JOURNAL

連載《タンホイザー》講座

~《タンホイザー》をもっと楽しむために vol.4

音楽ジャーナリストの宮嶋極氏に《タンホイザー》をより深く、より分かりやすく紹介していただく本シリーズ。今年度の最終回となる本稿では、物語が激動の結末をむかえる第3幕を見ていきます。

文・宮嶋 極(音楽ジャーナリスト、スポーツニッポン新聞社文化社会部長)

 第2幕で、ヴェーヌスベルクにいたことを自ら暴露してしまったタンホイザー。多くの人々から糾弾されるが、エリーザベトのとりなしで命だけは助けられた。教皇に罪の赦しを乞うためにローマへ巡礼に出たタンホイザーが、第3幕では再びヴァルトブルクへと戻ってくる。タンホイザーの罪は赦されたのか、有名な「ローマ語り」と呼ばれるモノローグでその顛末が明かされる。この部分は言葉と音楽が密接に絡み合いながら進行するなど、後の楽劇につながる先進的な手法が採用されている。オーケストラも伴奏の域を超えてライトモティーフの萌芽ともいうべき"意味のある旋律"を効果的に織り交ぜているのも注目すべきポイントにほかならない。本稿ではこれまでと同様に、物語と音楽を同時並行的に追いながら、ワーグナーならではの〝新手法〟をピックアップし、その意味合いを探っていく。なお、台本の日本語訳については、オペラ対訳ライブラリー 高辻知義訳『ワーグナー タンホイザー』(音楽之友社)を、譜面はドーバー社刊のフル・スコアとPETERS版のピアノ&ヴォーカル・スコアを参照しました。

【第3幕】

前奏

 92小節に及ぶ比較的長い前奏部分。第2幕のクライマックス場面を動機でフラッシュバックのように回想しながら、タンホイザーが贖罪のためにローマへ巡礼に赴いた様子が音楽で表現されている。さらにこれから始まる第3幕の概要、つまり「ローマ語り」で明かされるタンホイザーの巡礼行の結果が、巧みに暗示されている。これは後の楽劇《神々の黄昏》序幕から第1幕へとつながる「ジークフリート、ラインへの旅立ち」の音楽や楽劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第3幕への前奏などで駆使される手法の原型ととらえることが出来よう。

 冒頭、ホルンとファゴットで奏される旋律(譜例①)は、前幕でタンホイザーが巡礼を決意した際に繰り広げられたアンサンブルで使われたもの。これに続くオーボエとクラリネットによるコラール風の旋律(譜例②)も同じく前幕終盤でエリーザベトが激怒した人々にタンホイザーの助命を懇願した折に登場したもの。「命乞いの動機」と呼ばれることもある。

譜例①

譜例②

 続いて現われるヴィオラと第2ヴァイオリン、チェロによるフレーズ(譜例③)は「悔恨の動機」と呼ばれるもの。タンホイザーによる「ローマ語り」で、導入や合いの手のように使われる音型である。クラリネットやオーボエが奏でる「巡礼の合唱」の旋律(譜例④)は、もちろんタンホイザーが巡礼たちに混じってローマを目指している様子を描写したものである。

譜例③

譜例④

 前奏の終盤で3回繰り返されるヴァイオリンを中心とした弦楽器によるクレシッェンドを伴った16分音符の湧き上がるような音型(譜例⑤)は、ローマで教皇が登場した際のタンホイザーら巡礼たちの興奮と期待感を表現したものと解釈することが出来よう。続く金管楽器による荘厳なコラール(譜例⑥)は「恩寵の動機」で、ローマ教皇とそこから派生するキリストによる罪の赦しを象徴的に表現したものである。譜例⑤の音型は、3回目でティンパニのHのフォルティシモのトレモロで打ち砕かれるように終止する。タンホイザーの贖罪は叶わなかったことの暗示にほかならない。

譜例⑤

譜例⑥

第1場

 幕が開くと舞台は第1幕の終わりと同じヴァルトブルクの山麓だが、あたりは秋景色に変っている。夕暮れの気配が漂う中、聖母マリア像の前でエリーザベトが一心に祈っている。

 ヴォルフラムが現われ、エリーザベトの姿に気付く。「思った通りだ。彼女はここで祈りを捧げている」との言葉から始まるヴォルフラムの独白は、エリーザベトの苦衷を深く理解していることを表わす内容。「あの男(タンホイザー)から与えられた死を胸に抱いて(中略)昼も夜もあの男が救われるよう祈っている。ああ、聖なる愛のとこしえの力よ!」。静かで美しいオーケストラの伴奏がワーグナーの作曲手腕の充実ぶりを印象付ける場面でもある。

