽祭は、2世なしにはありえなかっただろう。

ヴァルハラ神殿

 いぶかしいのは、そのルートヴィヒ2世が祖父の建てたヴァルハラ神殿に祀られていないことである。1868年に没した1世は、1890年に立派な立像となってヴァルハラに祀られ、ワーグナーは生誕100周年の1913年に、ブルックナーもナチ・ドイツ時代に祀られているのに、である。神殿が手狭になったこともあろうが、選定基準の歴史的な変化も見逃せない。白バラ反ナチ運動で処刑されたゾフィー・ショル(1921-43)のほか、かつてヴァルハラを「大理石の刑場」と揶揄したハインリヒ・ハイネ(1797-1856)、貧しい人々や女性を版画・彫刻で表現し、社会主義・平和運動にも関わってナチ・ドイツ下で制作活動を制限されたケーテ・コルヴィッツ(1864-1945)などが次々にヴァルハラに召喚されている。これら社会派の英雄たちとともに、贅を極めた耽美的浪費家ルートヴィヒ2世が祀られる日はくるのだろうか。




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