JOURNAL

連載《パルジファル》講座

~《パルジファル》をもっと楽しむために vol.4

音楽ジャーナリスト・宮嶋極氏による、《パルジファル》をより深く、より楽しく鑑賞するための講座 ―― 最終回となる第4回では、物語がクライマックスを向かえる「第3幕」を解説します。

文・宮嶋 極(音楽ジャーナリスト)

 クンドリの誘惑に打ち勝ち、何処かヘと旅立ったパルジファル。はたして彼は、本当の救いをもたらす聖なる愚者なのか。物語はいよいよ大詰めに向かう。今回は、第3幕を詳しく見ていきます。なお、これまでと同じくストーリーを追いながら順に紹介していきますが、引き続いて台本の日本語訳は、国内の公式翻訳である日本ワーグナー協会監修 三宅幸夫/池上純一翻訳「ワーグナー パルジファル」(白水社)を、譜面はドーバー社刊のフル・スコアを参照、引用しました。第1幕、第2幕で使われたライトモティーフ(示導動機)の譜例については、Web上の第1幕、第2幕の項をクリックしてご参照ください。

パルジファルの苦闘を表現した前奏曲

  2幕と3幕の間には、いったいどのくらいの時間が経過したのであろうか。クリングゾルの魔法の世界を脱したパルジファルはあちらこちらを彷徨っていたとされるが、その様子は再び「Sehr Langsam(きわめて緩やかに)」と指定された46小節からなる前奏によって描かれている。まず、弦楽器が「荒地の動機(さすらいの動機と呼ばれることも)」(=譜例22)を奏で、それが「迷いの動機」(=譜例23)へと変化していく。つまり彷徨いながら迷っているわけだ。

 ワーグナーは迷いや逡巡を表現する際に、この「迷いの動機」のようなシンコペーション的な不規則なリズムを使うことが多い。例えば《タンホイザー》第2幕、エリザベートが身を挺してタンホイザーを弁護するシーン。タンホイザーが後悔し、激しく動揺する様を弦楽器のシンコペーションのリズムで見事に表現している。また《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第3幕、ハンス・ザックスがエーファへの思いを断ち切って気持ちを取り直す場面でも、弦楽器の旋律にシンコペーションのような変化に富んだリズムを与えて、気持ちの切り替えの境界を巧みに表わしている。

 旋律面では「聖杯の動機」や「クリングゾルの動機」を変化させた不安定な半音階進行が続き、パルジファルが聖なる世界(聖杯の領域)と邪悪な世界(クリングゾルの領域)の狭間で苦闘している様子が如実に浮かび上がってくる。

譜例㉒

譜例㉓

変貌したパルジファルが現れ奇跡が実現する

 幕が上がると、そこは再びモンサルヴァートの森(聖杯の領域)。あたりは春の風景だが、どこか寂しい雰囲気が漂っている。グルネマンツは年老いて隠者のような姿をしている。「向こうから呻き声がしたが...、あの悲しげな声には聞き覚えがある」と耳をそばだてるグルネマンツは、獣のうなり声のように呻きながら眠るクンドリを発見する。硬直し冷たくなっているクンドリにグルネマンツは息を吹きかけ「さあ、クンドリ起きろ! 冬は去り、春が来た、目覚めよ!」と起こす。起こすということは、すなわち魔界から救い上げ、蘇生させるとの意味合いを包含しているとも考えられる。それは、クンドリの呻き声と同時に「クリングゾルの動機」が怪しく絡みつくように鳴るのだが、グルネマンツの呼び声によってそれが次第に払拭されていくことでも明らかであろう。

 明快な形で現れた自らの動機とともに目を覚ましたクンドリは、茫然自失の状態。挨拶や感謝の言葉もなく「奉仕...奉仕を」とかすれた声で呟く。グルネマンツは小屋に入っていく彼女の歩みが、これまでとは異なっていることに気付く。

 そこへ鎧兜に身を固め、槍と盾を持った男が近づいてくる。この時、ホルンとトランペットが「パルジファルの動機」を演奏。しかし、このメロディは臨時記号によって短調の陰りを感じさせる調子に変えられている。近づいてきているのはパルジファルなのだが、グルネマンツらはそれに気付いていないこと、そしてそれはパルジファルが以前とはまったく違う落ち着いた人格に変っていたためであることが、音楽によってさり気なく表現されている。

