JOURNAL

ブルックナーと《ミサ曲第3番ヘ短調》

文・髙松佑介(音楽学)

1868年のブルックナー

2024年の東京・春・音楽祭で注目される演目の一つに、ブルックナーの《ミサ曲第3番ヘ短調》(WAB 28)がある。今年で生誕200年を迎えた作曲家アントン・ブルックナー(1824~1896)は、今日では交響曲の作曲家としてよく知られているが、彼が交響曲に身を捧げるようになったのは40歳を過ぎた後半生のことである。前半生はオルガン奏者として活躍し、作曲家として宗教音楽を多く手掛けており、《ミサ曲第3番》はその集大成とも位置付けられる作品だ。ここでは彼の生涯を概観しつつ、この作品の聴きどころを追ってゆこう。


 ブルックナーは1824年9月4日、オーストリア帝国のリンツ郊外にある小村アンスフェルデンに、学校教員の息子として生まれた。音楽を教えてくれた父親を早くに亡くした彼は、1837年にザンクト・フローリアン修道院の少年合唱団に入り、数多くの宗教音楽に触れることとなった。もっとも、このとき彼は職業音楽家になることを目指したわけではなく、学校教員になるべく1840~41年にリンツで教員養成課程を修め、いくつかの町で教鞭を執っている。
 正教師の資格を得た彼は、1845年にザンクト・フローリアンの母校に迎えられ、1851年には修道院オルガン奏者の職務も任されるようになった。特にオルガンの即興演奏には以前から定評があり、各地で称賛を受けている。彼がこの頃作曲していたのは、主に教会での典礼のために用いる実用的な音楽であり、つまり二十代はまだ地方の学校の一教員、そして修道院での一オルガン奏者・作曲家だったわけだ。
 こうして迎えた三十代、いよいよブルックナーは教職の仕事から離れ、音楽家として活動を拡げることとなる。1855年に募集されたリンツ大聖堂および市教区教会のオルガン奏者に採用されたのである。これはすなわち、当時のオーストリアで指折りのオルガン奏者に数えられることを意味している。そしてリンツ大聖堂での上演のため、ブルックナーは《ミサ曲第1番ニ短調》(1864年)・《第2番ホ短調》(1866年)を作曲した。《第1番》は1867年にウィーンの宮廷礼拝堂でも演奏の機会が設けられ、そこから新作の依頼が舞い込んだ。こうして1867~68年に書かれたのが《ミサ曲第3番ヘ短調》である。
 三十代をリンツで過ごしたブルックナーは、1856年に当地の合唱団「フロージン」に入り、1860年から合唱長を務めるなど、指導者としても活躍している。ここでは専ら実用的な声楽ジャンルと関わる機会が多かったわけだが、こうした活動の傍らで、ブルックナーはジーモン・ゼヒターとオットー・キツラーのもと、作曲を基礎から徹底的に学び直している。ゼヒターはフランツ・シューベルトも教えを乞うた対位法の大家であり、キツラーのもとでは楽曲形式と管弦楽法を学び、リヒャルト・ワーグナーの音楽の魅力に開眼することとなった。ここまでが前半生である。
 実り多い学修の成果を携えて、ブルックナーは四十代になると拠点をウィーンに移し、音楽院教授や宮廷オルガン奏者などを務めながら交響曲創作に打ち込むことになる。こうして生まれたのが、番号の付いた9つの交響曲である。特に1884年に初演された《交響曲第7番》は国境を越えた成功を収め、1891年にはウィーン大学から名誉博士号を授与されるなど、オルガン奏者のみならず「交響曲作曲家」としての地位も確立した。


