JOURNAL

連載《パルジファル》講座

~《パルジファル》をもっと楽しむために vol.2

音楽ジャーナリストの宮嶋極氏による、ワーグナー:《パルジファル》をより深く、より楽しく鑑賞するための本コラム、その第2弾では「前奏曲」と「第1幕」を解説します。

文・宮嶋 極(音楽ジャーナリスト)

ワーグナー最後の、深遠かつ長大な作品

 リヒャルト・ワーグナー最後の舞台作品《パルジファル》。今回からは、この深遠な大作を私が勤務するスポーツ新聞のごとく、なるべく分かりやすく、しかしその一方で、詳しく紹介していきます。物語と音楽を同時並行的に追いながら、ワーグナーがそこに託したメッセージについて考えていきましょう。テキストに記された言葉、譜面の中のさまざまな動機や旋律には、多種多様な意味合いが込められています。同じ事柄や動機であったとしても、使われている場面や状況によって意味が変わったり、指し示す方向性が異なったりすることがあります。このため、観客・聴衆個々にその受け止め方も変わってくるのです。そこがワーグナーの作品の奥深さであり、最大の魅力でもあります。これまで筆者が取材した指揮者や演出家らの話なども参考にしながら、《パルジファル》をご覧になったことがない方にも、具体的なイメージを持っていただけるよう、奥深い世界に歩みを進めていくつもりです。なお、台本の日本語訳については、国内の公式翻訳である日本ワーグナー協会監修 三宅幸夫/池上純一翻訳「ワーグナー パルジファル」(白水社)を、譜面はドーバー社刊のフル・スコアを参照、引用しました。

「死」「永遠」を思わせる前奏曲

 「Sehr Langsam(きわめて緩やかに)」と指定された前奏曲。ワーグナーは1880年11月、ルートヴィヒⅡ世の前で演奏した際、<「バルジファル」前奏曲/愛―信仰―:希望?>との注釈を付けている。

冒頭、第1、2ヴァイオリン、チェロ、クラリネット、コールアングレ、ファゴットによって厳かに奏でられるのは「聖餐(せいさん)の動機」(=譜例① ※譜例はクリックで拡大します)。

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譜例①

 弦楽器はミュート(弱音器)を付けて演奏することになっており、ややくぐもったような響きは荘厳な雰囲気を醸し出すとともに、幕開けにつながる朝のもやを表現しているかのよう。調性は変イ長調(As-dur)。この作品同様、聖杯(グラール)が登場する≪ローエングリン≫の主調は、これより半音高いイ長調(A-dur)であり、両者を対比してみることで《パルジファル》の基本的なイメージが浮かび上がってくる。

 かいつまんで説明すると、イ長調はあらゆる調性の中でとりわけ明るく輝かしい響きがするのに対して、変イ長調は逆に明快な響きが得られにくい調とされる。これは、弦楽器で音階を弾いた場合、解放弦が少ないため、倍音を伴いにくいことなどが関係しているそうだ。その結果、変イ長調は「死の調」「墓の調」、そこから転じて「永遠の調」と呼ばれたりもする。ちなみに変イ長調で書かれた他の名曲を挙げてみると、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」の第2楽章、シベリウスの交響詩「フィンランディア」の後半などがあり、これらを聴けばこの調のおおよその雰囲気を掴んでいただけると思う。いずれにせよ「死⇒永遠」、まさに《パルジファル》という作品の始まりにふさわしい調性といえよう。

