JOURNAL

ワーグナー集
2016/11/26

連載《ジークフリート》講座

~《ジークフリート》、そして『リング』をもっと楽しむために vol.3

音楽ジャーナリスト・宮嶋 極氏による恒例のオペラ鑑賞講座。今年度は、ワーグナー作曲『ニーベルングの指環』(通称『リング』)の第2日《ジークフリート》を紹介します。連載第3回では、第2幕を詳しく見ていきます。

文・宮嶋 極(音楽ジャーナリスト)


 「東京春祭ワーグナー・シリーズ」の『ニーベルングの指環(リング)』ツィクルス上演、2016年の演目《ジークフリート》のステージをより深く楽しんでいただくために物語と音楽を同時並行的に追いながら、ワーグナーがそこに込めたメッセージについて考えていく連載の3回目は、第2幕について詳しく紹介していきます。本稿第1回で触れたように、ワーグナーは《ジークフリート》第2幕2場でいったん筆をおき、約10年間の長きに亘って作曲を中断しています。その間、ワーグナーの作曲技法は進化を遂げ、3場以降の音楽はより重層的で複雑なものへと成熟しています。指揮者クリスティアン・ティーレマンはかつてこの幕について「ワーグナーの他の作品に比べてもより独創的で、器楽面から見れば最も刺激的」と語っていました。『リング』全体におけるターニングポイントと位置付けることができる重要な幕といえるでしょう。なお、台本の日本語訳については、日本ワーグナー協会監修 三光長治/高辻知義/三宅幸夫 翻訳「ジークフリート:舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』第2日」(白水社)を、譜面はドーバー社刊のフル・スコアとショット社版のピアノ&ボーカル・スコアを参照しました。

前奏

 「緩慢に、引きずるように」との指示の下、ヴィオラとチェロによるトレモロに乗ってコントラバスとティンパニが「巨人の動機」の変形バージョン(譜例㉑)をゆっくりと演奏。続いてバス・テューバが「大蛇の動機」(譜例⑤)を吹く。これは森の奥の洞窟ナイトヘーレの中で隠れ頭巾によって大蛇に姿を変えニーベルングの指環をはじめとする財宝を守る巨人族の弟ファーフナーを表わしたもの。さらに、ファゴットによる「指環の動機」の変形(譜例㉒)、トロンボーンによる「呪いの動機」(譜例㉓)、さらに「怨念の動機」(譜例㉔)の提示により、アルベリヒによって指環にかけられた呪いの効力が今も生きていることが暗示された後、幕が開く。

譜例㉑

譜例⑤

譜例㉒

譜例㉓

譜例㉔

第1場

 夜の深い闇に沈む森の奥にある洞窟ナイトヘーレの前。アルベリヒが大蛇に変身しているファーフナーから指環を奪い返そうと機会を窺って潜んでいる。ティンパニが前奏の「巨人の動機」の変形を反復し、「怨念の動機」も繰り返される。そこに「さすらい人の動機」(譜例⑭)とともにヴォータンが馬に乗ってやってくる。アルベリヒは、自分を騙して指環などの財宝を奪い取ったとしてヴォータンを責めるが、ヴォータンは「私は見るために来ただけで、何かをするつもりはない」と語り、まったく相手にしようとしない。さらにヴォータンは指環争奪戦のライバルは自分ではなくミーメであり、彼がファーフナーを倒すことが出来る屈強な若者を連れてやって来ることを告げる。さらにファーフナーにも危機が迫っていることを警告し、その場を去る。それでもファーフナーは惰眠を貪り続け、アルベリヒは神々を呪い、恨みつつも近くに身を隠して様子を窺おうとする。「巨人の動機」「大蛇の動機」が不気味に響く。

譜例⑭

第2場

 やがて夜が明けて、ミーメに連れられジークフリートがやって来る。ナイトヘーレの前でミーメは「ここが例の場所だ。もう先に行かなくてもいい」と告げる。どうやらミーメは以前に洞窟を下見していたことが、この台詞から明らかになる。ミーメは恐れを教えるなどとあれこれ言うので、ジークフリートに追い払われてしまう。

 弦楽器が「森のさざめきの動機」(譜例㉕)を奏でる中、ひとりになったジークフリートはクラリネットによる「ヴェルズング苦難の動機」(譜例㉖)に導かれるように顔も知らぬ両親に思いを馳せる。そしてフルートとクラリネットによって「小鳥の動機」が3パターン(譜例㉗、㉘、㉙)提示される。この部分は、いわゆる「森のさざめき」の題名で演奏会などでも取り上げられる美しい音楽。小鳥が何やらジークフリートにささやきかけるが、彼にはその意味が分からない。小鳥に応えるためにジークフリートは葦笛を作って吹くが上手くいかない。そこで角笛で「ジークフリート角笛の動機」(譜例⑥)、「ジークフリートの動機」(譜例⑪)を何度か吹奏する。調子外れの葦笛はコールアングレ、角笛はバンダ(ステージ裏の別働隊)のホルンが演奏する。

