JOURNAL

連載《ジークフリート》講座

~《ジークフリート》、そして『リング』をもっと楽しむために vol.4

音楽ジャーナリスト・宮嶋 極氏による恒例のオペラ鑑賞講座。今年度は、ワーグナー作曲『ニーベルングの指環』(通称『リング』)の第2日《ジークフリート》を紹介します。今年度の連載最終回では、第3幕を詳しく見ていきます。

文・宮嶋 極(音楽ジャーナリスト)


 「東京春祭ワーグナー・シリーズ」の『ニーベルングの指環(リング)』ツィクルス上演、2016年の演目《ジークフリート》のステージをより深く楽しんでいただくために物語と音楽を同時並行的に追いながら、ワーグナーがそこに込めたメッセージについて考えていく連載の4回目は、第3幕を詳しく紹介していきます。約10年間の中断を経て再び筆を取ったワーグナーの作曲技法は飛躍的に成熟し、第3幕の重層的で圧倒的なスケール感を帯びた音楽は、まさにこの作曲家の真骨頂というべき雄弁さを示しています。こうした音楽面のポイントにも留意しながら、ジークフリートとブリュンヒルデの出会いという『リング』4作の中でも大きなヤマ場のひとつとなるこの幕を見ていきましょう。なお、台本の日本語訳については、日本ワーグナー協会監修 三光長治/高辻知義/三宅幸夫 翻訳「ジークフリート:舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』第2日」(白水社)を、譜面はドーバー社刊のフル・スコアとショット社版のピアノ&ボーカル・スコアを参照しました。

前奏

 「生き生きと、しかし重みをもって」と指定された前奏曲。10年以上の中断を経てワーグナーの作曲技法が成熟し、新たな境地に到達したことを顕著に感じさせてくれる音楽である。バス・クラリネット、バス・テューバ、チェロ、コントラバスなどの低音楽器が奏でる「生成の動機」から転じた「智の神エルダの動機」(譜例㉝)をベースに「騎行の動機」(譜例㉞)、さらに「槍の動機(契約の動機)」(譜例⑮)、「神々の黄昏の動機」(譜例㉟)などが重層的に組み合わされ、嵐のような激しさで頂点を築き上げていく。オーケストラは「魔の眠りの動機」(譜例㊱)、変形された「運命の動機」(譜例㊲)を伴いながら、次第に音量を落としていき、幕が開く。対位法と和声の技法を極限まで駆使し、緊張感に満ちあふれたこの前奏曲は、神々の世界に危機が確実に迫っていることを観客・聴衆に感じ取らせるのに十分すぎる効果を発揮するのである。

譜例㉝

譜例㉞

譜例⑮

譜例㉟

譜例㊱

譜例㊲

第1場

 岩山のふもとの荒野にヴォータンが現れる。前奏曲に呼応するようにあたりに雷鳴が轟き稲妻が光る。オーケストラは「さすらい人の動機」(譜例⑭)を奏でる。ヴォータンは眠りについていた智の神エルダを起こす。ここでヴォータンは、エルダをヴァーラと呼ぶ。オーケストラは「智の神エルダの動機」を演奏しており、ヴァーラがエルダであることが示される。「魔力を秘めた雄叫びに知恵の眠りを覚まされた」と不快感を露にするエルダにヴォータンは一瞬たじろぎ、動揺を見せる。ワーグナーは登場人物の心中の動揺を表わす時、シンコペーションの音形(譜例㊳)を使うことが多い。ヴォータンは彼女に神々の世界の行く末について尋ねる。エルダは「滅亡」は避けられないとあらためて警告する。そこに金管が「ヴァルハラの動機」(譜例⑰)を演奏。エルダはヴォータンの行状を批判し、2人の間の娘ブリュンヒルデについて言及。これに対してヴォータンは英雄ジークフリートへの期待を語る。ジークフリートとブリュンヒルデを結婚させ、この2人に指環を奪還させ、ニーベルングの呪いから解放される、というものだ。ここでヴァイオリンを中心にオーケストラが「ジークフリート愛の動機」(譜例㊴)を高らかに奏でる。新たに登場した重要動機のひとつである。愛によって神々の世界を滅亡から救おうというヴォータンの思いが表れている。しかし、エルダは取り合わず、不機嫌になったヴォータンは再びエルダを眠らせてしまう。

