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Spring Festival in Tokyo2023

東京・春・音楽祭 × モバイルミュージアム


日本版画が19世紀のヨーロッパにもたらされ、「ジャポニスム」と呼ばれる美術潮流を生んだ。ゴッホもモネも、その流れに与して日本趣味の絵を描いた。美術の世界だけではなかった。西洋の園芸品種のなかには日本産が多く含まれる。あの、シーボルトが収集し、はるばるオランダに持ち帰り、頒布したのが発端であった。逆に、われわれが当たり前のように食べている西洋野菜の多くは、海軍医サヴァティエがフランスから取り寄せ、横須賀の自邸で順化を図り、普及させたものである。こうした東西交流の実現には、その前提として、情報の交換がなされていなくてはならない。
日本産植物には古くからの「和名」があった。しかし、それでは海外で通用しない。そのため、幕末の本草家は、「和名」を「洋名」へ読み替える必要に迫られた。上野恩賜公園が開園を迎えようとする時代は、伝統的な本草学が近代的な植物学へ移行する途上にあった。尾張の本草家、飯沼慾齋の『草木図説前篇』は、仏人の助けを得て、「洋名」付の『新訂草木図説』へ衣替えし、「ジャポニスム」動因の一つとなった。
原図を描いた慾齋は、大垣の自宅で多くの植物を慈しんでいたと言われる。細部の観察には顕微鏡が使われ、精細な筆致で彩色まで施されている。葉茎のかたちに適うよう、外枠を臨機応変に拡張してみせる、思い切った造形感覚は見事である。明治初頭は木版画の円熟期でもあり、版師、彫師、摺師など、優れた職人を結集できたのであろう。片や繊細な細部描写、片や大胆な画面構成。本草図譜における両者の共存が西洋美術に衝撃を与えた。
「ニッポン本草デザイン」の最高傑作が、いまここに見られる。

企画監修:西野嘉章(東京大学名誉教授・インターメディアテク顧問)



出典:『新訂草木図説』(全20巻) 飯沼慾齋著 大垣、平林荘 明治7(1874)年/田中芳男、小野職愨(もとよし)増訂
参考:フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)
クロード・モネ(1840-1926)
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796-1866)
リュドヴィク・アメデ・サヴァティエ(1830-1891)
飯沼慾齋(1782-1865)
主催:東京大学総合研究博物館インターメディアテク」/東京・春・音楽祭実行委員会

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