譜例㉕

譜例㉖

譜例㉗

譜例㉘

譜例㉙

譜例⑥

譜例⑪

 角笛の音で目を覚したファーフナーが洞窟から姿を現す。ついにジークフリートと大蛇に変身しているファーフナーの一騎打ちが始まる。ジークフリートはノートゥングで心臓をひと突きにしてあっさりと大蛇を倒してしまう。オーケストラによる「ジークフリート角笛の動機」が高らかに響き、「剣(ノートゥング)の動機」(譜例④)、「ジークフリートの動機」が続く。本来の姿に戻った瀕死のファーフナーは「お前にこんなことをやらせた奴がお前の命を狙っているぞ」とミーメの企みを警告し息を引き取る。ジークフリートがノートゥングに付着したファーフナーの熱い血を舐めると、突然、鳥の言葉が理解できるようになる。

譜例④

 ちなみにバイロイト音楽祭で2013年から上演されているフランク・カストロフ演出のプロダクションでは、ジークフリートはノートゥングで大蛇を倒すのではなく、カラシニコフ機関銃を連射して殺害するのである。劇場では開演前から機関銃の連射による大音響が響きわたることに注意を促す紙が配布されるなどしていた。終演時にかなり大きなブーイングが出たことは言うまでもない。

第3場

 これら一部始終を見ていたアルベリヒが姿を現し、指環と隠れ頭巾の所有権などをめぐってミーメと口論となる。そうこうしているうちに小鳥の言葉に導かれてジークフリートが指環と隠れ頭巾を持って洞窟から戻って来る。小鳥は「ミーメに注意して」と警告する。ミーメはジークフリートに「疲れただろうから、飲み物でのどを潤せ」と毒液を飲ませて殺害し、指環などを奪おうと企んでいるからだ。ここでどういうわけかジークフリートにはミーメの上辺の言葉と心の声の両方が聞こえるようになっている。示唆に富んだ場面ではあるが、ミーメがまくし立てるように語るため、実際のステージでは観客・聴衆に分かりにくい箇所でもある。このため演出家やミーメを演じる歌手にとっては、どのように区別して見せ、聴かせるか腕の見せどころでもある。

 この場面の演出で筆者が特に印象に残っているのは《トーキョー・リング》と呼ばれた新国立劇場が2001年から2004年まで1年1作ずつ新制作上演していったキース・ウォーナー演出によるプロダクションである。《ジークフリート》は03年にプレミエされたのだが、舞台は米国の地方都市によくあるようなモーテルに置き換えられており、ウォーナーはミーメがジークフリートに甘言を弄する部分を実際の会話(歌唱)とし、ミーメが〝本音〟で語る所はジークフリートのいない別室にいちいち移動させ歌わせたのだが、その様子はカメラに捉えられていて、隣室のジークフリートがモニターを通して一部始終を見ている、という仕掛けであった。その結果、ミーメのゆがんだ魂胆がジークフリートにはもちろん、観客・聴衆にも容易に理解できるようになっていたのだ。ちょっとしたアイデアではあるが、遊び心にあふれた《トーキョー・リング》を象徴する名シーンであったと思う。

 ここで3場の音楽についても着目しておこう。先に詳述したとおり、ワーグナーは《ジークフリート》第2幕2場で作曲の筆をおき、「ジークフリートを森の中に残したまま」、約10年間の中断を余儀なくされたのだが、この間《トリスタンとイゾルデ》と《ニュルンベルクのマイスタージンガー》の2作を完成させている。その結果、《トリスタン》の半音階進行をはじめ、ワーグナーの作曲技法は大きく進化し、中断を経て作曲を再開した3場からは、音楽の様相が劇的なほどの変化を遂げている。和声が複雑化し厚みを増したことに加えて、音楽はそれ以前に比べて格段に重構造になっている。

 一例を挙げよう。ミーメが毒入りの飲み物をジークフリートに飲ませようとする場面。飲み物の入った容器を手渡すとジークフリートが「おいしい飲みものなら喜んでいただくさ」と語る。その背景でクラリネットと第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロが8分音符の繰り返しによる揺らめきのような旋律(譜例㉚)を奏でるのであるが、これは長3度と短3度が同時に鳴らされるため、聴く側にとっては極めて不安定な感覚を呼び起こすのである。ミーメが勧める飲み物がいかに怪しく危険なものであるかを聴覚面から、サブリミナル効果のように訴えかける巧みな技法である。これは「トリスタン和音」(譜例㉛)と同じようなテクニックと捉えることが可能であろう。ある著名な指揮者が「《ジークフリート》が難しいのは、第2幕の途中からそれまでの作曲技法をかなぐり捨てて、突然《トリスタン》のような様式になってしまう。音楽上の統一感を保つように演奏することが大きな課題となる」と語っていたことも大いに頷ける。

譜例㉚

譜例㉛

 さて、物語に戻ろう。ミーメの魂胆を理解しているジークフリートはノートゥングの一振りで、ミーメを返り討ちにしてしまう。嫌いであったとはいえ、ミーメまでいなくなったことで寂しさを訴えるジークフリートに、小鳥が「炎に囲まれた岩山で眠るブリュンヒルデを目覚めさせて花嫁にするんだよ」と教える。元気を取り戻したジークフリートは先導する小鳥を追いかけて走り出す。小鳥が羽ばたきながら導く様子をフルートが描写(譜例㉜)する。「ジークフリート角笛の動機」と「小鳥の動機」が絡み合う中、幕となる。

譜例㉜

 次回はジークフリートが炎に包まれた岩山に登り、いよいよブリュンヒルデと対面する第3幕を詳しく見ていきます。

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