JOURNAL

モーツァルトの手紙に学ぶ

第2回 借金の頼み方

文・飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)

「あなたにはまだ8ドゥカーテン(=36フローリン)の借りがあります。今のところそれをお返しすることはできませんが、ほんの来週まで100フローリンの借金をお願いします。来週には必ずお金が入るので、感謝して136フローリンを返すことができます」(モーツァルトからプフベルクへの手紙 1788年6月)

借金時代のモーツァルト

 モーツァルトの手紙で晩年になると目立ってくるのが、織物商であるプフベルクへの手紙だ。20通以上残っている手紙はどれも借金を申し込むためのもので、読んでいるとなんとも切ない気分になってくる。
 もっとも、当時のモーツァルトは貧困にあえいでいたわけではない。むしろ逆で、近年の研究によればけっこうな収入があったようだ。おそらく最盛期に比べれば収入は減り、社会環境の変化でインフレが進んでいたにもかかわらず、ぜいたくな暮らしを続けていたゆえにお金がいくらあっても足りなかったのだろう。
 そう考えれば、借金を頼む手紙を過度に悲壮にとらえる必要はないような気もする。むしろ、セレブとはこれくらい堂々と借金を頼めるものだと感心して読んでもいいのかもしれない。
 プフベルクはこうして借金を頼まれるごとに、モーツァルトにお金を送った。ただし、金額は求められた額よりも少ないことがほとんどだった。おそらく、モーツァルトもそれを見越して多めの金額を頼んでいたのではないだろうか。

「あなたが真の友人であること、そしてあなたが私を正直な男だと考えていることを確信していますので、率直にお願いします。1000ないし2000グルデンを1年か2年の期限で適当な利子を取って用立ててくだされば、私の仕事に大いに助かります。(中略)それだけの金額をすぐに用意できないようであれば、せめて明日までに数百グルデンだけでもお貸しください」(1788年6月17日)

 まずは「1000ないし2000グルデン」と大きな金額を示し、それから「せめて明日までに数百グルデンだけでも」と要求を小さくする。最初に提示された数字が基準となって、その後の判断が無意識に左右されてしまう心理を「アンカリング効果」などと呼んだりするが、まさにその実践例がここにある。
 モーツァルトは続いて返済の猶予を願う手紙を出しているが、そこでは「喜んで利子を払う」と明言し、「自分の収入は保証されているから大丈夫」と相手を安心させるのも忘れない。
 しかし、くりかえし借金を依頼しているうちに、モーツァルトの口調にはだんだん必死さが滲むようになってくる。

「困ったことです。私は今、自分のいちばん憎い敵ですら望まないような状況にあります。最上の友であり同志のあなたに見捨てられたら、私は罪もないのに病気の妻と子供ともども破滅してしまいます」(1789年7月12日)

 これはまさに「泣き落とし」だ。同じ手紙で演奏会を開こうとしたが予約者がひとりしか名乗り出ず苦境にあること、現在請け負っている新曲の仕事がいくつもあり、しばらくすれば金回りがよくなるので、自分にお金を貸してもまったく危険を冒すことにはならないだろうということも述べている。さらに「毎月10フローリンずつ返済し、その数か月後、望みの利子を付けて全額を返す」と具体的な返済プランまで明かしている。もちろん、それは絵に描いた餅なのだが。
 困ったモーツァルトはついに高利貸しに金を借りることを決心する。だが、借りるのにも時間がかかるから、まずはいくらか貸してほしいと友に懇願する。借りるために借りる。一見、不思議に思えるロジックもモーツァルトが言うと説得力がある。

「使用人からお聞きでしょうが、昨日お宅にうかがって、かねてより許しを得ていましたので、お招きもないのに食事をいただこうとしました。真の友人が見つかりませんので、どうしても高利貸しから金を調達せねばなりません。しかし、このキリスト教徒らしくない連中からいちばんキリスト教徒らしい者を探し出すには時間がかかりますので、今はもう一文なしになってしまい、最愛の友であるあなたになんとかほんの不用な分だけでも貸して下さるようお願いせざるを得ません。1、2週間のうちに収入がありましたら、いまお借りする分をすぐに返します。すでに長い間返さないままになっている分については、残念ながら、お待ちいただくほかありません(中略)追伸。今、生徒はふたりですが、8人にしたいと思っています。私がレッスンを引き受けることを言いふらしてください」(1790年5月17日)

 追伸でモーツァルトは律義にも仕事を増やそうとヤル気を見せている。
 それで結局、プフベルクは総額でいくらほどモーツァルトに貸したのか。わかっているだけでも総額で約1450フローリンになるという。昔の通貨を現代の貨幣価値に換算するのは困難だが、当時のウィーンでは500フローリンほどで中産階級の男性ひとりが1年間、快適に暮らせたというから、並の暮らしなら3年分の年収を貸したことになる。これはなかなかできることではないだろう。
 モーツァルトから手紙が届くたびに、中身を開くまでもなくプフベルクには用件がわかり切っていた。それでも金を送り続けた。プフベルクは天才に金を貸すことで音楽史に名を残したのである。




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