 グルネマンツは警戒しつつも男を歓迎。この場所が聖なる領域である上に、この日は聖金曜日であるため、武装を解くように告げる。

 パルジファルは沈黙したまま立ち上がり、槍を地面に突き立て、剣と盾をその前に置いて鎧兜を脱ぎ、敬虔な面持ちで槍の穂先を仰ぎ見る。オーケストラはこの時、「聖餐の動機」を奏でる。グルネマンツはこの男が、かつて自分が追い出した愚か者であり、地面に突き立てられた槍は、アムフォルタスがクリングゾルに奪われた聖槍であることに気付く。

 パルジファルは彷徨っていた間、苦難の連続であったこと、そしてどんな苦難に直面しても、槍を戦いに使うことなく守り通したことなどを語る。

 それを聞いたグルネマンツは感極まって「おお、恩寵よ! いと高き救いよ! ああ、奇跡だ!...」と歓喜の叫びをあげる。続けてグルネマンツはアムフォルタスの苦悩が一層深まった結果、自暴自棄に陥り、聖杯守護の勤めである覆いをとることを拒んだため、騎士団は衰退し、先王ティトゥレルも亡くなってしまったことなどを明かす。

 この間、オーケストラは「聖槍の動機」「感動の動機」(=譜例24)などの諸動機に続けて、この幕の前奏部分を再現するような展開で彼の言葉を支える。ここでの調性は、本来の変ロ短調(b-moll)に戻っている。この調は「陰鬱さ」を感じさせる響きを持つとされ、聖杯騎士団が置かれた重苦しい状況を聴覚面からも観客・聴衆に伝える効果がある。

 「私こそ、こうしたすべてを招いた張本人」と後悔の思いに押し潰されて気を失いそうになるパルジファル。クンドリはパルジファルにかける水を汲むために桶を持って駆け出す。グルネマンツは戻ってきたクンドリを制し、泉のほとりに行き、聖なる泉の水を直接かけて洗礼を施すことを告げる。

譜例㉔

 「今日にもアムフォルタスのもとへ案内してもらえるか?」とのパルジファルの問いに、「もちろんですとも。お城ではわれわれを待ちわびています。わが主君の葬祭には老骨も招かれています」とのグルネマンツの答えに合わせて、ホルンと低弦が「葬祭の動機」(=譜例25)を奏でる。

譜例㉕

 泉のほとりでクンドリはパルジファルの足を洗い、グルネマンツがパルジファルの頭に水をかけ、洗礼の儀式が行われた。この間、オーケストラは何度も「祝福の動機(洗礼の動機と呼ばれることも)」(=譜例26)を繰り返す。さらにクンドリはパルジファルの足に聖油を塗り、自らの髪で拭き取る。新約聖書のイエス・キリストとマグダラのマリアに関する記述を連想させるシーンだ。

譜例㉖

 続いて「パルジファルの動機」がロ長調で高らかに奏でられて、今度はパルジファルがクンドリに洗礼を施し、彼女は泣いてひれ伏す。彼女が救済されたのだった。さらにパルジファルが森に眼差しを向けると、まるで呪いから解放されたように木々は生命感を蘇らせ、朝日に輝く。オーケストラは弦楽器とオーボエ、ホルンによって絵のように美しい「天使の動機」(=譜例27)を奏でる。ここからが「聖金曜日の奇跡」と呼ばれ、全作中最も美しい音楽が続く場面。調性はいつしかロ長調からニ長調に転調されていく。ニ長調は、第1幕終盤の聖堂のシーンで使われたハ長調と同じく教会旋法をもとにした調。聖杯騎士団を表現した堂々たる雰囲気のハ長調に比べると、より明るく崇高なイメージを感じさせる効果があり、パルジファルの崇高さと、彼の存在が"不純なもの"に打ち勝つ大きな希望に結び付いたことが象徴的に示されている。

譜例㉗

 これらの様子を眺めていたグルネマンツは、待ちに待った奇跡が実現したことに万感の思いを寄せて語り始める。音楽は、不協和音を合図とするかのように「聖餐の動機」が現われ、「聖金曜日の動機」(=譜例28)が続く。