譜例⑭

譜例㊳

譜例⑰

譜例㊴

第2場

 ブリュンヒルデが眠る炎に囲まれた岩山に通じる道の岩にヴォータンが腰をかけていると、そこに小鳥に先導されたジークフリートがやってくる。ヴォータンの姿に恐れをなしたのか、小鳥は飛び去ってしまう。何も知らないジークフリートはヴォータンに近づき、岩山の頂上への行き方を尋ねる。しかし、さすらい人姿のヴォータンは待望の孫に会えたうれしさからか、あれこれ質問攻めにしてしまう。問い掛けを繰り返すさすらい人姿の男にイライラを爆発させたジークフリートは、無理やり前進を試みる。それを遮ろうとヴォータンが槍を突き出すと、ジークフリートはトランペットによる「剣(ノートゥング)の動機」(譜例④)とともにノートゥングを抜き、槍を真っ二つにしてしまう。「槍の動機」が力を失っていくようにディミヌエンドで消え入っていく。かつて、ジークフリートの父ジークムントが手にしていたノートゥングは、ヴォータンの槍によって折られたが、今度は逆にノートゥングによって槍は破壊されたのだ。ヴォータンは槍の破片を拾い集めて姿を消す。長い物語の主役交代の瞬間である。この後、ヴォータンは彼を表わす動機として登場することはあるが、実際に姿を現すことはない。ジークフリートはヴォータンを自らの祖父であることを知らぬまま、戦いを挑み負かしてしまったのだが、契約の文字が書かれた槍を破壊してしまったことが、どんな重要な意味を持っているのかは、もちろん知る由もない。

譜例④

 ジークフリートは角笛を吹き鳴らしつつ、炎に囲まれた岩山の頂上目指して突き進んでいく。「炎の動機」(譜例㊵)が激しさを増すが、それを制圧するかのように「ジークフリート角笛の動機」(譜例⑥)、「ジークフリートの動機」(譜例⑪)が鳴り響く。炎をものともせずジークフリートが力強く岩山の頂上を目指していることをオーケストラが雄弁に表現しているのだが、この部分の複雑な和声と響きの厚さは、それまでのワーグナーの音楽にはなかった特筆すべきものといえよう。

譜例㊵

譜例⑥

譜例⑪

 音楽が落ち着きを取り戻したことで、ジークフリートが炎を通り抜け頂上に到達したことが分かる。

第3場

 ホルンが「ワルキューレの動機」(譜例㊶)を静かに演奏する中、ジークフリートは神々しい光の中に1頭の馬(グラーネ)と盾に覆われた人間を目にする。盾を取り除き「剣の動機」とともにノートゥングを使って鎧兜の留め具を外すと、それはジークフリートが初めて見る女性であった。「これは男じゃない!」と驚き、彼はこの時、初めて恐れを感じる。

譜例㊶

 混乱するジークフリートであったが、ブリュンヒルデの美しい姿に惹かれ「目を覚ませ!」と呼びかけ、その唇に自らの唇を合わせる。真の勇者の口付けを受けたブリュンヒルデは「目覚めの動機」(譜例㊷)とともに目を覚まし、「太陽にわが祝福を!」と久々に目にした陽の光にあいさつする。ジークフリートは自らの動機に合わせて名前を名乗り、2人は見つめ合い、愛の二重唱が始まる。この場面の音楽は《神々の黄昏》第3幕でジークフリートがハーゲンに襲われ息絶える寸前に回想される印象深いものである。

譜例㊷

 『リング』全作の中でも極めて重要な場面のひとつだが、バイロイト音楽祭で2013年から上演されているフランク・カストロフ演出のプロダクションでは、なぜかこのシーンでステージに巨大なワニが現れ、小鳥を食べたりするのである。物語とはまったく関係ない、こうした動きによって素晴らしい音楽に対する集中が邪魔されてしまう仕掛けが施されているのであろうか。ちなみにこのワニ、初年度はオス・メス2匹で交尾のような仕草を見せていたが、翌年にはナント! 子どものワニ1匹が増えていたのである。そして昨年はさらに子ワニがもう1匹加わっていた。恐らく今年の夏、子ワニは3匹になっているはずである。ああ、なんという演出なのか・・・。

 さて、本題に戻ろう。ブリュンヒルデは自分の過去を語り、ジークフリートを「勝利の英雄」と讃えるが、神性を奪われたことなどを思い出し、英雄ジークフリートに自らの身を委ねることに一瞬不安を募らせる。ここでクラリネットが「愛の困惑の動機」(譜例㊸)を吹く。しかし、ジークフリートの熱い思いに彼女の不安も次第に消え去る。ブリュンヒルデが「私は永遠の時を生きていた」と語り出す場面の旋律(譜例㊹)は、本稿第1回で紹介した《ジークフリート牧歌》の主要主題である。チェロによる「純潔の動機」(譜例㊺)とともに2人は永遠の愛を誓う。オーケストラは、弦楽器が「幸福の動機」(譜例㊻)、続いてホルンが「恋の絆の動機」(譜例㊼)を奏で、最後に全オーケストラによって堂々たるハ長調の「ジークフリートの愛の動機」が奏でられる中、幸福感に包まれて幕を下ろす。

譜例㊸

譜例㊹

譜例㊺

譜例㊻

譜例㊼

 ここまで、《ジークフリート》の魅力をご紹介してきましたが、私の拙稿が少しでも皆さまの鑑賞のお役に立てたとしたら幸いです。指揮者のマレク・ヤノフスキは今年からバイロイト音楽祭で『リング』の指揮を担当します。第一線で活躍するワーグナー歌手を揃えた「東京春祭ワーグナー・シリーズ」のステージはヤノフスキにとって、これまでにも増して重要な意味を持つはずであり、一層充実した演奏が期待されます。

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