JOURNAL

ディオティマ弦楽四重奏団、シェーンベルク全曲演奏会を語る

取材・文:林田直樹

今年生誕150周年を迎えた作曲家アルノルト・シェーンベルク(1874-1951)の音楽は、いまもなお謎であり、尽きない魅惑の泉である。バッハ、モーツァルトからブラームスやワーグナーに至るドイツ・オーストリア音楽の伝統を継承しながらも、十二音技法という独自の作曲技法を編み出し、世紀末ウィーンや表現主義に通じる特異な音楽美のスタイルを見出だした。20世紀音楽史におけるその存在感はあまりにも巨大である。
前衛でもあり保守でもあるようなシェーンベルクの音楽の全体像を、弦楽四重奏という切り口を通して味わう絶好の機会となる今回の大規模なコンサートを前に、ディオティマ弦楽四重奏団に向けて、いくつかの質問を投げかけてみた。
以下の回答からは、現代音楽の第一線に立ち続けた彼らならではの、シェーンベルクに対する深い洞察と愛情が読み取れる。ぜひともシェーンベルクの音楽世界に親しむためのヒントを、ここから得ていただければと思う。

――今回のコンサートでは、シェーンベルクの弦楽四重奏曲を作曲順に演奏するわけではないのですね。この曲順にした理由をお教えください。

「私たちは、シェーンベルクは完全なクリエーターであると確信しています。そう確信する理由は、彼の作品のすべてが、順序を入れ替えることで異なる意味を生み出すような世界と統一性を含んでいると考えるからです。
弦楽四重奏曲第3番から始めることは、1897年の番号なしの四重奏曲以後の、シェーンベルク自身の表現主義的なイマジネーションに確実に近づくひとつの方法です。そして、まるで映画のような大作《浄められた夜》で締めくくるのが、演奏会の宵の“最後を飾る”方法なのです。
このコンサートでは、ロマン派的な作品と近代的な作品を交互に演奏したいと思いました。シェーンベルクのどの作品にもこれら2つの側面がある、と考えるからです」

――シェーンベルクの音楽におけるウィーンらしさとは?

「アイロニーの感覚です、時には氷のような、時にはノスタルジックな…。トランジション(移行・経過)を使わずにコントラストを作り出す、隣り合うキャラクターをぶつけ合うことで、ドラマが生まれます。しかしこれは、こういうのがウィーンの音楽なのだという証明でもあります。とても心理的であり、作品の構成はまるで夢のようです。たどれる道はどこにもない、でも私たちはここにいる、といったような。
彼は常にシューベルトと深くつながっています。19世紀のウィーンから直接受け継がれた優雅な身振りや歌い方をよく使う、という意味においてです。もちろん、ウィーンの非公式市歌である民謡『愛しのアウグスティン』の挿入(第2番第2楽章)は、シェーンベルクのウィーンとの深いつながりを示す象徴です。この歌の登場は、自分の意思に反して言葉が口をついて出てしまう“舌の滑り”によく似ています。この種のジェスチャーは、フロイトや精神分析のウィーンと関係があります」

――シェーンベルクの弦楽四重奏曲第3番の第1楽章は、その音の動きや緊迫感において、ブラームスの弦楽四重奏曲第1番の第1楽章ととても良く似ています。シェーンベルクはブラームスから何を継承していますか?

「歴史的に見ても、シェーンベルクはブラームスと非常に近い関係にありました。実際、彼の義兄で若い頃の作曲の師であったアレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーはブラームスに師事し、ブラームスに後押しされていました。そしてシェーンベルクは、“進歩的なブラームス”という見事な論文でブラームスを賞賛しています。彼はその論文で、ブラームスの音楽に含まれる近代的な観念を、賢明かつ巧みに取り上げた上で、こう述べています。『ブラームスは非常に短いモチーフを用い、すべての楽章の構成を念頭に置いて作品を作り、深い統一感を生み出した』と。
これはシェーンベルクの音楽における重要な構成要素でもあると思います。弦楽四重奏曲第3番の冒頭における第2ヴァイオリンとヴィオラのモチーフは第1楽章全体を貫いており、第1楽章の旋律の形は作品全体を通して保たれています。これが知覚や認識を超えた一体感を生み出しており、偉大な達成が実現されています。
しかし、シェーンベルクの目標は構築だけではない。個性の生成も目標です。ブラームスの四重奏曲とこの楽章における8分音符の圧迫感は旋律に大きな影響を与えます。そして旋律は、この伴奏テクスチャーと接触することによって、絶望感に満たされていくのです」

――弦楽四重奏曲第1番の第3楽章の秘密めいた不穏な空気、第4番の第3楽章の深刻さはとても魅力的です。そこにはどんな隠された物語があるのでしょうか? 