 そこへ遠くから巡礼の合唱が近付いてくる。序曲で初めてこの旋律が提示された時は、ホ長調(E-dur)だったが、ここでは変ホ長調(Es-dur)に移調されている。(その意味合いは、序曲について詳述した当連載の第1回を参照いただきたい)

 巡礼たちの表情はローマで罪を赦されたことの喜びに満ち溢れている。エリーザベトは巡礼の列の中にタンホイザーの姿を探すが、彼を見つけることは出来ない。「あの人は帰ってこなかった」。悲しげな表情を浮かべるエリーザベトだが、取り乱すことなく、再びマリア像の前に跪き、祈りを捧げる。「全能なる処女マリア様」(譜例⑦)から始まるこのくだりは、「エリーザベトの祈り」と呼ばれる同役にとって最大の聴かせどころ。木管楽器の静かな和音を伴奏にした素朴な旋律(譜例⑧)が繰り返されるのは、エリーザベトの一途な心と純潔さを象徴的に表わしたもの。

譜例⑦

譜例⑧

 ところで、スコアで確認するとこの場面の調性は記譜上、フラット(♭)が6つも付いた変ト長調(Ges-dur)となっている。この調は調号(♭)が多いため譜面が読みにくく、ピアノでも黒鍵ばかりを弾かなければならないなどの理由で、主調として採用されることがとても少ない調性といわれている。複雑な転調を行う際の"渡り廊下"のような役割で使われることはしばしばあるという。この場面、エリーザベトは死を決意し、現世と天界の中間に存在しているわけだが、ワーグナーがこうした調性を与えたことは、エリーザベトの立ち位置を"渡り廊下"のような調で表わした、と推論したら、こじつけ過ぎであろうか。機会があれば、楽理の専門家に聞いてみたいテーマではある。ちなみに変ト長調で書かれた名曲はあまり見当たらないが、プッチーニの歌劇《蝶々夫人》第2幕の有名なアリア「ある晴れた日に」を挙げておきたい。また、黒鍵ばかりで弾く「猫ふんじゃった」はこの調にほかならない。

 さて、本題に戻ろう。祈りが終ると「一緒に行こう」とのヴォルフラムの言葉を身振りで拒否し、エリーザベトは静かに去っていく。木管楽器による美しい後奏が続く。途中、第2幕の歌合戦の場でヴォルフラムが「気高い愛」について歌った旋律(譜例⑨)がバス・クラリネットによって物悲しく再現される。

譜例⑨

第2場

 密かにエリーザベトに心を寄せていたヴォルフラムだが、何としてもタンホイザーを救おうとの決意を胸に秘めた彼女の姿を見送り、その死が近いことを悟る。エリーザベトが現世での苦しみから解放されて、天使の列に加わることができるように夕星に向かって祈る。竪琴を手に歌われるのが有名な「夕星の歌」(譜例⑩)である。バリトンの音域でヴォルフラムが自らの内なる思いを穏やかに歌い上げるこの「夕星の歌」、前述の「エリーザベトの祈り」も同様だが、後のワーグナーの楽劇にはない、声と旋律美を素直に楽しむことができる、この時期の作品ならではの場面といえよう。こだまのように主旋律を繰り返す弦楽器の伴奏もまた、美しい。

譜例⑩

第3場



 あたりはすっかり夜の闇に包まれた。ホルンのゲシュトプフト(朝顔の中に拳を入れてくぐもった音を出す奏法)による「呪いの動機」と呼ばれる和音(譜例⑪)とともにタンホイザーがヴォルフラムの前に姿を現す。顔面は蒼白で杖にすがってよろよろと近付いてくる。「罪を償わずして、この地に足を踏み入れるのか?」と尋ねるヴォルフラムにタンホイザーは、「心配するな、おれが探しているのはヴェーヌスベルクへの道を教えてくれる者だ」と答える。ここでオーケストラはヴェーヌスベルクを表わす「バッカナール」の旋律(譜例⑫)を演奏する。

