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20th Anniversary Special Talk

対談 vol.3:野平一郎(作曲家・ピアニスト)×鈴木幸一

東京・春・音楽祭の実行委員長、鈴木幸一による対談シリーズ第3回のゲストは、作曲家でピアニストの野平一郎。東京春祭に過去4回の出演歴があり、2021年より音楽祭の拠点でもある東京文化会館の音楽監督を務めています。指揮者、教育者、プロデューサーなどさまざまな顔を持つ現代音楽の大家と、音楽の現在と未来について語り合います。

 

音楽とコンピューターの高い親和性

鈴木幸一(以下鈴木) 野平さんには2013年の東京・春・音楽祭で、フランスの作曲家ピエール・ブーレーズ(1925~2016)が創設に関わった「ircam」(通称イルカム、フランス国立音響音楽研究所)の公演「ircam×東京春祭 ~フランス発、最先端の音響実験空間」に登場していただいたのをよく覚えています。この時、野平さんが作曲した「息の道〜4つのサクソフォンを奏する1人のサクソフォン奏者と電子音響のための」の演奏もありました。

野平一郎(以下野平) ありがとうございます。その年の東京春祭には、サクソフォンのクロード・ドラングルのリサイタルにも、ピアニストとして出演させていただきました。翌年はヴァイオリンの漆原啓子さん、チェロの向山佳絵子さんとのピアノトリオで、また2015年にはスクリャービンの《24の前奏曲》を弾かせていただきました。

鈴木 私は、高校生の頃から、わからないままに、現代音楽に関心があって、当時、朝日新聞社の講堂で、作曲家・ピアニストの高橋悠治さんなどが演奏し、音楽評論家の方が話をする「現代音楽の会」があって、暇だったもので、会があるたびに、ぼんやりと席に座っていました。その後も、ミラン・クンデラが、クセナキスについて書いた文章などを読むと、ついついひきこまれていました。

野平 東京春祭がircamという研究所に目を付けたというのはすごいことだと思います。それまでircamが公式にチームを組んで日本へコンサートに来たことはなかったんじゃないでしょうか。日本では「音を増幅する」というと大きな音を出すことだと捉えられがちです。ロックのように。しかしエレクトロニクスにも非常にデリケートな世界がある。音楽家だけでは解決できないテクノロジーの世界について科学者の力を借りたい、さまざまな分野の方と協力して音楽制作に生かしたいという思いで、1977年にircamが創設されました。

鈴木 あの公演は面白かったですね。音楽はストラクチャーに強い芸術のような気がしていて、コンピューターは生かしようによっては面白いかもしれない。そういう意味でもインターネットが本業である僕は、野平さんと一緒に何かできればと思っています。



©︎青柳 聡/東京・春・音楽祭2013 日経ホールで行われた「ircam」公演の様子。アンサンブル・クール=シルキュイ、クロード・ドラングル(サクソフォン)、マクシム・ルソー(IRCAMサウンドエンジニア)、ブノワ・ムーディック、ホセ・ミゲル・フェルナンデス(共にIRCAMコンピューターミュージック・デザイナー)らが出演した。

©︎堀田力丸/東京・春・音楽祭2014 「偉大な芸術家の思い出に~漆原啓子、向山佳絵子、野平一郎」より。チャイコフスキーによる表題と併せて、ドビュッシー:チェロのピアノのためのソナタ ニ短調、ラヴェル:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ が演奏された。


今を生きる人たちのための音楽とは

野平 2024年の東京春祭では、ブーレーズがircamと同時期に創設した現代音楽の室内オーケストラ「アンサンブル・アンテルコンタンポラン」を東京文化会館にお招きします。こちらはエレクトロニクスを使わない、31人のソリスト集団。1900年頃から1950年頃までの全作品を精査して一番効率よくオーケストラとしての編成を研究した結果、31人になったと聞きました。偶然ですが、僕はフランスに住んでいた頃、5年くらいエキストラでピアノを弾いていました。

