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上野で見つける江戸

第2回 上野戦争の猛火を免れた寛永寺の重要文化財

第2回 上野戦争の猛火を免れた寛永寺の重要文化財

文・香原斗志(音楽評論家・歴史評論家)

 東京・春・音楽祭の拠点、上野公園とその周辺は、東京でも最大級の文化ゾーンだが、実は、江戸文化の名残を味わううえでも同じことがいえる。上野は最高の音楽と最高の歴史遺産をともに味わえる贅沢なエリア。訪れるからには、ともに体験しなければもったいない。そこで5回にわたって、上野公園の歴史と、そこに残る珠玉の江戸遺産を紹介したい。


奇跡的に上野戦争で焼けなかった門
 JR上野駅公園口から線路に沿った道を北東に200メートルほど歩くと、現在、寛永寺の多目的会館として使われている輪王殿がある。その入り口にさりげなく黒塗りの荘重な門が建っており、これはかつて寛永寺本坊の正門だった。

筆者撮影/輪王殿の入り口に立つ寛永寺の旧本坊正門


 前回、寛永寺は寛永2年(1625)に、現在の東京国立博物館の位置に本坊が完成し、創建されたと書いた。この門も創建当初に建てられ、アームストロング砲まで火を噴いた上野戦争の猛火を奇跡的に免れたものだ。薬医門とよばれる形式で、いまも門扉に上野戦争の際の弾丸の痕が残っている。


 しばらく東京国立博物館の前身である帝室博物館の正門として使われていたが、大正12年(1923)の関東大震災後、いまある博物館本館を建てる際、現在地に移築された。国の重要文化財に指定されている。コンサートやオペラの会場が東京文化会館なら、15~20分の休憩時間にでも往復できる場所に、価値が高い文化財が建っているのだ。


 東京文化会館の裏手から西方に200メートル足らずのところにある上野大仏も、チェックしておきたい。寛永8年(1631)に造立されたのち、たびたび罹災したが、仏殿は天保14年(1843)、大仏は安政2年(1855)の大地震で損壊後に修復されてからは、上野戦争の戦火も免れた。


 ところが、上野公園を整備する過程で仏殿が取り壊されてしまい、それでも6メートルを超える大仏は残っていたが、関東大震災で頭部が落下。さらには、保管されていた首から下も昭和15年(1940)、軍への金属供出で失われてしまった。かろうじて残った顔だけが、いまも祀られている。

筆者撮影/大仏殿の跡地に 顔面だけが残る上野大仏


上野にも清水の舞台がある!
 もうひとつ寛永寺の重要な建造物が、本坊表門とは逆の方向に残っている。東京文化会館の裏手から南西に200メートルほど行くと、朱塗りの建物が見えてくる。寛永寺を開山した天海僧正が寛永8年(1631)に建てた清水観音堂である。

 比叡山延暦寺になぞらえられた東叡山寛永寺には、京都の有名寺院を模した堂宇がたくさん建ち並んでいた。上野大仏も方広寺大仏殿になぞらえたもので、ご想像のとおり、清水観音堂は清水寺に見立てられている。本家にくらべれば規模は小さいとはいえ、斜面に懸造(かけづくり)の舞台が設えてある。

筆者撮影/朱塗りが鮮やかな寛永寺清水観音堂


 創建当初はいまより100メートルほど北方の、東京文化会館の裏手に位置して古墳の址だといわれている摺鉢山に建っていたが、根本中堂などの建設工事にともなって元禄7年(1694)、不忍池を望むいまの場所に移築された。境内の周縁に移されたおかげで、戦火を免れたといえるかもしれない。

 平成2年(1990)末からの文化財保存修理を経て、元禄に移築された当時の鮮やかな朱色や黄金の破風飾りなども蘇っている。これも国の重要文化財である。

筆者撮影/寛永寺の「清水の舞台」を望む


 清水観音堂は、歌川広重の浮世絵連作『名所江戸百景』にも登場する。そこに収められた「上野清水堂不忍ノ池」と「上野山内月のまつ」には、枝が円形を描き、その円のなかに不忍池の弁天堂が眺められる「月の松」が描かれている。この松は明治初期に台風の被害で倒れてしまったが、平成24年(2012)、当時よりお堂寄りの位置に復元され、江戸時代と同様の風景が楽しめるようになった。

筆者撮影/清水観音堂前の「月の松」の円のなかに不忍池の弁天堂を望む


 不忍池の弁天堂も、もちろん寛永寺の堂宇である。この池が琵琶湖になぞらえられたことは前回述べたが、天海の趣向はさらに手が込んでいて、池にもともとあった小さな島を琵琶湖の竹生島になぞらえ、そこに建つ宝厳寺に見立て弁天堂を建てたのだ。

筆者撮影/不忍池の弁天堂越しに上野の山を望む(右端に見えるのが清水観音堂)

 上野戦争では焼け残りながら、昭和20年(1945)の空襲で焼失してしまった。いま建つのは昭和33年(1958)年に再建された鉄筋コンクリート造りのお堂だが、弁天島から上野の山、そして清水観音堂を仰げば、この地を比叡山に見立てた天海の意図と、上野の山がかつて江戸の町に果たした歴史的な意味が、よく理解できるはずである。



香原斗志/かはら・とし

音楽評論家、歴史評論家。神奈川県生まれ。早稲田大学卒業、専攻は歴史学。日本ロッシーニ協会運営委員。著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。毎日新聞クラシックナビに「イタリア・オペラ名歌手カタログ」、GQ JAPAN Webに「オペラは男と女の教科書だ」連載中。歴史評論家としては近著に『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。

 

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