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連載《トリスタンとイゾルデ》講座

~《トリスタンとイゾルデ》をもっと楽しむために vol.2

2020年の「東京春祭ワーグナー・シリーズ」では、《トリスタンとイゾルデ》を上演します。そこで、音楽ジャーナリストの宮嶋極氏に《トリスタンとイゾルデ》をより深く、より分かりやすく解説していただきます。連載第2回は、前奏曲と第1幕を見ていきます。

文・宮嶋 極(音楽ジャーナリスト)

 リヒャルト・ワーグナーの創作活動の中でも重要な意味を持つとされる《トリスタンとイゾルデ》をより深く楽しんでいただくために、音楽と物語を同時並行的に追いながら、その魅力を解き明かしていきます。連載2回目は、その後の音楽史に多大な影響を及ぼした〝トリスタン和音〟が現れる前奏曲と第1幕について詳しく見ていきます。

 台本の日本語訳は、日本ワーグナー協会監修 三光長治/高辻知義/三宅幸夫 編訳『ワーグナー トリスタンとイゾルデ』(白水社)を、譜面はドーバー社刊のフル・スコアとPETERS版のピアノ&ボーカル・スコアを参照しました。なお、譜例は連載全体の通し番号として表示します。

第1幕

【前奏曲】

 冒頭に「ゆったりと、そして思い悩むように」と記された111小節(アウフタクトを除く)からなる前奏曲。第3幕の最後にイゾルデによって歌われる「愛の死」と組み合わせて演奏会でもしばしば取り上げられる名曲である。トリスタンとイゾルデの愛の世界における二人の内面の動きを凝縮した作りとなっており、主要なライトモティーフが提示される。

 ワーグナーはこの前奏曲に表題的な注釈を施している。これをごく簡単にまとめてみよう。全体は大きく4つの部分に分けられる。

  • トリスタンとイゾルデは実は愛し合っており、静めようもない欲望によって、控えめな愛の告白がなされる(1~24小節)
  • 繊細なおののきから内なるものの爆発まで、さまざまな愛の様相の経験(25~44小節)
  • 内なる欲望の高まり(45~83小節)
  • あらゆる感情は自己の中に沈み、死の淵に消えてしまう(84~111小節)

冒頭、チェロとオーボエを中心とする木管楽器で奏でられるのが〝トリスタン和音〟を含む「憧れの動機」(譜例①)。この作品全体の最も重要なモティーフであり、愛の止むことなき憧れを表わす。前半のチェロの旋律はトリスタンの、後半の木管の部分はイゾルデの愛を表わしているともいわれる。続いてチェロによる「眼差しの動機」(譜例③)が現れる。


譜例①



譜例③

2.の部分に入ると、「魔酒の動機」(譜例④)などが提示される。


譜例④

3.に入ると、ヴァイオリンによる「法悦の動機」(譜例⑤)が何度も繰り返され、息の長い無限旋律によって二人の愛が次第に高揚していく様相が表わされる。その高揚は頂点目前で釣瓶落としのように下降し(譜例⑥)、「気を失って沈む」ことを強く印象付ける。


譜例⑤



譜例⑥

4.では「眼差しの動機」などが断片的に現れるものの、再び高揚に向かうことはなく、最後は思いが沈殿していくように静けさが支配し、チェロとコントラバスによるG(ソ)のピッチカート(譜例⑦)がppで2回鳴らされるだけという異例の形で第1場へとつながっていく。


譜例⑦

【第1場】

 幕が開くとそこは航海中の大きな帆船の中。甲板上には幕によって仕切られた船室がいくつか並んでいる。奥は幕で塞がれていて見えない。アイルランドの王女イゾルデが、コーンウォールの王マルケに嫁ぐため、侍女のブランゲーネとともに船旅をしている。若い船乗りによる、イゾルデを揶揄しているとも受け取れる歌(譜例⑧)が終わると、イゾルデはブランゲーネに「ここはどこ?」と問う。イゾルデにとって、どこにいるのかは重要ではなく、船乗りの歌で侮辱されたと思いこみ、怒りの矛先をブランゲーネに向けて発した問いなのであった。オーケストラは「航海の動機」(譜例⑨)を演奏する。一行を警護し船旅を引率しているのは、マルケ王の甥で勇者のトリスタンだ。トリスタンはイゾルデを避けるかのように舵を取り続けている。そもそもイゾルデにとっては不本意な政略結婚。外の空気を入れようと垂れ幕を開けると、船員たちの声が聞こえ、トリスタンが舵を取っている姿が見えてくる。