鈴木 アンサンブル・アンテルコンタンポランは楽しみですね。しかし、現代音楽と言いますけど、言い方がね。

野平 現代音楽とは何ですか、とよく聞かれるけど、困っちゃうんですよ。だから、単に現代に鳴っている音楽だとちょっとはぐらかして答えるのが常ですが、定義するのは難しいですね。

鈴木 僕は野平さんの学識とか同時代の音楽とか、それを聴きに来て、体験してもらう場を提供するのが、音楽祭の義務のように思っているところがあります。100年前の音楽会だと、同時代の作曲家の作品や新作初演がプログラムの7,8割くらいを占めていたのではないでしょうか。第二次大戦後、間もない頃からそうではなくなり、ロシアの作曲家ドミートリー・ショスタコーヴィチ(1906~1975)の死後、同時代の作品の演奏はほとんどなくなってしまった。今を生きている音楽家が、この時代を表現する場がほとんどないというのはいかがなものか。そういう思いはあるのですが、なかなかお客さんは集まりません。なんだか西洋の文化が壊れちゃったような感じもしますが、ヨーロッパから少し離れたロシアあたりにその文化が残ったのは不思議です。僕はショスタコーヴィチをよく聴きます。

野平 鈴木さんが2020年度の文化功労者に選ばれて、お祝いのコンサートでショスタコーヴィチの《24の前奏曲とフーガ》を弾かせていただきました。あれは鈴木さんのリクエストでしたね。

鈴木 同時代の作曲家の作品を演奏しないというのは変だと思うんですよ。そういうことに目覚めたのが1970年の大阪万博でした。

野平 僕も行きました。高校生でしたけど。武満 徹さん(1930~1996)が現代音楽を紹介していた「MusicToday」という音楽会は、武満さんプロデュースの大阪万博のパビリオン・鉄鋼館でのコンサートを基に始まったものですね。あれは面白かった。

鈴木 僕はあの場で聴いたヨーロッパの音楽に感動しました。「これは音楽なの?」と驚きました。

野平 クセナキスですね。ほかにも高橋悠治さんとか、変わった音楽がたくさんありました。

鈴木 あれ以来、クセナキスはよく聴きましたね。彼が書いたものは、とても面白い。ノイズも表現の一つであるということに、当時は驚いたものです。現代の音楽の流れを明確に言葉にできた人だと思います。

野平 そうですね。クセナキスは、フランスの作曲家オリヴィエ・メシアン(1908~1992)に「君は数学を知っている。数学使って音楽を書いたらどうだ」と助言を受けたそうです。僕は大学で音楽を教える立場だからわかりますが、そんな助言はなかなかできない。

鈴木 昔の音楽は、ある種の感情に強く訴えかけます。イタリアオペラも胸に迫ってくるものがある。まるで演歌のように。でも、昔は良かったというようなノスタルジーではなく、もっと心揺さぶられるものが現代にもあるはず。そういう意味でも野平さんが東京文化会館の音楽監督になられたことは、東京春祭のこれからを考えるうえでとても喜ばしいことです。


©︎池上直哉/時には笑顔で、時には真剣なまなざしで、音楽の現在と未来について語り合った野平さんと鈴木。


音楽をもっと面白くもっと自由に

鈴木 ちょっと僕の本業の話に関わってきますが、IIJ(インターネットイニシアティブ)はベルリン・フィルの映像配信「デジタル・コンサートホール」のネットワークを提供しています。2019年にはインターネット経由でベルリン・フィルの演奏を高精細な4K映像と高音質なハイレゾ音源でライブ配信する、世界初の試みにも成功しました。うちのエンジニアを現地に行かせて画像と通信のずれを調整しながら配信しましたが、会場のノイズまできちんと拾えていました。ノイズがないと、スタジオ録音の音みたいになりますからね。

野平 やっぱり世界的に最も有名なオーケストラが、最も先進的な取り組みをしていますね。日本のオーケストラも頑張ってほしい。今までやってきたことに安住しているわけではないんだろうけど、根本的に変えようという発想にならないといけませんね。

