JOURNAL

連載 Wagneriana ワグネリアーナ

~ワーグナーにまつわるあれこれ 1

第1回 ワーグナーへのオマージュ

文・岡本 稔(音楽評論家)


 ワグネリアン--ワーグナーに強く魅せられてしまった人のことをそのように呼ぶのは、広く知られた話。巷にはこの"ワグネリアン"を自認する方々も多数見受けられる。しかしながら、一体どこから先、あるいはどれほどの深みにハマったら、この物々しい(?)称号を名乗ってよいのか、あるいはそれに相応しいとみなされるのかはよくわからない。つまるところ自分でそう決めればよいのだろうが、世の中には他人から見ても、呆れる程に病膏肓......いや、この作曲家を心から愛してやまないと認められる人々が存在する。今春、当ウェブサイトでも紹介したバイエルン国王のルートヴィヒ2世あたりは、その最たる人物だ(参照:http://www.tokyo-harusai.com/news/news_756.html)。

 このコラムでは、これからワーグナーに親しもうと思われている方々のために、そういった"濃い"ワグネリアンのエピソードやこの作曲家に関係したあれこれをご紹介してゆくつもりである。

音楽家の中で典型的ワグネリアンは?

 というわけで、第1回はやはり音楽作品にまつわる話から。ワーグナー(1813-83)は音楽史の中でも特に巨大な存在で、彼の影響を受けていない音楽家などむしろ少ないと思われるが、今回はその中から、ワーグナーを評価しただけでなく、積極的にその音楽を受け入れ、それを自作に引用・取り込んだ例をとり上げてみよう。

 名の知れた作曲家たちの多くが、ワーグナーの旋律や和声を引用することで、自作品に何らかのメッセージ性を付け加えたり、ワーグナー自身へのオマージュを捧げている。たとえば、ワーグナーの義理の父でもあるリストを筆頭に、ドイツ語圏ではツェムリンスキーやマーラー、リヒャルト・シュトラウス、ベルク、フランス語圏でもシャブリエやフォーレ、ショーソン、ドビュッシーなどなど。皆、大成する過程で--アンチも含め--一度はワーグナー熱にうかされているのだ。

 マーラーのようにアルマへの愛情を示すために《トリスタンとイゾルデ》の"眼差しのモティーフ"や《ヴェーゼンドンク歌曲集》「温室」を交響曲第5番の「アダージェット」にしのばせた例もあれば、ワグネリアンとは言えないかも知れないものの、《朝7時に湯治場の二流オーケストラによって初見で演奏された「さまよえるオランダ人」序曲》などという脱力感漂うタイトルのパロディ的な弦楽四重奏作品を書いたヒンデミットもいる(この作品はさる7月、読売日本交響楽団が弦楽合奏ヴァージョンで採り上げていた)。その他、《トリスタンとイゾルデ》を主題にしたシャブリエのカドリーユ《ミュンヒェンの思い出》や、「ヴァルキューレの騎行」に始まり《ジークフリート》まで楽しく《指環》が綴られてゆくフォーレの《バイロイトの思い出》(共に4手ピアノ用)、《指環》の影響色濃いフンパーディンクの歌劇《ヘンゼルとグレーテル》なども同様だ。

 これらについてはまたいずれ触れるとして、そういった中で、典型的なワーグナー崇拝者といえば、やはり何と言ってもブルックナー(1824-96)である。特に有名なのは、ワーグナーに捧げられた交響曲第3番だ。"ワーグナー"というそのものズバリの副題が付くことが多いが、これはワーグナーが作品を気に入ってくれたのに感激してブルックナー自身が付けたニックネーム。ちなみに、第2、第3いずれかの交響曲を献呈しようと思い、緊張の面持ちでワーグナーのもとへ両スコアを持参したところ、勧められたビールをつい飲み過ぎてしまい、翌朝になったらどちらに決まったのかを失念、やむなくワーグナー本人に再確認したという微笑ましい逸話が残されている。なお、残念ながらこれら引用は、第3稿にいたる改訂作業の内にほとんどがカットされてしまったので、お聴きの際は第1稿を用いた演奏をお選びいただきたい。

 ブルックナーはこれにとどまらず、たとえば交響曲第6番ではフィナーレの途中に突如《トリスタン》を登場させたり、白鳥の歌となった交響曲第9番の第3楽章でも《トリスタン》や《パルジファル》のモティーフを織り込んでいる。また、引用ではないが、交響曲第7番の第2楽章アダージョは、ワーグナーの体調を危惧しながら書かれたものとして名高い。中でも、ワーグナー・テューバの厳かなコラールが印象的なこの楽章のコーダ(楽章の結尾部)は、作曲途中に世を去ってしまったワーグナーへのレクイエムとして書き加えられたものである。ブルックナーが如何にこの作曲家を敬愛していたかがおわかりになるだろう。まさしく正真正銘のワグネリアンである。

以下はスコアをお持ちの方への「おまけ」。交響曲第3番における引用個所をいくつか載せておこう。

ブルックナー:交響曲 第3番 ニ短調 WAB103[1873年 第1稿]

第1楽章

  • 第2主題部(137小節~):《マイスタージンガー》第3幕第5場「朝はバラ色に輝いて(ヴァルターの栄冠の歌)」。
  • 463~468小節:《トリスタン》第2幕第2場にある「こうして私たちは死んだのです」というトリスタンの歌から"愛と死のモティーフ"が引かれている(最新の校訂を担当しているベンヤミン・グンナー・コールスは、終曲「愛の死」のアレンジ引用と記している)。《トリスタン》では、トリスタンの歌だけでなく、直後に計4部に分けられた両ヴァイオリンが順に続く。ブルックナーはこの音型を、第2オーボエと次の第1フルートに当てている。
  • 479~488小節:《ヴァルキューレ》第3幕第3場
    ヴォータンがブリュンヒルデを眠りにつかせる時に聴かれる"眠りのモティーフ"。第3交響曲のこの部分では第1ヴァイオリンが、F音からほぼ半音ずつ下りてくる形で提示する。

第2楽章

  • 25~31小節の管楽器:《トリスタン》前奏曲の和声進行
  • 33、34小節:第3交響曲では第2主題(=ヴィオラ・パート)の旋律が、《トリスタン》前奏曲冒頭のチェロ旋律"憧憬のモティーフ"の反行型となっている。
  • 193~204小節:第3交響曲では第2ヴァイオリンを皮切りに、第2楽章第2主題の反行型、すなわち《トリスタン》前奏曲冒頭のチェロ音型が繰り返される(195-196小節のヴィオラや、201-202小節の第1ヴァイオリンはその反行型)。
  • 233小節:ブルックナーのこの部分は、《タンホイザー》巡礼の合唱。あるいは、タンホイザー風な技法を用いての《ローエングリン》第2幕「姫に神の祝福があるように!(エルザの大聖堂への行進)」とも言われる。
  • 267~269小節:《ヴァルキューレ》"眠りのモティーフ"。

第4楽章

  • 134小節~:《マイスタージンガー》「朝はバラ色に輝いて(ヴァルターの栄冠の歌)」

※註:上記に挙げたものがすべてではなく、また一部疑問視されているものもある。

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