「このような個性が現れるには、個人的な理由と歴史的な理由の両方があると思います。まず、シェーンベルクは、弦楽四重奏が純粋音楽、つまり声部の相互作用のみから生まれる音楽であるという伝統を最初に打ち破った音楽家です。
弦楽四重奏曲第1番には“秘密の”プログラムがあります。《浄められた夜》は、シェーンベルクと同時代の詩人デーメルの詩に基づいて作曲したもので、交響詩とソナタ形式が融合した非常に不思議な作品です。第2番は、音楽そのものが調性の境界と声部の相互作用を越えるのを助けるために、テキストが含まれていることで有名です。第3番は、船に釘付けにされた海賊のイメージから得た着想、そして第4番にはとても深い瞑想が含まれています。
これらの作品すべてにおいて、シェーンベルクはオペラに言及し、テキストに言及し、そして、歌われているかに関わりなく、個人的な物語に言及することで意味を生み出しています。第1番は、ワーグナーのアリアのような悲しみの歌であり、特に第4番には、ユダヤの伝統から受け継がれた祈りのようなものが含まれています。
シェーンベルクは伝統の交差点に再び立ち、すべての伝統が彼の魂の内に独特な融合を生み出しています。その個性の不穏さは、たとえば第1番のヴィオラを中心にした声部の揺れにおいて、森の中を歩いているような、孤独な不安感を生み出しています。このページを、シェーンベルクは特に誇りに思っていました。
第4番の第3楽章で、このように四重奏が全体でユニゾンを歌うのは、非常にまれなことです。楽器の力と旋律の形が混ざり合って実にドラマティックです」

――第2番の歌詞は、謎めいています。何を祈っているのか?何を苦しんでいるのか? その意味を理解するためのヒントをいただけますか?

「お答えするのは難しいですが、美しい質問ですね。この弦楽四重奏曲第2番は私的経験が題材になっています。それはシェーンベルクと妻マティルデ、そして画家リヒャルト・ゲルストルの三角関係であり、この曲を作曲中の1908年の夏に極限に達しました。ここに表現されている苦しみは、孤独と、結婚生活に亀裂を生じさせた欲望そのものへの怒りです。
第3楽章の『連祷』には、«欲望を殺せ»というきわめて激しい言葉が出てきます。読むのも恐ろしい言葉ですが、シェーンベルクは強い共感を覚えたに違いありません。詩の中で使われているイメージも暗く、まるで詩人が人生そのものに、私の呼吸を止めてくれ、すべてを止めてくれと懇願しているかのようです。
シェーンベルクは、この«行き詰まり»を音楽そのもののメタファーとして捉えていたのだろうと想像します。というのは、まさに次の楽章で彼は新しい音楽世界を創造しているからです。まるで、死の必然性と調性の境界線を踏み越えるかのように。手がかりを見つけるのは難しいですが、それは音楽の中にあるはずだと思います。
第3楽章では、第2楽章のモチーフを瞑想的に使い、ベートーヴェンが交響曲第9番でやったように、四重奏曲第1番の緩徐楽章のモチーフも使い、過去を引用して、生と死の悲しみから脱出する道を見つけようとします。その道が第4楽章なのです。暗闇がすべて消え、空に新しい色が現れます。祈りは、感じるという行為そのものへの祈りとなります。その最初の言葉は、«私は呼吸する、別の惑星の空気を»です」

――十二音技法が象徴するシェーンベルクの新しい音の美学が意味するものとは何でしょうか。それはブラームスの愛の物語の、さらにその先のもっと暗い世界のことでしょうか?