鈴木 音楽は頭の中の遊びの世界なんだから、もっと面白いことやればいいと思いますよ。

野平 今の音楽家にとって、現代の作品を演奏するということが、鈴木さんが言われるような面白いことではなくなったのかもしれません。だから現代の作品だけを集めた演奏会をするとそれなりにお客さんは来るかもしれないけど、一般の人には聞いてもらえない。これはあまりいい状態じゃないと思います。

鈴木 僕は、音楽は稀に見る芸術だと思っています。ロックも古典も、それはそれでいい。ですが、今は、野平さんたちが作曲するような同時代の音楽を演奏する、聴く、ということが難しい時代になっています。戦争も繰り返されている今、この時代の音楽をどうするのかって思います。東京春祭はそんなことも伝えていきたい。

野平 今年はユダヤ系ハンガリー人の作曲家ジェルジ・リゲティ(1923~2006)の生誕100年ですが、リゲティは亡命して作風が全く変わりました。僕はそこに興味を持ってオペラを書こうと思い、ウィーンにいるリゲティの妻の元へ取材に行きました。色々話を聞かせてくれたのですが、最後に「こんなことは我々の周りには本当にいっぱいあったし、誰もがそういう目に遭っていた。これが本当にオペラの題材になるの?」と言われてしまいました。1922年生まれのクセナキスも、第二次世界大戦中はレジスタンス運動に参加していました。この世代の多くのヨーロッパの人は複雑な心の問題を抱えていて、それが音楽にも影響したのでしょうね。


©︎増田雄介/2018年にご出演いただいた「ミュージアム・コンサート 東博でバッハ vol.37」。東京国立博物館 平成館ラウンジにて、満員の聴衆を前に。


聴衆の期待と信頼を得るために必要なこととは

野平 僕は2023年から東京音楽大学の学長も務めていますが、24年春に音楽とコンピューターを結合した「ミュージックビジネス・テクノロジー専攻」を開設します。テクノロジーとビジネスを語っていただくには、鈴木さんがぴったりだと思って講義のお願いをしました。きれいごとばかりじゃなくて真実を知ってもらうことは、学生の肥やしになります。鈴木さんの話は多くの学生に開放したいと思っています。少人数じゃもったいない。

鈴木 少し話がそれるようですが、会社は投資家からどう評価されるかということも大事なんですよ。2年後の業績がどうなるか会社の中では予測できていても、その過程で外の人から1度でもだめだと思われると信頼を回復するのは大変です。投資家の期待を裏切ると、再びこちらに顔を向けてもらうまで大変な時間と労力が必要になる。だからいつも気を抜くな、何事もおろそかにするな、ということなんですけど。
音楽も同じだと思うんです。少しでも評判を落としたオーケストラがカムバックするのは大変でしょう。1度でも気の抜けた演奏をしたらお客さんは離れます。だって楽しみにしていたのにがっかりしたら、もう行かないですよ。日本の音楽界は限られた聴衆の中で、慣れ合いになっているところがある。そうではなくて、たくさんのお客さんに来てほしい、音楽で生きていくというのであれば、毎回、毎回の演奏を真剣にやってほしい。現代音楽も1回1回をそういう思いでやっていればお客さんに伝わるんじゃないか。そんなことを思っているわけですよ。

野平 そうですね。そういう意味ではアンサンブル・アンテルコンタンポランは1回1回真剣に勝負している団体。素晴らしいのでぜひ聴いてほしいです。

鈴木 東京春祭もこの先どんどん新しいことにチャレンジしたいと思っています。今を生きる人たちに訴えかけることをやっていきたい。音楽家も自分が音楽家であることの幸せを、もっと感じながら演奏してほしい。それが音楽については、素人としての僕の願いです。

野平 音楽家として身が引き締まる思いです。東京文化会館としても、常に新しいものに門戸を開いていくという姿勢でいたい。電気的なものが入ったりする音楽もサポートできるようなホールでありたいです。これからも海外の動向に関心を向けて行きますが、2024年秋からはそういった新しいプロジェクトを当館としてもスタートする予定です。


