JOURNAL

プッチーニ集
2020/11/13

「プッチーニの三つの偏執」

第3回 新しいもの好きは伊達じゃなかった

文・香原斗志(オペラ評論家)

ド・ディオン・ブートン(ガソリン自動車)に乗るプッチーニ

 いまプッチーニが生きていたら、だれよりも早く5G対応のiPhone 12を購入したのはもちろん、どこかのIT企業の経営者のように最新鋭のプライベート・ジェットを手に入れたことだろう。プッチーニは女性だけでなく、新しいもの、それもメカや乗り物が大好きだった。

 1900年1月に初演された《トスカ》が成功すると、翌年5月には、黎明期のガソリン自動車として知られるフランス製のド・ディオン・ブートンを購入している。まだ世界中のほとんどの人が自動車など見たこともなかった時代のことだから、すごい。ところが1903年2月、この愛車が急なカーブを曲がり切れずに横転してしまう。お抱え運転手は大腿部を骨折し、プッチーニも放り出されて向こうずねを骨折したほか、多重打撲傷を負って、それから4カ月も寝たきりで過ごすことになった。回復後も、足を引きずるようになってしまったという。

 踏んだり蹴ったりだが、それでも素直に同情されない面もあったようで――。《トスカ》初演後からプッチーニは、コリンナと呼ばれる法科の女学生と深い関係になって、家族間の軋轢を生んでいた。だから、事故後の回復が遅いことに対して楽譜の版元のジュリオ・リコルディから、「コリンナが原因ではないのか」とまで難詰される始末だったのだ。

1904年《蝶々夫人》初演時のポスター

 だが、それくらいのことで懲りるプッチーニではない。退院してトッレ・デル・ラーゴの自宅に帰ると、モーターボートを初めて購入した。それは自動車の代用として、というわけではなかった。事故で肉体を痛めつけられ、《蝶々夫人》の初演も先に延びてしまったにもかかわらず、このオペラがスカラ座で大失敗を喫したのち、1904年5月にブレーシャで勝利すると、今度はド・ディオン・ブートンを自分で運転し、友人たちをあちこちに案内している。ちなみに、彼は生涯に自動車を14台、モーターボートを5台所有したという。

 新しいもの好きは、オペラにもしっかり活かされていた。《蝶々夫人》でも、新しい和声を駆使して曲に変化をつけながら、そこに五音音階の旋律を継ぎ足すなどして、エキゾチックな響きを加えながら、蝶々さんの成長と死を描いた。また、半音を使わず全音だけで1オクターブを6等分した全音音階を効果的に用いた。

 しかし、時代の先端を走る技法をさりげなく取り入れながらも、プッチーニの音楽から、聴く人の耳に心地よい、イタリアらしい抒情性が失われることはなかった。逆に言えば、軽く耳にしただけだと、安易にセンチメンタルを気どった音楽に聴こえなくもないが、その実、種々の最新技法に支えられ、オーケストラからは尽きせぬ明暗と色彩が引き出されるように書かれている。だからイタリア・オペラが輝きを失い、やがて終焉しようという時代に、プッチーニだけが命尽きるまで伝統を継承することができたのだ。

 事故を起こそうが最新の車に乗り続け、浮気もやめない。それがプッチーニの音楽に新しさと抒情性が両立した秘訣だ、と言ったら、牽強付会にすぎるだろうか。

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