JOURNAL

プッチーニ集
2020/11/06

「プッチーニの三つの偏執」

第2回 一緒に働きたくないジコチュー男

文・香原斗志(オペラ評論家)

左より、ジュゼッペ・ジャコーザ、ジャコモ・プッチーニ、ルイージ・イッリカ

 他人と共同作業をする際、人に気を遣えない人がいる。しかも、その手の人が案外、成功している。そういう人は自分がこうと決めたらブルドーザーのように突き進み、相手の意見は平気で踏みつぶし、または自在にいいとこ取りして、自分の意思を通してしまうのだ。もっとも、最近ではパワハラ認定される可能性が高いが、人事権を握られていたり、売れっ子だったりすると、周囲は忖度するしかなく、困った人物がますます増長する。

 私は個人的に、その手の人物とは一緒に仕事をしたくないが、19世紀末から20世紀初頭、プッチーニもそう思われていたに違いない。

 《ラ・ボエーム》でのルイージ・イッリカとジュゼッペ・ジャコーザとの共同作業を例にとってみよう。台本の初稿をイッリカが書き、それをジャコーザが仕上げ、プッチーニが曲を書くという3人の共同作業は、のちの《トスカ》と《蝶々夫人》も生み、「聖三位一体」と最高に褒めたたえられた。しかし、二人の台本作家は、そんなふうにいわれて苦笑するしかなかっただろう。というのも、台本の完成まで3年近くかかったのは二人が遅筆だったからではない。総譜の版元のジュリオ・リコルディに対し「台本作家と同等の発言権をもちたい」と宣言したプッチーニが、プロの仕事に敬意を払わず、書き直しに次ぐ書き直しを命じたからなのだ。

 たとえば――。イッリカが作ったプランでは、第1幕が屋根裏部屋とカルチエラタンの2部構成、つまり現行の第1幕と第2幕を含んでいた。そして第3幕は、ロドルフォとミミの別離に続き、ムゼッタの家の中庭で行われるパーティの場面が設けられていた。ところが、プッチーニは中庭の場面をそっくり削る代わりに、第1幕を拡充して二つの幕に分けるように指示した。

アドルフ・ホーヘンシュタインによる《ラ・ボエーム》初演時のミミの衣裳スケッチ

 なんのために? プッチーニはミミを自分の理想の女性に仕立てたかったのだ。それなのに、中庭の場面ではミミが子爵と出逢って駆け落ちする。そんな「ふしだらな」ミミはもってのほかだった。同じプッチーニは、第1幕のロドルフォとミミの出逢いを拡充させ、第4幕のミミの死の場面が物足りないと言った挙句、“Qui…amor…sempre con te!(ここで愛するあなたとずっと一緒)”というミミのセリフを自分で書き込んでしまった。そのうえ、第3幕でロドルフォとミミが別れるのも嫌がったのだ。さすがのイッリカもリコルディに「単に愛し合って喧嘩し、最後に死ぬだけでは、もはや《ラ・ボエーム》ではない」と苦情を述べている。その前にジャコーザは「この仕事から身を引く」と宣言したほどだった。

 前回、プッチーニは「無類の女好き」だったと書いた。そんな彼にとって大事なのは、原作『ボヘミアンたちの生活情景』に書かれたリアリズムよりも、理想の女性像と涙を誘う愛と死だったのだろう。だから、原作のミミが簡単に駆け落ちする女であっても、そういう負の面は覆い隠して、自分が理想とする純愛に仕立てなければ気がすまなかった。そのためには、イッリカだろうとジャコーザだろうと踏みつぶすことを厭わなかったのがプッチーニである。

 ひたすら「カワイイ女」を求める女性観は、個人レベルではたぶん身勝手なものだ。しかし、プッチーニがこうして我を通したから、時代を超えて愛される純愛劇が生まれた。能力がある人は、ブルドーザーのように突き進んでもいいのだろう。私は一緒に仕事をしたくないけれど。

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