©︎平舘平/2023年10月30日に行われた、「東京・春・音楽祭2024概要発表」にご登壇いただいた際の野平さん。音楽祭と東京文化会館の連携について熱く語って下さいました。


東京文化会館を世界の最先端の場に

鈴木 僕らは2001年、東京文化会館から小澤征爾さんとサイトウ・キネン・オーケストラのマーラー《交響曲第9番》の演奏を世界に中継をしました。あの頃の文化会館には何も設備がなく、光ファイバーを引っ張ってきて、大々的に世界に中継したのは初めてでしたが、文化会館の方はどう思っていたかなあ。みんなが誇りに思えるような、世界に先駆けるようなことができる場になってほしいですね。

野平 東京文化会館は、多くの方から東京春祭の本拠地だと思っていただき、鈴木さんたちもそう思ってくださっているので、もっと使い勝手のいいホールにしなくては。例えばリートのリサイタルでも、春祭には海外から本当に素晴らしい演奏家が来ています。私がよく通った1970年頃の東京文化会館は、世界中の素晴らしいリート歌いが恒常的に聴けるホールでしたが、東京春祭によってそれが戻ってきたっていう感覚を持っています。

鈴木 我々が海外からお招きする演奏家のみなさんは、よく知っている演奏家たちが音楽祭の期間中、文化会館に集まってきていることにびっくりされます。海外の音楽祭の雰囲気に似てきたような気がします。東京文化会館も、そこに来る人たちが幸せな気持ちになる、本当の意味での文化が根付いてほしい。僕は東京春祭がずっと続いて、いつの日か「変なおじいさんがこの音楽祭を始めたらしいよ」くらいの記憶に残ればうれしいです。

野平 東京・春・音楽祭はこれからの音楽祭のモデルの一つになりうる音楽祭だと思います。今は古典ばかりやっている音楽祭と興味のある人しか行かない現代音楽のフェスティバルに二極化しています。東京春祭のようにいろんな音楽が聴ける音楽祭は他にあるようでない。それが上野で続いていることが喜ばしい。これからも協力関係を続けていきたいと思います。


©︎池上直哉/野平さんと鈴木(2023年11月対談時撮影)


取材・文:出水奈美
野平一郎 Ichiro Nodaira

1953年生まれ。東京藝術大学、同大学院修士課程作曲科を修了後、フランス政府給費留学生としてパリ国立高等音楽院に学ぶ。作曲・ピアノ・指揮・プロデュース・教育など多方面にわたる活動をおこなう。
ピアニストとしては内外のオーケストラにソリストとして出演する一方、多くの内外の名手たちと共演し、室内楽奏者としても活躍。古典から現代までそのレパートリーは幅広い。近年はコンチェルトの弾き振りや、自作自演を含めた指揮活動も多い。
140曲に及ぶ作品の中には、フランス文化庁、アンサンブル・アンテルコンタンポラン、IRCAM、国立劇場等国内外からの委嘱作品があり、いずれの作品も圧倒的な成功を収めた。また、100枚をこすCDをリリースしている。
第13回中島健蔵音楽賞(1995)、第44回、第61回尾高賞、芸術選奨文部大臣新人賞、第11回京都音楽賞実践部門賞(1996)、第35回サントリー音楽賞(2004)、第55回芸術選奨文部科学大臣賞(2005)、日本芸術院賞(2018)を受賞。2012年春、紫綬褒章を受章。
現在、静岡音楽館AOI芸術監督、東京藝術大学名誉教授、東京音楽大学学長。芥川也寸志メモリアル・オーケストラ・ニッポニカ ミュージカル・アドヴァイザー。日本フォーレ協会会長。日本ベートーヴェンクライス代表理事。モナコ・ピエール皇太子財団音楽評議員を務める。2022年開催仙台国際音楽コンクールのピアノ部門審査委員長。

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