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モーツァルトの手紙に学ぶ

第3回 愛妻コンスタンツェの既読スルー問題

モーツァルトの手紙に学ぶ 第3回 愛妻コンスタンツェの既読スルー問題

文・飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)

妻のコンスタンツェ

 モーツァルトの手紙を眺めていると、これは今でいう「メール」あるいは「メッセージ」だなと思う。離れた土地の家族と頻繁にやり取りをしており、その内容は日々の暮らしの様子を伝えるもの。20世紀の人々なら同じことを電話のやり取りで済ませていただろうし、21世紀のわたしたちは主にメッセンジャーアプリで同じことをしている。違うのは手紙は後世に残るという点。完全にプライベートな内容の手紙まで世界中で翻訳されて出版されているわけで、個人情報もなにもあったものではない。現代ならどんなに偉大な芸術家が書いたものであっても、メッセンジャーアプリのログを掘り起こして出版するなど言語道断だろう。

 モーツァルトが手紙を書く相手は、まず第一に父レオポルトだが、父親が世を去った後は妻コンスタンツェへの手紙が主となる。ともに自宅にいれば手紙が書かれることはないが、モーツァルトが仕事でウィーンを離れたり、コンスタンツェがバーデンに湯治に行ったりすると(医師の勧めによりたびたび出かけていた)、手紙のやりとりが発生する。

 モーツァルトはたびたびコンスタンツェに対して熱い愛のメッセージを送っている。ところが、モーツァルトがまめに手紙を書いていたのに対して、コンスタンツェのほうはあまり熱心に返信してくれなかったようなのだ。手紙に関して、ふたりの間には熱量の差がかなりある。

 1789年4月16日、ドレスデンからコンスタンツェに宛てた手紙にはこう記されている。
「最愛の、最上のお前、あんなに長いこと待ちに待っていたお前からの手紙を見つけたのだ!」「ぼくはすぐに意気揚々と自分の部屋に入り、封を切る前に何度も何度も手紙にキッスをした。それから、それを読むというよりは、丸呑みにした。何度読み、何度キッスをしても、したりない気持ちなので、いつまでも自分の部屋にいた」(『モーツァルトの手紙』柴田治三郎編訳/岩波文庫より。以下同)

 このように手紙を待ちわびていた気持ちを熱く伝えた後、「手紙はもっとくわしく書いておくれ」とお願いをする。どうやら妻の手紙はそっけないようだ。同じ手紙で、モーツァルトは毎晩寝る前にも朝起きたときにも、それぞれたっぷり30分間、コンスタンツェの肖像と話をしていると告白している。やや気味が悪い気もするが、実に力強い愛情表現である。

 1790年9月30日、モーツァルトはフランクフルトから妻に宛てた手紙で「お前から一通でも手紙が来ていたら、何の不足もないのだが」と嘆く。10月3日、同地から「愛するお前から、待ちわびていた便りをもらった」と書いて喜んでいる。やっとコンスタンツェが手紙を書いてくれたようだ。ところが10月15日、「フランクフルトから出したぼくの手紙に対して、まだ一通も返事をもらっていないので、少なからず心配している」と書いているので、すぐにまた手紙が途絶えてしまったようだ。

 「なぜ昨晩手紙をもらわなかったのだろう?」。1791年6月12日、ウィーンのモーツァルトは、湯治でバーデンに滞在する妻に宛ててこんな書き出しで始まる手紙を送っている。バーデンには何通か手紙を出しているのに、返事がないのだ。妻の筆不精を嘆くモーツァルト。1791年10月15日、コンスタンツェに宛てた最後の手紙でも「しかしお前が二日もぼくに書いてくれないのは、許せないね。今日は間違いなくお前の便りを受け取りたいものだ」と不平をこぼす。

 コンスタンツェは手紙を読んでいるはずなのに、なかなか返事を返してくれない。すなわち、これは18世紀の「既読スルー」問題だ。

 先日、マッチングアプリ大学による20代からの30代の独身男女を対象にした「既読スルー」についてのアンケートを目にする機会があった。この調査によると男性よりも女性のほうが「既読スルー」する傾向が強いという。では、なぜ既読スルーをするのか。その理由の第1位は「なんと返せばいいのかわからないから」。もしかすると、コンスタンツェもそうだったのでは。モーツァルトの自己完結する愛の手紙に対して、返事の書きようがないと思って放置していたのかもしれない。



[参照記事]
「既読スルーしても愛情ある」と6割以上が回答!既読無視したくなるメール15条件
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