JOURNAL
春祭ジャーナル
アーティスト・インタビュー〜前橋汀子(ヴァイオリン)<後編>
アーティスト・インタビュー〜前橋汀子(ヴァイオリン)<後編>
東京・春・音楽祭には初登場となる「前橋汀子カルテット」。2014年、前橋汀子(ヴァイオリン)が、弦楽四重奏界のレジェンドである原田禎夫(チェロ)、そして久保田巧(ヴァイオリン)と川本嘉子(ヴィオラ)という日本を代表する二人のトップ奏者と組んだカルテットだ。おりしも演奏活動60周年を迎えた前橋に聞いた。
そんなさまざまな思いも交錯する、念願の弦楽四重奏。ソロとはさまざまな点が異なり、大ベテランの前橋をも戸惑わせ、また新たな気づきをもたらした。
原田さんは「ソロで弾く時とは緊張感が違う」と、本当にその通り。ヴァイオリン・ソロとピアノで音楽を作るのとは根本的なところで違います。
まず私の場合、座って弾くことに慣れなくては。カルテットの演奏はとても繊細です。4人のそれぞれの個性を尊重しつつ、4人でお互いの音を聞きながらハーモニーを作り上げるのですから本当に緻密な練習の積み重ねで神経を使います。
私はカルテットに踏み込んだことによってソロで演奏する時にも楽譜の見方、見え方、いろいろな所で新たな気付きがあります。これは自分でもちょっと意外でしたが、すごくよかったことです。
若い頃には気づかなかったことに気づくということはたくさんあります。数え切れないぐらい何回も弾いてきた曲でも、たとえば弓の使い方とか指づかいとかを変えることによって微妙に音色も変わってきますし、聴こえてくる音楽もおのずと違ってくる。だんだん歳を重ねていくと、若い時のようには行かないこともたくさんありますが、それをいろんな知恵と工夫で補っています。長く弾いてきた経験も役立っている。それが音楽を続けていく気力、続けたいという思いにつながっているのかなと思っています。
今回演奏するのはベートーヴェンの弦楽四重奏曲第4番(作品18-4)、第11番《セリオーソ》(作品95)、第14番(作品131)の3曲。過去の公演(5プログラム・28公演)でもいずれもベートーヴェンだけを演奏してきた。レパートリーを拡げることよりも、焦点を絞って深く掘り下げようという意図なのだろう。これまでのところ、レパートリーを第2番、第4番、第8番、第11番、第14番、第16番の6曲に限定している。
どの曲も素晴らしいし、特に後期はまだ2曲しか弾いていないので、他の曲も弾きたいのですが、限られた時間の中でベートーヴェンを少しでも深く突き詰めたいという思いが強く、原田さんとも相談してこういうプログラムになりました。実際、忙しい4人のスケジュールを合わせて練習の時間を捻出するだけでも大変です。原田さんはヨーロッパに住んでいるので、特にこの3年間は、出入国の制限があったりして、頻繁に行き来するのは難しかったですし。
これはカルテットに限ったことではありませんが、名曲は何度弾いても新しい発見があります。気づかなかったこと、見落としていたことが弾くたびに見つかるのです。そういうことから曲全体のイメージも変わってくるし。今回はベートーヴェンの生涯を辿るように、初期、中期、後期から1曲ずつという選曲に落ち着きました。
第4番作品18-4は、いつかカルテットをやることになったらぜひ弾きたいと思っていた曲です。各楽章もそれぞれ個性的で、ベートーヴェンの中でも本当に名曲だと思います。
何度も演奏していますが、弾くたびに、後期とは別の難しさを感じます。ベートーヴェンの初期の作品はある意味単純というか、音が多くない。作品18の6曲もそうです。それを聴かせる、納得して弾くというのは、音楽家の力量、音楽観が凝縮して示されることだと思います。
この曲はロバート・マン先生のレッスンを思い出します。教えていただいたのは第1楽章だけでしたが、一音一音とても細かい指示があり、音程、4人の弓のスピード感、弦への圧力のかけ方、ヴィブラートを合わせること等々。マン先生は第1ヴァイオリンですから、私には特に丁寧に教えて下さいました。
第14番作品131は全7楽章構成の長大な曲ですが、やっぱり全部を通して聴いて初めて「ああ、そうか」と納得する曲だと思います。逆に言うと作品18などの初期の作品はどこか1楽章だけ聴いても納得。でも晩年の後期の作品は全曲を通して聴くことにより、ベートーヴェンが辿ってきた生き様が物語のように私には聴こえてきます。
今回、東京・春・音楽祭で「前橋汀子カルテット」を取り上げていただき、演奏できますこと大変楽しみにしております。コロナの影響もあり、私たちにとっては2019年1月以来、久しぶりのカルテットでのコンサートです。オール・ベートーヴェンのプログラム、私の集大成としてぜひ皆様に聴いていただけましたら嬉しいです。
・・・前編はこちら
取材・構成:宮本 明