ジェルジ・クルターグ：《サイン、ゲームとメッセージ》より
　ジェルジ・クルターグの《サイン、ゲームとメッセージ》は、1989年頃から現在に至るまで書き続けられている、独奏弦楽器（ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスなど）や、室内楽アンサンブルのための小品集。各曲は非常に短く、それぞれが特定の感情・技術的挑戦・人物（バッハ、ケージなど）へのオマージュとなっており、使用される楽器の特性を追求している。
　《サイン、ゲームとメッセージ》というタイトルは、クルターグの創作哲学を支える3つの柱を表している。まず「サイン」は、記号あるいは兆候のことで、最小限の素材で世界を表現しようとする意志が込められている。次に「ゲーム」は、クルターグ自身のピアノ曲集《遊び》と相関しており、「子供がピアノで遊ぶように」楽器に触れ、束縛から解放されることを目指している。最後に、もっとも大切な「メッセージ」は、友人、亡くなった仲間、敬愛する作家などへの「私信」に近い。「聴衆に向けて」というより、特定の人物との対話あるいは個人的・日記的な内容が意図されている。

岸野末利加：オーカース、ノックス（金と銀）II
　岸野末利加の《オーカース》シリーズは、仏ラスコーの洞窟壁画から着想を得た楽曲シリーズ。タイトルの「オーカース（Ochres）」は、洞窟の「顔料（黄土色、赭色）」を意味する「Ochre（オーカー）＝黄土色」から来ている。作品コンセプトは、音色の変化やテクスチャーに焦点を当て、時間の経過による壁画の風化や堆積を音響的に表現している。
　今回演奏される《オーカース I》は、フルート、オーボエ、クラリネットによる室内楽曲。3つの楽器の音色が溶け合うことで、音が濁ったり、揺らいだりしながら、黄色から茶色、赤土色へと混ざり合っていく様が描かれる。
　2曲目の《ノックス（金と銀）II》は、江戸時代前期の俳人、松永貞徳の俳句に着想を得た、オーボエ、クラリネット、弦楽四重奏のための室内楽曲。「Nox」とはラテン語で「夜」を意味し、さらに「金と銀」は「金（＝月）」と「銀（＝雪）」のコントラストを音化したもので、色彩感のある音響が志向されている。

ジョージ・ベンジャミン：《小さな丘へ》
　ジョージ・ベンジャミンが、劇作家マーティン・クリンプ（Martin Crimp）と初めてタッグを組んだ2006年の作品。室内オペラの形式をとっているが、「リリック・テイル（Lyric Tale）」と銘打たれている。
　物語のベースは、有名な伝承「ハーメルンの笛吹き男」だが、現代社会の政治的寓意や心理的恐怖を含んだダークなドラマとして再構築されている。
　登場するのは、ソプラノとコントラルト（アルト）の女性歌手2名。この2人が、代わる代わる「語り手」「群衆」「大臣」「大臣の妻」「見知らぬ男（笛吹き）」「子供」など全ての役を演じ分ける。シノプシスは、以下の通り。
【第1部：契約と駆除】　ある町でネズミが大量発生し、人々の生活を脅かしている。群衆は、再選を控えた大臣の屋敷に押し寄せ、「ネズミをどうにかしろ！」と激しく詰め寄る。大臣は自分の地位を守るため、事態の収拾に焦る。そこへ「見知らぬ男」が現れ、「ネズミを駆除できる」と申し出る。大臣は、彼がどこの誰とも知れぬ人物であるにもかかわらず、高額な報酬と引き換えにネズミの始末を依頼する。男が音楽を奏でると、ネズミが操られるように彼についていき、姿を消し、町は救われる。
【第2部：裏切りと消失】　仕事が完了し、男は報酬を求めて大臣のもとへ戻って来る。ところが、危機が去ると大臣の態度は一変。「予算がない」「君には正式な身分証明がない」「契約書がない」と理由を並べ立て、報酬の支払いを拒否する。男は静かに立ち去るが、その夜、再び町に現れる。そして男が、前回とは異なる、より魅惑的で恐ろしい音楽を奏でると、家々から（大臣の子供を含む）子供たちが出てくる。音楽に魅了された子供たちは男についていき、町の外れにある「小さな丘（Little Hill）」の闇の中へと消えていく。半狂乱になった大臣の妻は「私の子供はどこ？」と夫に問いかける。すると、丘の中から子供たちの声が響く――「ここが僕らの家だ。地の下の天使と一緒に光に向かって掘り進んでいるんだ。見えないの？ 見えないの？」。不気味な余韻のなか、残された大人たちは、呆然と立ち尽くす。