リンツ大聖堂


 さて、ブルックナーのミサ曲を見てゆく前に、前提となる事柄から確認しよう。「ミサmissa」とは、キリストの十字架での受難と復活を記念するという、カトリック教会において典礼の中枢をなす礼拝集会を指す。ミサでは様々な祈りが捧げられるが、その式文には一年を通して変わらない「通常文ordinarium」と、季節や祝日によって異なる「固有文proprium」という2つのタイプがあり、これらは聖職者によって唱えられたり、聖歌隊によって歌われたりする。このうち、ミサで歌われる5つの通常文に音楽を付けたものを一般に「ミサ曲」と呼んでいる。したがって「ミサ曲」と称される音楽では、基本的に作曲家は決まったラテン語のテクストに曲を付けることとなる。それではブルックナーは、《ミサ曲第3番》において、どのような音楽を付けたのだろうか。
 冒頭の〈キリエ〉(あわれみの賛歌)は、厳粛なヘ短調で始まる。歌詞は“Kyrie, eleison(主よ、憐れんでください)”が“Christe, eleison(キリスト、憐れんでください)”の後に回帰するため、音楽も同様に冒頭の再現となるが、2回目は上向きの旋律に変化し高揚してゆく。
 次の〈グローリア〉(栄光の賛歌)は堂々たるハ長調で書かれ、下行旋律を基調とするキリエとは反対に、「ハ―ニ―ホ」と高らかに上行する。A-B-A’という三部分の形式で書かれ、ア・カペラの合唱が置かれたB部の後に回帰するA’部は、最後に“in gloria Dei Patris(御父なる神の栄光のうちに)”と“Amen(アーメン)”が二重・三重に重ねられたフーガで締めくくられる。
 そして〈クレド〉(信仰宣言)も、〈グローリア〉と同じ「ハ―ニ―ホ」で始まる。この3音から成る印象的な動機は、冒頭の“Credo in unum Deum(私は信じます、唯一の神を)”だけでなく、“Et in unum Dominum(また、唯一の主)/Jesum Christum(イエズス・キリストを(信じます))”や中間部後の“Et in Spiritum Sanctum(また、聖霊を(信じます))”でも回帰し、三位一体である父なる神を象徴する。中間部ではイエスの降誕、磔刑、3日後の復活と昇天が語られ、それぞれの場面に合わせて移り変わる音楽が聴きどころである。最後の2行“Et vitam venturi saeculi(そして来世の生命を(待ち望みます))/Amen(アーメン)”はフーガとなり、度々“Credo(信じます)”の合唱が挟まれる。
 〈サンクトゥス〉(感謝の賛歌)は緩急の対照が豊かで簡潔な二部構成を取る。そして白眉は、温かな音色の弦楽合奏で始まる式文後半の〈ベネディクトゥス〉だろう。この部分は独立した楽章として扱われ、あたかも交響曲の緩徐楽章を聴いているような、情感をたたえた曲調が特徴的である。
 最終楽章〈アニュス・デイ〉は「神の子羊」の意で、平和の賛歌だ。暗鬱としたヘ短調で始まるが、後半部ではキリエやグローリアの旋律が回帰し、へ長調で平安のうちに曲を締めくくる。
 全体として強奏と弱奏、独奏と総奏などコントラストに満ちた構成で、典型的なブルックナー・サウンドを聴きとることができる。彼が交響曲を書き始めた頃、そして前半生の総決算であるこの作品に、じっくり身を浸していただきたい。

※ミサ通常文の和訳は、志田英泉子『ラテン語宗教音楽キーワード事典』(春秋社・2023年)を参照させていただきました。

関連公演

東京春祭 合唱の芸術シリーズ vol.11
ブルックナー《ミサ曲第3番》生誕200年に寄せて

日時・会場

2024年4月13日 [土] 14:00開演(13:00開場)
東京文化会館 大ホール

出演

指揮:ローター・ケーニヒス
ソプラノ:ハンナ=エリーザベト・ミュラー
メゾ・ソプラノ:オッカ・フォン・デア・ダメラウ
テノール:ヴィンセント・ヴォルフシュタイナー
バス:アイン・アンガー
管弦楽:東京都交響楽団
合唱:東京オペラシンガーズ
合唱指揮:エベルハルト・フリードリヒ西口彰浩

曲目

ワーグナー:ジークフリート牧歌
ブルックナー:ミサ曲 第3番 ヘ短調 WAB28

チケット料金

S:¥17,000 A:¥14,500 B:¥12,500 C:¥10,500 D:¥8,500 E:¥6,500
U-25:¥3,000


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