譜例⑧



譜例⑨

【第2場】

 船員たちの「航海の動機」の旋律に乗せた歌によって、船がコーンウォールに次第に近づいていることが分かる。イゾルデはトリスタンに対して「あいさつに来るように」とブランゲーネを言いに行かせる。しかし「今はイゾルデを王のもとに無事に送り届けることが私の任務」と拒否。さらにトリスタンの忠臣クルヴェナールが、主人の勇猛ぶりを称える「モロルトの歌」(譜例⑩)を歌ったため、イゾルデの怒りは頂点に達する。男たちが「勇者の動機」(譜例⑪)とともにトリスタンを讃える。


譜例⑩



譜例⑪

【第3場】

 再び幕が閉ざされ、イゾルデとブランゲーネの二人だけとなる。そこでイゾルデは、ブランゲーネからトリスタンの様子を聞いた後、過去の経緯を語り出す。モロルトは実はイゾルデの婚約者であったのだが、アイルランドとコーンウォールの戦争においてトリスタンと一騎打ちを行い、命を失ったのだった。その際、重傷を負ったトリスタンはタントリスという偽名を使い、特殊な医術の腕を持つイゾルデに助けを求める。イゾルデは仇と知りながら、トリスタンを殺すこともできたにもかかわらず、母親直伝の不思議な医術で彼を介抱し、傷を癒したのだった。この時、二人の心に密かに通じ合うものがあった。にもかかわらず、トリスタンはイゾルデを自分の妻にではなく、老いた叔父のマルケ王の妻にするために迎えに来たことが、彼女のイライラの原因だった。イゾルデは毒薬を使ってトリスタンを殺害し、自分も死ぬと言い出す。オーケストラは「死の動機」(譜例⑫)を奏でる。幕の外からは船員たちの合唱が聞こえ、航海も終わりに近づき、コーンウォールへの到着が間近であることを表わす。


譜例⑫

【第4場】

 やがて陸が見え始めると、クルヴェナールが現れて、「元気を出して朗らかに、手早くお支度ください」とイゾルデらに上陸の準備をするよう促す。イゾルデはトリスタンが自分のところに来て謝罪しない限り、船を降りないとトリスタンに伝えるよう命じる。クルヴェナールが去ると、イゾルデは母親から受け継いだ薬箱から毒薬を持ってくるようにブランゲーネに命じる。

【第5場】

 オーケストラが奏でる「運命の動機」(譜例⑬)とともにトリスタンが現れる。この動機は「英雄の動機」「トリスタン名誉の動機」などと呼ばれることもあるが、本稿では「運命の動機」とする。イゾルデは「私が何を望んでいるのか知らないとでもいうつもりか」と切り出し、婚約者モロルトを殺したトリスタンを激しく非難する。二人は内心では惹かれあっているが、双方ともに本心を明かせずにいる。トリスタンは「モロルトがそんなに大事だったのか」と言い、自らの剣をイゾルデに渡し、「今度こそ狙いを外さぬよう剣を振るっては」と申し出る。「愛=死」というこの作品のテーマが具体的な言動によって示される。そんな緊迫した空気を和らげるかのように船員たちの声が聞こえ、船が入港準備に入ったことが分かる。イゾルデは和解の杯と偽り、毒薬がなみなみと注がれた杯を差し出す。トリスタンは船員たちに着岸の指示を出しながらも死を覚悟し、杯を受け取りあおる。イゾルデも途中で杯を奪い「あなたのために飲むのよ」と毒薬を飲み干す。しかし、杯の中身は毒薬ではなく〝惚れ薬〟だった。ブランゲーネはイゾルデの不穏な様子を見て機転を利かせ、薬をすり替えていたのだ。オーケストラのフォルティシモのトゥッティ(全奏)の後、ティンパニのピアニッシモのトレモロに乗って木管が穏やかに「憧れの動機」を演奏する。それまでの二人の険悪な雰囲気が消え去り、「トリスタン!」「イゾルデ!」と互いの名前を呼び合い、熱い抱擁を交わす。船が着岸し「コーンウォール万歳」の合唱がこだまする中、周囲の目を気にせず抱擁を続けるトリスタンとイゾルデ。相手のために死を覚悟した両者の思いが〝惚れ薬〟をきっかけに解放されたのであった。最近のプロダクションでは〝惚れ薬〟を飲まない演出もある。つまりドニゼッティの《愛の妙薬》と同じく〝薬〟の中身は関係なく、それが愛し合う二人の本当の気持ちを表に出す〝道具立て〟に過ぎない、という意図である。ちなみに《愛妙》では〝惚れ薬〟ではなく安物のワイン。《トリスタン》では毒と思って死を覚悟して〝惚れ薬〟を飲んでいるところに大きな違いがあることを忘れてはいけない。


譜例⑬

 花嫁の無事の到着を祝して、陸上の力強い男声合唱とファンファーレが鳴り響き、安定したC-Dur(ハ長調)の輝かしい和音(譜例⑭)で幕となる。


譜例⑭


※次回は第2幕について詳しくご紹介していきます。

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