「これもまた、とても美しい質問ですね! シェーンベルクは自分のスタイルについてのみならず、自分のスタイルをどのように説明し伝えるべきかについても、複雑な思いを持っていたことは間違いありません。彼は、十二音列が音楽の流れの妨げになるのが嫌いでした。十二音技法に関しても、彼は音楽に与えたいと願ったリズムの特質がよりわかりやすくなるような美学を追求したのだと思います。それはある意味、彼の属していたロマン派の時代よりも軽い美学なのでしょう。若い頃はブラームスやワーグナーの直接的な伝統や、調性をどう扱うかで悩んだものの、やがて彼はその悩みから脱して、旋律の形や全体的な構造について新しいモデルを見つけようとしました。
音を色彩に見立てれば、シェーンベルクは画家なのだと思います。彼は四重奏や弦楽というものを強力かつ多様な方法で理解していました。ある時はウィーン風の軽快な動きを使い、またある時は弓の木部を激しく打ちつけます。それは暗いやり方ですが、それだけでなく彼の十二音技法の作品は闇の暗さを測れるようにすることを目指してもいるのです。
それがブラームスを超えている、とは思いません。むしろ、不揃いな旋律を使う点ではモーツァルトの伝統に深く根差しています。また、リズミカルな衝動ではベートーヴェンの伝統に、音楽と真正面から向き合う勇気ではシューベルトの伝統に、識別可能な短いモチーフを使う点ではブラームスの伝統に、そして、音楽は世界になりうるしそうあるべきだという信念ではマーラーの伝統に、それぞれ深く根ざしていると思います。
シェーンベルクは、これらすべての特質を、重要で説得力のある一連の作品に盛り込むことができました。彼が好んで言ったように、十二音技法で重要なのは十二音それ自体ではなく、どのように構成して作曲するかなのです」

――これまでたくさん現代の作品を演奏してきたあなた方にとって、100年前の音楽であるシェーンベルクの作品の何が特別だと思いますか?

「シェーンベルクは、観念に命を吹き込むことにおいて、音楽の力を――リズム、形、ダイナミズム、色彩といった音楽が内包するすべての要素を――信じることにおいて、独特の勇気を示しています。
たしかに彼は難しいことを言おうとしています。それはときには言い表し難い事柄であり、ほとんど危険でさえあります。しかし彼はやってのけた。美を見出し、私たちすべてにとって意味あるものを創造し、彼にとっての過去と現在と、私たちの未来とを結びつけることに成功したのです」


関連公演

ディオティマ弦楽四重奏団
シェーンベルク 弦楽四重奏曲 全曲演奏会 生誕150年に寄せて

日時・会場

2024年4月6日 [土] 14:00開演(13:30開場)
東京藝術大学奏楽堂(大学構内)

出演

ディオティマ弦楽四重奏団
 ヴァイオリン:ユン・ペン・ジャオ、レオ・マリリエ
 ヴィオラ:フランク・シュヴァリエ
 チェロ:アレクシス・デシャルム
ヴィオラ:安達真理
チェロ:中 実穂
ソプラノ:レネケ・ルイテン

曲目

シェーンベルク:
 弦楽四重奏曲 ニ長調 [試聴]
 弦楽四重奏曲 第3番 op.30 [試聴]
 弦楽四重奏曲 第1番 ニ短調 op.7 [試聴]
 弦楽四重奏曲 第2番 嬰ヘ短調 op.10(ソプラノと弦楽四重奏版) [試聴]
 弦楽四重奏曲 第4番 op.37 [試聴]
 プレスト ハ長調 [試聴]
 スケルツォ ヘ長調 [試聴]
 《浄められた夜》op.4 [試聴]
公演時間:約6時間(休憩3回含む)

休憩時に浅井佑太(お茶の水女子大学音楽表現コース 助教)によるスペシャルトークを予定しております。

【試聴について】
[試聴]をクリックすると外部のウェブサイト「ナクソス・ミュージック・ライブラリー」へ移動し、プログラム楽曲の冒頭部分を試聴いただけます。ただし試聴音源の演奏は、「東京・春・音楽祭」の出演者および一部楽曲で編成が異なります。

チケット料金

全席指定:¥7,500 U-25:¥2,000


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