 さて、前奏曲に話を戻そう。「聖餐の動機」の提示に続いて、ヴィオラによるアルペジオ、木管楽器の三連符が絡み合い、そこにヴァイオリンが加わり、天から淡い光が降り注ぐような不思議な音空間が作り出される。いかにもワーグナーらしい構造美が発揮されており、バイロイト祝祭劇場の特殊なアコースティクの中で聴くと、異次元に誘われるかのような感覚にとらわれる箇所だ。それに乗って再びトランペットが「聖餐の動機」をより明確な形で演奏し、変イ長調がハッキリと強調される。この一連の動きが短調に変化して反復された後、さらに転調しながらトランペットとトロンボーンが「聖杯の動機」(=譜例②)を吹奏。木管に受け継がれたところで、トランペットとホルンがそれを遮断するかのように力強く「信仰の動機」(=譜例③)を演奏する。なお、「聖杯の動機」は、ドイツの教会に古くから伝わるコラール、「ドレスデン・アーメン」の旋律を活用したもの。

譜例②

譜例③

 次に姿を現すのがチェロ、オーボエ、ホルンによる「聖槍の動機」(=譜例④)で、これがヴァイオリンに受け継がれ、さらに「アムフォルタスの動機」の断片、「聖餐の動機」が折り重なり(=譜例⑤)、再びワーグナー独特の構造的な展開がなされた後、半音階進行によって音程が緩やかに上昇、前奏曲はヴァイオリンのフラジオレットによる高音(2オクターブ上のEs)に導かれるように終了し、第1幕へとつながっていく。

譜例④

譜例⑤

見る人を敬虔な気持ちにさせる幕開け

 起床の合図ともいうべきトロンボーンによる「聖餐の動機」とともに幕が開くと、そこは中世のゴート領スペイン、モンサルヴァート城近くの森。老騎士グルネマンツが目を覚ます。グルネマンツは「さあ、さあ、森番たちよ」と2人の小姓を起こし、朝の祈りを捧げる。音楽は前奏曲を反復するような進行。バンダ、つまり舞台裏別働隊のトランペットとトロンボーンによる「聖杯の動機」をオーケストラ・ピット内の木管楽器群が受け継ぎ、それに呼応して再びバンダのトランペットが「信仰の動機」を厳かに演奏する。これを弦楽器がゆっくりしたテンポで反復し、しばし朝の静かな祈りのシーンが繰り広げられる。グルネマンツという人物の人となりを象徴するかのような場面で、観る者も敬虔な気持ちにさせてくれる。

 ヴァイオリンの32分音符による上昇音型で曲想が転換、同時にロ長調(H-dur)という滅多に使われない調に転調される。グルネマンツはアムフォルタス王が水浴に行く時間だとし、小姓たちに用意をさせる。このバックで弦楽器が「アムフォルタスの動機」(=譜例⑥)を繰り返す。ロ長調は古典調律でチューニングされた鍵盤楽器で演奏すると主和音などが濁ってしまうため「聞くに堪えない調」とされるが「アムフォルタスの動機」をわざわざ、こんな特殊な調に乗せて演奏させている背景には、彼の苦悩や苦痛を調性という意識の奥底に作用する特殊な手法で観客・聴衆に伝えようとするワーグナーの意図があったことは間違いないだろう。

譜例⑥

 そこに2人の騎士が現れ、王の傷を癒すために取り寄せた薬について「いやます痛みがすぐにぶり返しただけ」と語り効果がなかったことを明かす。そんな重苦しい空気をヴァイオリンの激しいトレモロが引き裂き、テンポが速くなり「クンドリの動機」(=譜例⑦)とともにクンドリが荒々しく姿を現す。彼女は王の苦しみを和らげるために、アラビアから鎮痛香油(バルサム)を見つけて来たのだ。

譜例⑦

 そして「アムフォルタスの動機」とともに王が輿に乗せられて登場する。王は半身を起こし「痛みに悶える夜も去り、森の朝の見事さよ......痛みの夜も明けやらん――」などと語る。この場面でのオーケストラの音楽は「森の朝の動機」(=譜例⑧)を軸とした牧歌的で穏やかなものだが、和声面では解決しそうで解決に至らず、王の願いは決して叶わないことがさりげなく暗示されている。アムフォルタス王は、クンドリが持ってきたバルサムを受け取り、一行は水浴に向かう。

