JOURNAL

ワーグナー集
2020/02/10

連載《トリスタンとイゾルデ》講座

~《トリスタンとイゾルデ》をもっと楽しむために vol.3

2020年の「東京春祭ワーグナー・シリーズ」では、《トリスタンとイゾルデ》を上演します。そこで、音楽ジャーナリストの宮嶋極氏に《トリスタンとイゾルデ》をより深く、より分かりやすく解説していただきます。連載第3回は、第2幕を見ていきます。

文・宮嶋 極(音楽ジャーナリスト)

 リヒャルト・ワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》をより深く楽しんでいただくために、音楽と物語を同時並行的に追いながら、その魅力を解き明かしていきます。連載3回目は第2幕について詳しく見ていきましょう。

 台本の日本語訳については、日本ワーグナー協会監修 三光長治/高辻知義/三宅幸夫 編訳『ワーグナー トリスタンとイゾルデ』(白水社)を、譜面はドーバー社刊のフル・スコアとPETERS版のピアノ&ボーカル・スコアを参照しました。なお、譜例は連載全体の通し番号として表示します。

第2幕

【前奏曲】

 昼を表わす「光の動機」(譜例⑮)、そしてトリスタンを待つイゾルデの気持ちを表現した「焦燥の動機」(譜例⑯)、さらに逢瀬を果たした喜びを表わす「歓喜の動機A」(譜例⑰)、「歓喜の動機B」(譜例⑱)、などが矢継ぎ早に連なる。トリスタンとイゾルデの心の内側で愛の喜びや不安、そして焦りが交錯していることを表わした短い前奏となっている。

譜例⑮

譜例⑯

譜例⑰

譜例⑱

【第1場】

 幕が開くとコーンウォール城内の庭。明るい夏の夜、館の扉脇には松明が差され、明々と燃えている。イゾルデの感情も愛の炎で燃え上がっていた。舞台裏からはホルンによる「狩の角笛の動機」(譜例⑲)が響く。王の一行が狩りに出かける合図である。周囲を警戒するブランゲーネをよそにイゾルデはトリスタンとの密会を待ちわび、とうとうと愛を語る。ブランゲーネは王の側近メロートには注意するよう進言するが、イゾルデは「メロート様はトリスタン様の無二の親友でしょ」と取り合わない。ブランゲーネは王一行の狩りはメロートによる罠ではないか、と疑っているのだ。角笛の音が遠くに消え去り(少なくともイゾルデはそう感じた)、彼女は松明を消すように命じる。それは密会が可能になったことをトリスタンに知らせる合図なのだ。ブランゲーネは「今晩だけでも私が危険を知らせるのが見えなくならないよう松明を消さないでほしい」と懇願するが、イゾルデはそれを無視して自ら松明を地面に投げつける。火が消えた瞬間、オーケストラは「死の動機」(譜例⑫)を奏でる。これは「暗闇→夜→死」ということを象徴的に表わしている。トリスタンを待ちきれないイゾルデは館の脇の階段を昇って物見台に向かい、布を振って合図を送る。

譜例⑲

譜例⑫

【第2場】

 転がるようにイゾルデのもとに駆け寄るトリスタン。2人は熱い抱擁を交わす。「愛しい人」「あなたを抱けるのね」「夢ではないか」、2人は興奮し、短い言葉で再会の喜びをぶつけ合う。音楽は活気をもって大きな頂点を成すが、じきにテンポと音量を落とし濃厚な愛の場面へと移行していく。約30分にも及ぶ長大な愛のやり取り。昼(光)を憎み夜(闇)を愛する、と禅問答のように繰り返す2人。オーケストラは「昼の動機」を何度も何度も繰り返す。当初の興奮が収まり、音楽が静まるとトリスタンの「夜のとばりよ、下りてこい。愛の夜よ、生きていることを忘れさせておくれ。この世から解放してください」との囁きから濃厚で美しい二重唱(譜例⑳)が始まる。半音階進行を交えた官能的な旋律が息長く続く、中盤最大の聴かせどころである。後半、ブランゲーネが「ご用心を!」(譜例㉑)と何度も注意を促すが、愛の陶酔に浸るトリスタンとイゾルデの耳にはその声は届かない。遠くから響くブランゲーネの声が絡む箇所も実に美しい音楽である。

譜例⑳

譜例㉑

 この二重唱冒頭の調性は変イ長調(As-Dur)。弦楽器は音階上、開放弦が少ないためオーケストラでは鳴りにくい調とされる。しかし、金管楽器やピアノで演奏すると明るい楽想が得られやすい調でもある。ショパンが好んで使ったことで知られ、「英雄ポロネーズ」はこの調で書かれている。また、金管が活躍するヴェルディの《アイーダ》の凱旋行進曲もこの調である。ワーグナーは弦のくすんだ響きの上に金管の明るい響きを乗せることで、2人の愛の潜在的な不安定さを聴覚的に表現したかったのだろうか。

 「愛の死の動機」(譜例㉒)のメロディに乗って愛の高揚は最高潮に達しようとしたその時、ブランゲーネの悲鳴が響き、クルヴェナールが抜き身の剣を持って慌てて駆けつける。「愛の死」は第3幕の最後にイゾルデが歌う有名な旋律である。第3幕では消え入るように終わっていくのだが、第2幕では途中からテンポを上げて、大きな盛り上がりを作っていく違いにも注目していただきたい。

譜例㉒

【第3場】

 メロートに先導されマルケ王一行が密会現場に踏み込んでくる。ブランゲーネが懸念したとおり、トリスタンの親友だったはずのメロートの計略で、王一行は密会現場を押さえるために、狩りに行ったように見せかける罠を仕掛けていたのだ。禁断の愛が白日の下に晒され、長い沈黙の末にトリスタンの口からは「味気ない白日もこれが見納めか!」との言葉が飛び出す。妻と信頼していた甥のトリスタンの裏切りにマルケ王は「お前は本気でそう思っているのか?」と声を震わせる。この場面は「マルケ王の嘆きの動機」(譜例㉓)によって導かれる。さらに王は「トリスタン、この私にこのような酷い仕打ちを加えるとは……」と嘆き、これまでトリスタンをいかに信頼していたかなどを言い聞かせるのだ。「マルケ王の動機」(譜例㉔)に乗せて語られる切々とした言葉を聞いたトリスタンは「王よ、私には何とも申し上げられません」と一切言い訳をすることはなかった。オーケストラは静かに「憧れの動機」(譜例①)を奏でる。続けてトリスタンはイゾルデに「これから自分が行くところにあなたもついて来てくれますか? 陽の光が差さない暗い夜の国……」と誘う。彼女は「トリスタンの古巣のあるところにイゾルデもついて行きます」と答える。剣を抜き斬りかかるメロートの刃の前にトリスタンは自ら身を任せ重傷を負い、クルヴェナールの腕の中に崩れ落ちる。トドメを刺そうとするメロートをマルケ王が制止し、幕となる。

譜例㉓

譜例㉔

譜例①




関連公演

関連記事

《トリスタンとイゾルデ》をもっと楽しむために vol.1
《トリスタンとイゾルデ》をもっと楽しむために vol.2
《トリスタンとイゾルデ》をもっと楽しむために vol.4

Copyrighted Image