JOURNAL

ブルックナー《ミサ曲第3番》の指揮者、ローター・ケーニヒスに訊く

取材・文:舩木篤也

ブルックナー生誕200年を数える今年2024年。これを記念する公演がどこでも盛んだが、東京・春・音楽祭は、内容が他と一味ちがう。交響曲ではなく、なかなか演奏されないミサ曲が選ばれているのだ。それも、規模の最も大きい第3番である。タクトを執るのはドイツのローター・ケーニヒス。世界遺産の大聖堂で有名なアーヘン出身の名匠だ。40ものオペラ作品をレパートリーに持ち、今回前半に演奏されるワーグナーも好きだというが、子ども時代は「ブルックナーとともに育った」という。

――ブルックナーの音楽に初めて触れたときのことを覚えていますか?

「アーヘンの大聖堂には、聖歌隊[少年合唱団としてはドイツ最古]とジンクシューレ[聖歌隊員の養成に力を入れる小学校]があって、私はそこで、頻繁にブルックナーを歌ったんです。ミサ曲第1番、第2番、第3番。《この所を作り給うたのは神である》、《キリストはおのれを低くして》、《アヴェ・マリア》といったモテットなど。演奏旅行中、自由行動の時間でも、教会堂を訪れると、合唱団ですからね、当然のように歌わされて、《アヴェ・マリア》を何度うたったことか。9歳、10歳ですよ。ミサ曲では一部で8声部にもなる。午前10時に儀式の場で歌わないといけないとなると、音程を取るのも大変で。そう、ブルックナーとともに育ったようなものです。」

――ブルックナーはあなたの人生にとって重要な意味がありそうですね。

「それはもう。ブルックナーの巨大なスケール感、雄大なクライマックスに、つねに魅せられてきました。彼の音楽には、何か超越的なものがあるでしょう。受け容れる人を高みにまで連れて行きます。ドイツでも、まったく受け付けない人はいますよ。あのスケール感に、対位法に圧倒され、どう聴けばよいのかと戸惑うのですね。私も、正直に言えば、たとえば交響曲第5番のフィナーレなど、向き合うのは大変だと思います。最初にブルックナーを振ったのは23歳のときで、サンチャゴでチリ交響楽団のアシスタント指揮者を務めた時分、交響曲第4番《ロマンティック》のリハーサルで指揮するのを許されました。ほかに経験があるのは、第6、第7、第8交響曲。だから今回ミサ曲を指揮できるのをとても嬉しく思っています。子どもの頃に歌いましたけどね。」

――ブルックナー作品の指揮で気をつけないといけない点は?

「どんな空間で演奏するかをみて、声部間のバランスをよく考えること。金管楽器が他の楽器を圧殺しないように調整する必要があります。奏者同士がよく聴き合わないと。4小節のフレーズがあるとして、それは最初からフォルティシモではない。発展があるのです。音楽は皆そうですが、ブルックナーでは、これはとくに重要。そうしないとすぐに陳腐に、ただうるさくなってしまいます。こんど演奏するミサ曲第3番では、いま言ったことはさほど問題にはなりませんが。初期作品は、ひじょうに透明とは言えないけれど、それでも後期[の交響曲]に比べればね。もちろん、ところどころで調整する必要はあります。」

――キリスト教文化を共有していなければブルックナーの音楽は真に理解できないでしょうか。

「ブルックナーは、なかなか自信がもてない人でしたね。交響曲もなんども書き直しています。そもそも完璧を、絶対普遍を求める人だったのです。カトリック信者ではありましたが、彼の場合、信仰心だって[制度的なものではなく]普遍的なものです。[世俗的な音楽である]交響曲の第7番に、自作の宗教曲《テ・デウム》から引用してもいますよ。「non confundar in aeternum 私がとこしえにおじ惑うことのないように」と歌われる部分の音楽です。日本でもバッハをやるでしょう。バッハだって、とても信仰心篤い作曲家です。でも、キリスト教徒でなければ理解できないなんてことはありません。キリスト教徒であれ、ムスリムであれ、ユダヤ教徒であれ、仏教徒であれ、その深い信仰心は、より良い世界の希求は、誰の心にも訴えかけるものです。」

ミサ曲第3番が初演(1872年6月16日)されたウィーン・アウグスティーナ教会/筆者撮影

――交響曲への引用といえば、ミサ曲第3番からも「キリエ」「ベネディクトゥス」の音楽が交響曲第2番で使われていますね。

「作曲時期が近いんですね[1870年前後]。彼の中にあの音楽があって、それをミサ曲にも交響曲にも書き込んだ。あるいは、さらに発展させたつもりかもしれません。でも交響曲第9番にも、ミサ曲第3番の「キリエ」からの小さな引用がありますよ。第3楽章のオーボエにね。いずれにしても、無意識にやったとか、偶然ということはないと思います。」

――3曲ある彼の番号付きミサ曲の中で、第3番の特別なところは何でしょう?