譜例⑧

グルネマンツの長大な語り

 いよいよここからグルネマンツの長い長い語りが始まる。過去のいわく因縁が登場人物ごとに整理された形で、彼の言葉を通して明らかにされていく。ワーグナーの作品の中で、こうしたひとり語りのような場面はよく見られるが、長大さという点では、このグルネマンツと、「ワルキューレ」第2幕でヴォータンがブリュンヒルデに語る場面が双璧をなしている。

 グルネマンツが最初に俎上に載せるのはクンドリとアムフォルタス。「そう、あれ(クンドリ)が遠くに行くと決まってよくないことが起きた」。彼女は目覚めている間は、信心深く優しい女性なのだが、クリングゾルに魔法をかけられ操られてしまうと、どんな悪事にでも手を染める手先に変身してしまう。後に明らかになるが、彼女はかつてキリストを嘲笑った罪で死ぬことが許されず、時空を彷徨う呪われた女だったのだ。アムフォルタスがわき腹に重傷を負ったのも、操られたクンドリが原因。アムフォルタスは、彼女の誘惑に負けて聖槍を奪われ、その槍で刺されたのだった。そうした話が続くうちにクンドリは、横になりまどろみ出す。

 「クリングゾルをご存知だったのですね」との小姓の問いかけに答える形でグルネマンツの話は先に進む。「神に仕える勇者ティトゥレルはあいつ(クリングゾル)をよく知っていた」と、話はアムフォルタスの父、ティトゥレルが元気だった頃に遡る。キリストが最後の晩餐で使用し、その後処刑された際、血を受けた杯、十字架に磔にされたキリストのわき腹を刺した槍は、かつティトゥレルが天の使いから聖なる遺物として拝受したもの。ティトゥレルはこの聖遺物を護持する聖堂を建て、心の清らかな騎士を集めて守護させたのだった。ここでのオーケストラの音楽は、「聖餐の動機」と「信仰の動機」を基にしたもので、息の長いメロディーラインとワーグナーならではの和声進行が神秘的な雰囲気を醸しだしている。

 そんなあるとき、クリングゾルという男が聖杯物守護の騎士になろうとしたが、ティトゥレルは彼の心に潜む邪悪さを見抜いて、追い出してしまう。逆恨みしたクリングゾルは妖術をマスターし、聖堂の付近に快楽の園を出現させ、魔性の女たちを集めて聖遺物を護る騎士たちを誘惑、堕落させ、地獄の苦しみに引きずり込むという挙に出た。

 勇壮だったティトゥレルもいつしか年老いて、王位をアムフォルタスに譲る。アムフォルタスはクリングゾル成敗に赴くが、逆に計略にはまって、聖なる槍を奪われたいきさつは前述した通り。彼が罪を悔い改め、聖なる槍が汚されないよう一心に祈ると聖杯が輝き始め、「共苦によりて知にいたる けがれなき愚者 待ち受けよ わが選びし者を」との宣託が行われた。ここでの音楽は「宣託の動機」(=譜例⑨)。

譜例⑨

 ようやくグルネマンツの長い語りが終わり、全員で宣託の言葉を唱和していると「パルジファル」の動機(=譜例⑩)の前半部分をホルンが演奏、湖の方から騒ぎが聞こえる。するとグルネマンツの足もとに傷ついた白鳥が落ちてくる。白鳥は殺傷してはいけない聖なる鳥だ。そこへひとりの弓を持った青年が騎士に引き立てられてくる。彼こそパルジファルだった。宣託の言葉を遮るように登場したパルジファルとその動機。宣託が指す「けがれなき愚者」の答えは、おのずと明らかだろう。

譜例⑩

 グルネマンツは、聖なる白鳥を無慈悲に射殺したことの罪を諭す。この場面の合い間にハープに乗って木管楽器とホルンが≪ローエングリン≫の「白鳥の動機」(=譜例⑪)を奏でる。パルジファルは罪を認め、自ら弓を折った。

