JOURNAL

ワーグナー集
2020/02/18

トリスタンあらすじと聴きどころ

《トリスタンとイゾルデ》――3幕のハンドルング

文・北川千香子(慶應義塾大学准教授)

 ワーグナーは「ニーベルングの指環」を作曲するにあたって「ムジークドラマ(楽劇)」という呼称を用いたが、「トリスタンとイゾルデ」ではさらに珍しい「ハンドルング」という呼称を与えている。これは劇や行為といった意味をもつが、この作品においてはとりわけ内面の行為を意味している。つまり、外的な出来事よりも主人公の内的な出来事が重要なのである。実際に、第1幕と第3幕はそれぞれイゾルデとトリスタンのモノローグが大半を占め、第2幕は彼らの愛の二重唱が核となっているものの、それは二重唱というよりむしろ「二重のモノローグ」と呼ぶべきものとなってい る。

前奏曲

 前奏曲は「憧憬の動機」とともに始まる。この動機は、チェロが奏でる6度の跳躍とそれに続く半音階の下行音型、そしてそれに重なるように現れる木管楽器の半音階の上行音型からなる。後者は、ショーペンハウアーのいう盲目的な意志の象徴と捉えられる。冒頭の下行音型と上行音型が最初に重なり合うところに生じるのが、かの有名な「トリスタン和音」である。そして冒頭の二つの音型の先にあるのは、一瞬の深い沈黙。沈黙や静寂が決定的な場面に用いられているのは、この作品の重要な特徴である。

 すでに前奏曲から半音階が駆使され、機能和声はその限界まで拡張されている。解決に至ることなく推進していく和声的展開は、尽きることのない憧れを象徴するかのようである。その後、「眼差しの動機」「媚薬の動機」「法悦の動機」など、主要な旋律が次々に現れると同時に、音楽は次第に高揚を重ねる。そして、フル・オーケストラによって頂点に至ったところで、階段を転がり落ちるように急降下し、あとは「眼差しの動機」と「憧憬の動機」の断片が弱々しく響くのみである。低弦の暗い音が不穏な雰囲気を漂わせるなか、第1幕が始まる。

第1幕

 舞台は、コーンウォールを治めるマルケ王のもとへ向かう船の上。船の舵を取るのは、王の忠実な家臣で甥のトリスタンである。彼はアイルランドの王女イゾルデを、いわば戦利品として、マルケ王に嫁がせるため連れ帰っているのである。幕開けとともに、遠いアイルランドの地にいる恋人を想って歌う若い水夫の声が聞こえてくる。イゾルデはその歌が自分への侮辱だと感じて逆上する。彼女の侍女ブランゲーネは、一睡もすることなく食事も摂ろうとせずに、ただじっと片隅に佇むイゾルデの身を案じる。イゾルデは侍女に命じてトリスタンを呼びつけるが、彼は舵を離れるわけにはいかないと断る。彼の家臣のクルヴェナールはブランゲーネの言葉にまともに取り合わず、イゾルデを嘲笑うばかり。それを聞いていたイゾルデは屈辱に身を震わせ、自らの怒りと苦悩のいきさつを語り始める。

 かつてトリスタンは、イゾルデの婚約者モロルトを決闘で討ち、残酷にもその首を許嫁のもとへ送りつけた。しかし、闘いの際にトリスタンも深手を負い、医術に長けたイゾルデのもとに、タントリスという偽名を使って現れた。この見知らぬ男の持つ剣の刃の形からその正体を見破った彼女は、モロルトの仇を取ろうと剣を振り上げるも、その瞬間、トリスタンの眼差しに心を奪われ、剣を取り落としてしまった。こうして命を助けてやったにもかかわらず、トリスタンは恩を忘れて、あろうことか自分をマルケ王の嫁とするために率先して動いていることに対し、イゾルデは後悔と怒りに苛まれているのである。

 マルケ王との結婚が幸せなものになるよう願うブランゲーネは、イゾルデの母の手になる愛の薬を差し出してなだめようとするが、イゾルデが杯に盛るよう命じたのは死の薬。トリスタンに何としてでも罪を償わせようと、うろたえる侍女を再度トリスタンのもとに遣わせる。着船が近いことを告げる水夫たちの呼び声がたびたび挿入され、二人の内面的世界に現実を突きつけると同時に、心理的な切迫を煽る。

 やっと現れたトリスタンは、イゾルデの真意を察知しながらも話をはぐらかし、二人の対話にはもどかしさがつきまとう。だが彼は、最後にはイゾルデに言われるままに、死を覚悟して杯をあおる。またも自分を裏切って一人で死ぬつもりかと、イゾルデは杯を取り返して残りを飲み干す。ところがその瞬間、張り詰める沈黙を破って二人は堰を切ったように熱烈な抱擁を交わす。ブランゲーネが毒薬を愛の薬にすり替えていたのである。船の到着を告げるトランペットが高々と鳴り響き、男声合唱の歓声が祝祭的な雰囲気を醸し出すなか、恍惚の境地で立ち尽くす二人と、取り乱すブランゲーネの対比が際立つ。