譜例⑪

譜例⑫

 ヴォルフラムの親身な説得にタンホイザーも少し心を開き、「ヴォルフラムよ、聞いてくれ」とローマに赴き教皇に謁見した巡礼行の顛末について語り始める。ヴィオラとヴァイオリンによる「悔恨の動機」に導かれて始まる100小節超のタンホイザーの長いモノローグがいわゆる「ローマ語り」である。前述したようにタンホイザーの独白は言葉と音楽が密接に連関し合いながら進んでいく。何度も繰り返される「悔恨の動機」をはじめとする、いくつかの断片的旋律は、後のライトモティーフとほぼ同じ役割を果たしており、「ローマ語り」は楽劇的手法の"先取り"ともいうべき先進的な作りとなっているのが特徴。

 さて、その「ローマ語り」で明らかにされるタンホイザーの巡礼行の顛末を見ていこう。

  • 天使(エリーザベト)のため謙虚に贖罪しようとの決意を胸に(アルプス越えなどを含む)厳しく辛い行程をものともせずローマを目指した。イタリアに入って豊かな自然の中を歩んだ際も、悔悛の気持ちを忘れないために景色を楽しんだりせずに目を閉じて進んだ。
  • ローマに辿り着き、多くの巡礼たちとともに聖なる場所に進み出て、ひれ伏して祈った。鐘が鳴り響き、聖なる歌が空から降ってきた。→「恩寵の動機」
  • 神の代理人たる教皇が姿を現し、群集はさらにひれ伏した。教皇は数千人の人々の罪を赦した。自分も教皇の前に進み出て情欲に溺れたおのれの罪の赦しを願った。→「悔恨の動機」
  • 願いを聞き終えた教皇は、タンホイザーに対して「ヴェーヌスの洞窟に逗留したのであれば、永劫の罰が与えられる。自分の手にある杖に緑の葉が生い繁ることがないのと同じく、お前が地獄の業火から救われることはあり得ない」と宣告した。→金管楽器とティンパニが「呪いの動機」を強奏する。
  • タンホイザーは絶望のあまり気絶し、目が覚めると日は暮れて遠くから慈悲の歌声が聞こえてきた。→「恩寵の動機」 彼は自暴自棄になりヴェーヌスベルクを目指してさすらううちに再びヴァルトブルクに戻ってきてしまった。

 自分の言葉に興奮を抑えきれなくなったタンホイザーが「ヴェーヌスよ、お前のところに戻るぞ!」と絶叫すると、たちまちあたりに妖気が漂い、ヴェーヌスが姿を現す。オーケストラはヴェーヌスベルクを表わす旋律を奏でる。ヴェーヌスのもとへ行こうとするタンホイザーを必死に引き止めるヴォルフラムは「ひとりの天使がお前のために祈った。やがて祝福をしながら(その魂が)お前の上を飛ぶだろう。エリーザベトだ!」(譜例⑬)と叫ぶ。「エリーザベト!」の叫びは救済を表わす変ホ長調(Es-dur)で歌われ、巡礼の合唱と同一の調性である。

譜例⑬

 エリーザベトの名前を耳にして一瞬で興奮から覚めたタンホイザー。「エリーザベト・・・」、繰り返すように彼女の名前を口にすると、ヴェーヌスは「残念、逃げられてしまった!」と言い残し、その姿は消えてなくなってしまう。ヴェーヌスの捨て台詞を打ち消すようにヴォルフラムは「ハインリッヒ、救われたぞ!」と呼びかける。ヴォルフラムの背後から松明を手にした葬列がエリーザベトの遺体を収めた柩を担いで進んでくる。葬列の男たちはエリーザベトの祈りが神に聞き届けられ、彼女は天使の列に加えられたことを賛美する歌を厳かに歌っている。

 柩の前にかがみ込んだタンホイザーは「エリーザベトよ、我がために祈ってくれ!」と言うとゆっくりと崩れ落ち、息を引き取る。男たちが松明を消すと、既に東の空が明るくなっていた。

 木管楽器が奏でる三連符による変ホ長調の和音(譜例⑭)に乗って若い巡礼たちが姿を現し、「万歳! 慈悲の奇蹟に万歳!」と奇跡が起こったことを告げる。彼らは、緑の葉が生い繁った1本の杖を高々と掲げていた。これこそ、「この杖に葉が繁らないのと同じく、お前の罪も赦されない」と宣告した教皇の杖だった。神はエリーザベトの純真な祈りを聞き入れて、タンホイザーの罪も赦したのだ。「巡礼の合唱」の旋律に乗せた神の慈悲を讃える大合唱とともに幕が降りる。

譜例⑭

 ここまで「タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦」の物語と音楽を詳しく紹介してきましたが、本稿が少しでも皆さまの鑑賞のお役に立てたとしたら、幸いです。

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