譜例⑪

 青年は生い立ちはおろか、自分の名前すら知らなかった。青年とグルネマンツ、クンドリの3人がその場に残る。クンドリが青年の生い立ちを語り出す。彼女の話が青年の母ヘルツェライデの死に及んだとき、彼は興奮し、クンドリに襲い掛かる。グルネマンツは彼を押えて「小僧、乱心するでない! またぞろ狼藉か」と叱責する。

 「切ない」と激しく身を震わすパルジファル。そんな様子を見たクンドリは森の泉に走り、水を汲んで来て、まず頭にかけ、そして手渡しで飲ませる。第3幕の洗礼の場面とともに聖書の記述をイメージさせる象徴的なシーンだ。

 そうこうしているうちに「クリングゾルの動機」(=譜例⑫)が不気味に流れ、彼女はこれに引き寄せられて森に分け入り、魔の眠りに陥っていく。

譜例⑫

聴きどころとなる「場面転換の音楽」以降

 アムフォルタス王の一行が水浴を終え、城に戻ろうとしている。グルネマンツは、この青年こそが宣託が預言した「けがれなき愚者」に違いないと考え、聖杯を護持する聖堂に案内することを申し出る。

 2人が歩き出すと、音楽は場面転換の意味合いも兼ねてオーケストラだけとなるが、最晩年のワーグナーの手腕が存分に発揮された荘重かつ雄弁なもので、ここから先、聖杯守護の騎士たちの合唱も加わり、第1幕の終わりまでは前半最大の聴きどころであろう。

 「歩みの動機」(=譜例⑬)に導かれて聖堂に足を踏み入れると、アムフォルタスの苦悩と苦痛を表わすかのように、いくつもの動機が対位法的に組み合わされて進行。トランペットとトロンボーンによる「聖餐の動機」の勇壮な強奏に続いて「鐘の動機」(=譜例⑭)が現れると、騎士たちが入場してくる。アムフォルタスが司祭となり、聖餐式が始まる。

譜例⑬

譜例⑭

 騎士たちが最初に歌う「これをかぎりの愛餐と」は、明るく堂々たる性格を有するハ長調(C-dur)で書かれており、聴く者に聖堂の外、いわゆる俗世とはまったく隔てられた空間であることを感じさせる効果をもたらす。ちなみに、ハ長調はヨーロッパに古くから伝わる教会旋法のひとつでもある。続いて聖堂の中層から若者の合唱、さらに少年の声が天井から響き渡る。聖杯は大理石の食卓の上に被いをかけられたまま安置されている。

 背後からティトゥレルの声が響き、アムフォルタスに聖杯の被いを取るよう命じる。アムフォルタスは「なんとつらい務め」と苦悩を語り、なかなか被いを取ろうとはしない。合唱が「宣託の動機」を繰り返す中、再びティトゥレルに促されたアムフォルタスはついに聖杯を開帳する。「聖餐の動機」が変イ長調で奏でられ、次いでハ短調で反復される。これは前奏曲と同じ進行。すると天から聖杯に光が差し、アムフォルタスはキリストが最後の晩餐で行ったのと同じく、聖なるパンとぶどう酒を騎士たちに分け与え、聖餐式を終える。アムフォルタスと騎士たちは聖堂を後にし、中にはグルネマンツとパルジファルだけが残る。聖なる儀式の一部始終を茫然と見つめていたバルジファルに対してグルネマンツは「自分が何を見たか、わかったか?」と尋ねる。かすかに首を横に振るパルジファル。その様子にグルネマンツは「やっぱり馬鹿なだけか」と失望。「ここを出て、どこへなりと行くがよい」と、聖堂の外に追い出してしまう。その刹那、どこからともなく「宣託の動機」に乗ってその言葉が繰り返され、聖堂の中からは合唱による「聖杯の動機」と鐘の音が静かに響き、第1幕は神々しい雰囲気に包まれて閉じられる。

 次回は第2幕を詳しく紹介します。

譜例演奏:林そよか 林はるか

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