JOURNAL

The 20th Anniversary

20歳の頃 ~20名の大作曲家たちのエピソードをご紹介~

第2回

上野の山を彩る“桜の季節の風物詩”「東京・春・音楽祭」が20回目を迎えます。人間に例えてみれば、20歳は大人の仲間入り。世間一般に“個人”として認められる人生の大きな節目です。クラシックの世界に鑑みてみても、20歳の頃は、過去の偉大な作曲家たちが人生の節目を迎えつつある時期であったことが伺えます。というわけで、第20回を迎える「東京・春・音楽祭」に関連する作曲家たちの中から20人をピックアップして、彼らの「20歳の頃」を紐解いてみたいと思います。若き日の人間味あふれる姿を知ることによって、彼らが遺した音楽の素晴らしさもきっと“20倍”にも膨らむことでしょう。

文・田中 泰

●Vol.5:メンデルスゾーン(1809-1847)

〜裕福な家庭に育まれた幸福な天才〜

“早熟の天才”という意味において、モーツァルトやシューベルトに比肩する存在がメンデルスゾーンです。大きな違いは、メンデルスゾーンがとても裕福な家庭に生まれ育ったこと。その財力を背景に育まれた豊かな才能は、20歳にして“J.S. バッハ(1685-1750)の価値を世に知らしめる”という大仕事を成し遂げます。14歳の時にクリスマスプレゼントとして祖母からもらったバッハの《マタイ受難曲》の楽譜を研究したメンデルスゾーンは、20歳の年にベルリンにおいて、忘れられていたこの名作の復活蘇演を行います。この成功によってメンデルスゾーンの名は、ヨーロッパ中に広まったのです。その後、見聞を深めるために3年間に渡る欧州旅行にでかけたのも大富豪の御曹司ならでは。なんとも凄い20歳です。

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●Vol.6:ショパン(1810-1849)

〜人生の節目となった旅立ちの時〜

“ピアノの詩人”と呼ばれるショパンの20歳の頃は、人生最大の節目と言えそうです。すでに作曲家・ピアニストとして成功していたショパンは、自らの能力を試すべくウィーンでの活動を決心。ワルシャワでの告別演奏会において《ピアノ協奏曲第1番》を初演しています。勇躍祖国ポーランドを出国したショパンのもとに届いたのは、ワルシャワ蜂起の知らせでした。そして翌年のワルシャワ陥落を知ったショパンが、祖国への思いを込めたエチュード《革命》を書いたのもこの頃です。その後パリを中心に活動しパリに没したショパンは、2度と祖国ポーランドに戻ることはありませんでした。しかし遺言によって心臓のみが祖国に持ち帰られ、今もワルシャワの「聖十字架教会」に収められています。

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●Vol.7:シューマン(1810-1856)

〜音楽の道を志したメモリアルイヤー〜

“クラシック史上屈指のロマンティスト”シューマンの20歳の頃は、ようやく本格的に音楽家への道を歩み始めた時期にあたります。19歳にしてハイデルベルク大学法科での勉強を放棄し、交響曲を作曲し始めたシューマンは、20歳にしてピアノの練習に専念。パガニーニの演奏に衝撃を受け、ますます音楽の道にのめり込みます。息子の将来を心配した母親が高名な音楽教師ヴィークに息子の才能を確認(いつの時代も一緒ですね)。その後ヴィーク家での住み込みレッスン生活がスタートします。ここに“クラシック史上最大のロマンス”に数えられる愛妻クララとの出会いが実現するのですが、2人が恋に落ちるのはもう少しあとの話です。そして初出版作《アベッグ変奏曲》作品1が作曲されたのもこの年です。

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●Vol.8:ブラームス(1833-1897)

〜シューマン夫妻との出会いによって人生が激変〜

20歳の頃のブラームスは、貧しい家計を助けるために演奏旅行の真っ只中。そこで知り合ったのが、生涯の友となるヴァイオリンの名手ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)でした。その彼の“推し”によってロベルト&クララ・シューマン夫妻に出会います。シューマンは、20歳のブラームスの才能に触れた喜びを、自らが主筆を務める『音楽新報』の中に「新しい道ヨハネス・ブラームス」として書き記します。これは、若きブラームスが世に出るための大きなきっかけとなったのでした。翌年シューマンは自殺未遂を図り、ブラームスは彼の家族を援助するために再びシューマン家を訪れます。その後のクララとの生涯に渡る不思議な関係は映画にもなっていますので、興味のある方はぜひ御覧ください。ちなみに20歳の頃のブラームスは、晩年の姿が嘘のような美青年だったようです。

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田中泰(音楽ジャーナリスト/プロデューサー)

1988年「ぴあ」入社以来一貫してクラシックジャンルを担当。2008年「スプートニク」を設立して独立。「家庭画報web(名曲物語365)」「アプリ版ぴあ(クラシック新発見)」などの連載や、J-WAVE「モーニングクラシック」のナビゲーター、JAL機内クラシックチャンネルの構成などを通じて、一般の人々へのクラシック音楽の普及に尽力。

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