譜例㉘

 「聖金曜日の奇跡」の音楽は、次第に行進曲風の「葬祭の動機」に変容し、パルジファルはグルネマンツとクンドリによって城へと導かれていく。

 場面転換が行われ、城の聖堂に騎士たちが先王ティトゥレルの棺、続いてアムフォルタスを乗せた輿を担いで入場してくる。騎士たちは「ああ、これを最後に...」とアムフォルタスに聖杯の覆いを取る勤めを果たすように迫る。アムフォルタスが「聖杯悲嘆の動機」(=譜例29)に乗せて棺の蓋を開かせると、騎士たちから苦痛に満ちた叫び声が上がる。この悲鳴が二短調に転じるきっかけの役割を果たし、アムフォルタスは「父上!」と亡き先王に向けて自らの苦衷を語り始める。ニ短調も教会旋法から発達した調ではあるが、厳粛さとともに怒りを表現する際にもしばしば用いられる。アムフォルタスは騎士たちの求めを強く拒絶し、自らの死を乞い願う。それでも勤めを果たすように迫る騎士たちに、ついに着衣をむしり取りわき腹の傷を見せて「武器を取れ、剣を突き刺せ」と逆上してしまう。

譜例㉙

 そこへ「聖杯の動機」とともに聖槍を手にしたパルジファルが現われ、「霊験あらたかな武器は、ただひとつ...」と傷を負わせたその槍でわき腹の傷口に触れると、たちまち傷が癒え、アムフォルタスは晴れやかな表情を浮かべる。「アムフォルタスの動機」が柔らかな調子に転じて、さまざまな楽器に受け継がれていく。さらにこの動機は「宣託の動機」の変形を経て、輝かしいニ長調の「パルジファルの動機」にとって代わられる。ここは、聖杯守護の騎士団の王がアムフォルタスからパルジファルへと交代したことを、音楽で表現していると解釈できる印象的なシーン。

 パルジファルは「聖餐の動機」に導かれるように、聖堂の真ん中に進み出て槍を高く掲げて、聖なる槍をクリングゾルから奪還したことを示す。オーケストラは「聖槍の動機」を繰り返す。祭壇に上ったパルジファルが聖杯を開帳させ、跪いて祈りを捧げると、杯は柔らかな光を発し始め、天からも光が差す。音楽は変イ長調に転じて「聖餐の動機」と「信仰の動機」が一体化した展開となり、荘厳な雰囲気を醸し出す。「いと高き救済の奇跡よ 救済者に救済を!」との騎士たちの合唱に、聖杯の輝きがさらに増す。

 その時、天から1羽の白い鳩が舞い降りて、パルジファルの頭上を飛び回る。この様子を見ていたクンドリは、パルジファルの足下に崩れ落ち息絶える。彼女もついに永遠の呪いから解放され、安らかなる眠りについたのだった。合唱からは「宣託の動機」に導かれて「聖杯の動機」「信仰の動機」「聖杯の動機」が同時多発的にさん然と鳴り響き、これに合わせてパルジファルは聖杯をかざして回り、跪くアムフォルタスやグルネマンツ、そして聖杯騎士団に祝福を与える。最後はオーケストラが奏でる「聖餐の動機」がゆったりしたアルベッジョによって弱められていき、静かに幕を閉じる。

演奏会式上演が可能にするより深い観劇

 この連載の第2回、第1幕を紹介した際にも述べましたが、ワーグナーは《パルジファル》において、それ以前の作品にも増して複雑な調性のコントロールを行い、聴覚面からもさまざまな劇的効果が得られるように工夫を凝らしています。それによって生み出される響きの変化や移ろいが、聴く者、観る側の潜在意識にサブリミナル効果のごとく働きかけ、劇中の世界へとより深く誘います。変イ長調で始まったこの長大な作品が、第3幕には「パルジファルの動機」を輝かしく響かせたニ長調へと到達、そこから二短調に転じ、さらに聖杯の開帳の場面で再び変イ長調へと戻っていく。詳述は避けますが、これは両極の調性が相互補完し合うことで解決に導く、極めて凝った展開といえるものです。従って最後の変イ長調は「墓場」というよりは「永遠」や「永遠の命」を表わしている、と筆者は考えます。これらはまさに晩年のワーグナーだからこそなし得た和声の妙に他なりません。「東京・春・音楽祭」における《パルジファル》は演奏会式上演だけに、こうした響きの色合いや雰囲気の変化に少し気を留めて耳を澄ましてみると、作品の本質に迫ることが可能となるはずです。当連載をヒントにさらに深い部分で《パルジファル》という大作を楽しんでいただけましたら幸いです。

譜例演奏:林そよか 中村伸子

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