「コンサートを念頭に置いている点ですね。まず演奏時間が最も長い。そして「グロリア」と「クレド」を、はじめから合唱が歌うようになっています。ミサ曲第1番と第2番では、gloria in excelsis deoもcredo in unum deumもまず司祭から歌います。だから典礼で用いても違和感がありません。第3番も儀式で演奏することはありますが、音楽は典礼の枠をはるかに越えています。」

――第3番は、作曲技法の上でもより大胆ですね。「グロリア」には増音程/減音程が多く出てきます。

「そう、合わせるのがひじょうに難しい。ブルックナーは、そもそもそうなのですが。」

――ミサ曲では、最後に「Dona nobis pacem われらに平和を与えたまえ」と歌われます。現下の世界状況を考えると、これはとくに切実に響きます。

「こう言ってよければ、世界はいま関節が外れています。気候変動。戦争……。ブルックナーのミサ曲でそれを止められるわけではありませんが、音楽は人間を高めます。ひとたび聴けば、別の人間になるのです。Dona nobis pacemは一つのメッセージ。信仰を持たない人でも、それを聴けるわけです。人々に届くかもしれない一個のアピールにはなります。」

――前半には、ワーグナーの管弦楽曲《ジークフリート牧歌》を置かれました。

 「ブルックナーはワーグナーを盲目的に崇めましたね。卑屈なくらいに。いっぽうのワーグナーは病的なまでに自己中心的です。完全に正反対。それでもよく合う演目だと思います。《牧歌》は、妻コジマへの誕生日のプレゼントであり、息子ジークフリートの誕生記念でもある。詩的で、抒情的で、繊細。ワーグナーには滅多にないくらい(笑)。
 でも誤解しないでください。私はワーグナーの音楽が大好きなんですよ。彼の反ユダヤ主義思想はひどいものですが。文芸批評家の故ライヒ=ラニツキは、家族を[ユダヤ系ゆえに]ワルシャワ・ゲットーで殺されました。『それでもなぜワーグナーを聴くのか』と尋ねられ、『《トリスタンとイゾルデ》を書いたのは彼だけだから』と答えた。つまりは愛憎。あの音楽の虜になるんです。私も《トリスタン》を15歳か17歳で初めて観て、完全にやられてしまい、すぐにヴォーカルスコアを買って、全部弾いて、指揮者になる!と決めたんですよ。」

――久しぶりの日本公演(2003年の読売日本交響楽団への出演以来)となりますが、今のお気持ちは?

「オーケストラ、ソリスト、合唱団との協働を楽しみにしています。何より作品が理解されるよう指揮したいと思っています。」

2024年2月15日 オンラインでインタビュー


関連公演

東京春祭 合唱の芸術シリーズ vol.11
ブルックナー《ミサ曲第3番》
生誕200年に寄せて

日時・会場

2024年4月13日 [土] 14:00開演(13:00開場)
東京文化会館 大ホール

出演

指揮:ローター・ケーニヒス
ソプラノ:ハンナ=エリーザベト・ミュラー
メゾ・ソプラノ:オッカ・フォン・デア・ダメラウ
テノール:ヴィンセント・ヴォルフシュタイナー
バス:アイン・アンガー
管弦楽:東京都交響楽団
合唱:東京オペラシンガーズ
合唱指揮:エベルハルト・フリードリヒ西口彰浩

曲目

ワーグナー:ジークフリート牧歌 [試聴]
ブルックナー:ミサ曲 第3番 ヘ短調 WAB28 [試聴]
【試聴について】
[試聴]をクリックすると外部のウェブサイト「ナクソス・ミュージック・ライブラリー」へ移動し、プログラム楽曲の冒頭部分を試聴いただけます。ただし試聴音源の演奏は、「東京・春・音楽祭」の出演者および一部楽曲で編成が異なります。

チケット料金

S:¥17,000 A:¥14,500 B:¥12,500 C:¥10,500 D:¥8,500 E:¥6,500
U-25:¥3,000


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