JOURNAL

上野で見つける江戸

第3回 江戸の佇まいが色濃く残る上野東照宮は国宝級

第3回 江戸の佇まいが色濃く残る上野東照宮は国宝級

文・香原斗志(音楽評論家・歴史評論家)

 東京・春・音楽祭の拠点、上野公園とその周辺は、東京でも最大級の文化ゾーンだが、実は、江戸文化の名残を味わううえでも同じことがいえる。上野は最高の音楽と最高の歴史遺産をともに味わえる贅沢なエリア。訪れるからには、ともに体験しなければもったいない。そこで5回にわたって、上野公園の歴史と、そこに残る珠玉の江戸遺産を紹介したい。


江戸の名建築ナンバーワン
 上野戦争で焦土と化した上野の山だが、奇跡的に残った遺産がある。前回もその一部を紹介したが、今回訪れる場所は、辛うじて残っているというレベルではない。江戸初期のすぐれた建築が、江戸時代の雰囲気を色濃くとどめた空間とともに残っているエリアがある。それが上野東照宮だ。
 私は以前、東京に残る江戸の名建築に順位をつけるように言われて、上野東照宮を迷わずナンバーワンに推した。東京文化会館から鳥居まで、西北に200メートルほどだろうか。オペラの幕間が長いときなど、私はよくお参りする。以下に述べるのは、それくらい身近にある遺産の話なのである。
 すでに書いたように、いまの上野公園とその周囲はみな寛永寺の敷地だった。もちろん上野東照宮もその境内にあった。「なぜ寺の境内に神社が?」と思うかもしれないが、江戸時代まで、日本では仏と神は一体のものとして信仰され、寺の境内に神社があって神社の境内に寺があるのが当たり前だった。
 東照宮とは東照大権現、すなわち死後に神になった徳川家康を祀った神社で、「権現」とは、仏菩薩が人々を救うために、神様に姿を変えて現れること。それを祀る神社が寺の境内にあるのは自然なことだった。
 創建されたのは寛永4年(1627)。社伝によれば元和2年(1616)2月、危篤の家康のもとに呼ばれた天海僧正と藤堂高虎は、「三人一つ処に末永く魂鎮まるところを作ってほしい」と遺言された。そのため高虎は上野の屋敷地を差し出し、そこに天海が寛永寺を開山し、境内に「魂鎮まるところ」として東照社(のちの東照宮)を設けたという。慶安4年(1651)、家康を尊敬していた三代将軍家光が造営替えした際、日光までお参りできない江戸の住人のために、豪華な社殿に改築した。

かつて水屋の上屋だった神門(水舎門)

諸大名が奉納した石灯籠

銅灯籠も重要文化財

極彩色の唐門

唐門にほどこされた「昇り龍」の彫刻

江戸初期を代表する「金色殿」
 まず、石製の鳥居は寛永10年(1633)に、老中や大老を務めた酒井忠世が奉納したもので重要文化財だ。その先にある神門は、もとは社殿の前にある水鉢の上屋だったのを門にしたもので、水舎門ともいう。それをくぐると、家光の造営替えの際に諸大名が奉納した石灯籠が参道の両側に200基あまりも並んで壮観だ。その先には40数基の銅灯籠が並ぶ。参道の正面に建つ唐門の前にある、ひときわ目立つ6基の銅灯籠は、徳川御三家が2基ずつ奉納したものだ。
 ここまででも圧巻だが、金地に極彩色で飾られた唐門に圧倒される。門扉の左右に施された昇り龍と降り龍の彫刻は、日光東照宮の「眠り猫」で知られる左甚五郎の作。門の左右に広がる透かし塀には、多種多様な動植物が200種類以上も活き活きと彫刻され、いつまで見ていても飽きない。
 唐門に向って左側から社殿を見学したい(有料)。参拝者が拝礼する拝殿から順に幣殿、本殿と並ぶ権現造の社殿は、別名「金色殿」。平成25年(2013)までの修復を経て、創建当時のまばゆい輝きが甦っている。軒下の極彩色の彫刻も見逃せない。もちろん社殿も唐門も透かし塀も、そして銅燈籠も重要文化財に指定されている。現実に国宝級だが、ある事情で国宝に指定されていない、という話も聞いたことがある。
 これだけのものが残っているというのも、上野戦争の火の手を逃れ、関東大震災でも倒壊せず、太平洋戦争のときは社殿のすぐ裏に爆弾が落ちたが不発弾で済んだ、という幸運が重なったからだ。
 ところで、参道を進みながら、左に建つ五重塔に気づくと思う。柵で隔てられた上野動物園の敷地に建っているが、もとは東照宮の五重塔だった。前述したように、かつては神社に仏教の施設があるのは当たり前だったのだ。ところが明治維新後、天皇の権威を高めるために神道を利用しようと考えた新政府が、神仏分離令を発令。日本中で神社内の仏教施設が破壊された。この五重塔も壊されるところだったが、宮司が機転を働かせて寛永寺に寄進。命拾いしたのである。
 しかし、寛永16年(1639)の建築で、やはり重要文化財に指定されているこの五重塔は、その後、寛永寺が東京都に寄付してしまったため、動物園の敷地内にある。いまは神仏分離をする必要はないのだから、もう一度東照宮の敷地にできないものか。
 神門の左手(南)、境内の外に立つ「お化け灯籠」も見逃せない。寛永8年(1631)、織田信長の重臣だった佐久間守次の四男、勝之が寄進したもので、高さ6.06メートルと「お化け」の名に恥じない大きさで、日本三大灯籠のひとつに数えられている。

透かし塀には種々の動植物の彫刻が(梅と鶯)

権現造の幣殿と本殿が金色に輝く

金と極彩色で飾られた拝殿

動物園の敷地に建つ五重塔

通称「お化け燈籠」

 最後に注意を。東京文化会館で公演があれば、幕間にお参りできるほどの至近距離なのは事実だが、境内に入ったとたん見惚れて時間を忘れてしまう危険性が高いので、まずは十分に時間をもって訪れることをお勧めしたい。



香原斗志/かはら・とし

音楽評論家、歴史評論家。神奈川県生まれ。早稲田大学卒業、専攻は歴史学。日本ロッシーニ協会運営委員。著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。毎日新聞クラシックナビに「イタリア・オペラ名歌手カタログ」、GQ JAPAN Webに「オペラは男と女の教科書だ」連載中。歴史評論家としては近著に『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。

 

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