第2幕

 コーンウォールのマルケ王の城。王は家臣たちと夜の狩りへと出かけたが、城へはまだ、遠くから狩りの角笛の音が聞こえてくる。イゾルデは、木立に囲まれた庭でトリスタンが忍んで来るのを待ちわびている。彼女の胸の高鳴りを描写するように弦楽器がリズムを刻むと、それに続いて「焦燥の動機」「歓喜の動機」「憧憬の動機」が次々に現れる。ブランゲーネは落ち着かない様子で、マルケ王の忠実な家臣の一人であるメロートに警戒するよう、イゾルデに忠告する。王が狩りに出かけたのは、かつては友人であったものの、今は嫉妬に駆られたメロートがトリスタンを陥れるために仕込んだ罠に違いないというのである。しかし、イゾルデはそれを信じようとせず、密会の合図である松明を消すようブランゲーネに命じる。

 トリスタンがやってくると、二人は無我夢中で互いの名を呼びつつ、激しく抱擁し合う。ここから長大な愛の二重唱となる。もはや出口のない状況のなか、二人を隔てていた「昼の世界」を呪い、二度と再び目覚めることのない、永遠の夜をあこがれ求めつつ、「夜の世界」を讃える(「帳を下ろせ、愛の夜よ」)。深い愛に浸る二人に、もうすぐ夜が明けるとブランゲーネが二度にわたって警告する。しかし二人は聞く耳を持たず、愛の二重唱は昂揚し続け、この音響的エロスの渦が最高潮に達しようとしたその時、ブランゲーネの悲鳴によって音楽が断ち切られる。メロートに導かれて、マルケ王が密会の場に駆けつけたのだ。マルケ王は、誰よりも信頼していたトリスタンに裏切られたことへの嘆きと怒りを切々と歌う(「マルケ王の嘆き」)。不義の理由を問うても、「それを言うことはできない」とトリスタンは返答を拒み、その代わりに、自分がこれから向かう「暗い夜の国」に一緒に来てくれるかとイゾルデに尋ねる。イゾルデがうなずくと、メロートは激昂して剣を抜き、トリスタンは一騎打ちに応じると見せかけて立ち向かっていく。ところが、ト リスタンはわざと剣を手放して、自らメロートの剣に倒れる。

第3幕

 第2幕の冒頭の管弦楽がイゾルデの心象風景を表していたとすれば、第3幕のそれはトリスタンの内面を描き出す。「憧憬の動機」が短調の全音階となって低音域の弦楽器によって演奏され、重苦しさが醸し出される。その後の独奏チェロによる、物哀しい「トリスタンの嘆きの動機」が切なく響く。

 舞台はカレオールにあるトリスタンの城。背景では、羊飼いのシャルマイの「嘆きの調べ」が哀しげに響く。致命的な傷を負ったトリスタンを、家臣クルヴェナールがそばで見守っている。イゾルデの船が見えたら「喜びの調べ」を奏でるよう羊飼いに命じるが、なかなかその時は来ない。シャルマイの調べに、ようやくトリスタンは目を覚まし、昔聞いたその旋律を懐かしむ。クルヴェナールは、イゾルデを呼び寄せるために港へ迎えの使者を送ったと告げて、瀕死のトリスタンを励ます。生と死の境をさまよいながら、朦朧としたトリスタンの眼前に浮かぶのはイゾルデの幻影。時に熱烈に、時に息も絶え絶えの様子で、彼女への狂おしいまでの渇望と死への憧れを歌う。

 ついにイゾルデを乗せた船の到来の知らせがあり、狂喜のあまり錯乱したトリスタンは、最後の力を振り絞って、傷を覆う包帯をむしり取る。しかしイゾルデが現れたその瞬間に、彼女の腕のなかで息絶える。続いて、ブランゲーネ、マルケ王やメロートを乗せた船がやってくる。ブランゲーネからすべては媚薬のせいだったと聞いたマルケ王は、トリスタンと和解して愛する二人を結ばせるため駆けつけたのだった。そうとは知らないクルヴェナールは、メロートに打ちかかり、自身もマルケ王の家臣の剣に倒れる。呆然として死んだように動かないイゾルデを前に、マルケ王はすべてが死んでしまったと嘆く。イゾルデはトリスタンの亡骸に身を埋め、恍惚とした様子で至上の愛(「愛の死」)を歌いながら、愛する人の後を追うのであった。

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