JOURNAL

《マノン・レスコー》の魔力

文:香原斗志(音楽評論家)

《マノン・レスコー》初演を記念するポストカード

 1893年2月1日、トリノ王立劇場で初演された《マノン・レスコー》は、ジャコモ・プッチーニ(1856-1924)の3作目のオペラで、不評だった前の2作と違い、大ヒットして出世作となった。まだ経験が乏しかったこともあり、のちの作品にくらべると統一感に欠けるし、筋書きもつかみにくい。その代わりに、円熟してからの作品では味わえない若い生命力がみなぎっている。
 それだけではない。創意に富んだ美しく豊かな旋律があふれ、オーケストレーションも和声もじつに斬新である。のちにプッチーニらしさとされるスタイルは、萌芽も交えればすでにみな盛り込まれ、しかも、技巧的なわざとらしさや芝居臭さと無縁で、詩的な純粋性が味わえる。

 そんな特徴を生み出したプッチーニのこだわりに目を向けてみよう。
 アントワーヌ・フランソワ・プレヴォの小説『騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語』(1731年)は、すでにジュール・マスネ(1842-1912)がオペラ化し、1894年に初演されて成功を収めていた。だから楽譜出版のジュリオ・リコルディは、ほかの素材を選ぶように説いたが、プッチーニは聞かなかった。だが、劇作家マルコ・プラーガが詩人ドメニコ・オリーヴァと組んで仕上げた台本は、案の定、マスネのオペラの筋と似通っていた。
 しかし、ここからプッチーニは本領を発揮した。次の《ラ・ボエーム》以降、ダメ出しにダメ出しを重ね、時に「卓袱台返し」も辞さずに台本作家を泣かせたプッチーニの、執拗なまでの非妥協的姿勢が炸裂する。

 渡された台本に沿って作曲をはじめはしたが、第1幕を仕上げると態度を変えた。アミアンで出会って駆け落ちしたマノンとデ・グリューの、パリでの同棲を描いた第2幕をすべてカットさせ、代わりに、マノンが銀行家ジェロントの愛妾として暮らす場面に置き換えさせた。また、第3幕のル・アーヴル港から新大陸へと出航する場面(原作ではわずかにしか触れられていない)を、大きく拡大させた。
 そんな要求をしたので、プラーガは台本から降りてしまい、《道化師》の作曲家ルッジェーロ・レオンカヴァッロも、一時は協力したが去り、最後は《ラ・ボエーム》以降の台本に大きく関わるルイージ・イッリカが参加した。このため、いまなお台本作家の名が定まっていないのだが、大事なのは、こうした結果、このオペラがどのような性質を帯びることになったか、である。
 幕と幕のあいだに断絶が生じ、筋書きを見通すのが困難になったことは否めない。2人が出会ったと思うと、次の幕では、可憐だったマノンはいきなり大金持ちの愛妾で、さらに次の幕で、新大陸に送られてしまうのも唐突だ。
 しかし、1幕ごとに見ると、印象はまったく異なる。

 第1幕は、若いデ・グリューの情熱的で衝動的な感情を描いたロマンティックな旋律に浸ればいい。第2幕は、豪奢な悦楽に飽きているマノンの前にデ・グリューが現れ、ドラマの熱量に比例して音楽の熱量が上がり、豊かな旋律が数々の主題を提示する。そこでは、ワーグナーが《トリスタンとイゾルデ》に用いたような和声や、半音階的な転調などがふんだんに用いられている。
 第3幕は、原作にはほとんどない出航の場面で、マノンをどん底に突き落としながら劇的緊張を高め、大合唱を交えて壮大なスケールで締めくくられる。圧倒的な舞台効果というほかない。そして第4幕では、悲劇的な二重唱が延々と続き、劇的変化に欠ける代わりに、暗い絶望が見事に濃縮している。
 つまり、幕ごとに見ると劇的構成力がすばらしく、同時に、円熟期のスタイルにつながる表現の豊かさが味わえる。4幕をとおしての辻褄へのこだわりを捨てると、《マノン・レスコー》というオペラはすこぶる刺激的で、音楽的にも充足している。

東京・春・音楽祭2024で《ラ・ボエーム》を指揮するピエール・ジョルジョ・モランディ/©︎平舘 平

 さて、東京・春・音楽祭の公演は、プッチーニのすぐれた解釈者として世界に名を馳せているピエール・ジョルジョ・モランディの指揮のもと、理想の歌手が集められている。
 マノン役のイヴォナ・ソボトカは、昨秋のイタリア・オペラ・アカデミーの《シモン・ボッカネグラ》で圧巻のアメーリアを聴かせた。豊かな倍音をともなった輝かしい声で、美しいレガートを紡いだが、可憐で、奔放で、悲劇的なマノンの多面性を、かなり劇的な表現も加えながら描写する点で、これ以上のソプラノはいないのではないだろうか。
 デ・グリュー役のリッカルド・マッシは、世界を席巻しているイタリアのドラマティック・テノール。力強くも洗練されたフレージングを聴かせる。しかも、伸びやかな声は、この役に欠かせない甘さ帯びている。レスコー役のルーチョ・ガッロは、深い性格描写をしつつ声を流麗に響かせる。

 モランディが指揮する読売日本交響楽団のもと、この歌手陣が歌えば、恋人たちの出会いは甘く、その後の再会や旅立ち、別れは、どこまでも情熱的で、激しく、悲劇的になるだろう。4幕とおしての劇的整合性を求めすぎなければ、各場面はきわめて有意な音楽体験になるはずである。


関連公演

東京春祭プッチーニ・シリーズ vol.7
《マノン・レスコー》(演奏会形式)

日時・会場

2026年4月16日 [木] 18:30開演(17:30開場)
2026年4月19日 [日] 15:00開演(14:00開場)
東京文化会館 大ホール

出演

指揮:ピエール・ジョルジョ・モランディ
マノン・レスコー(ソプラノ):イヴォナ・ソボトカ
レスコー(バリトン):ルーチョ・ガッロ
デ・グリュー(テノール):リッカルド・マッシ
管弦楽:読売日本交響楽団
合唱:新国立劇場合唱団
合唱指揮:冨平恭平
      /他

曲目

プッチーニ:歌劇《マノン・レスコー》(全4幕/イタリア語上演・日本語字幕付)

料金

S:¥24,500 A:¥20,500 B:¥16,500
C:¥13,000 D:¥9,500 E:¥7,000 U-25:¥3,000

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