JOURNAL

シューベルトが遺した最期の歌 《白鳥の歌》が”刺さる”理由

文・戸部 亮(音楽評論家)

《白鳥の歌》より「都会」の自筆譜

 

《白鳥の歌》は何がこれほどまでに人を魅了するのか。ルートヴィヒ・レルシュターブ、ハインリッヒ・ハイネ、ヨーハン・ガブリエル・ザイトルが書き起こした言葉の力か、彼らの言葉の力を構成や言葉の音韻を強く意識して音楽で増幅させたシューベルトの天才性か。言葉と音楽が一つの極致として結びついた作品への問いに対しては、長く学術的な考察が重ねられてきた。学問的な課題設定がされてきたということは、それだけ人の心情を揺さぶっていたからだ。心情を客観的に、心の動きたるメカニズムを論理的に解明したい欲望にかられるからだ。

ただそういう学術論考は重要とは認識しつつ、大多数の聴き手には必要不可欠なものではない。ある意味、どうでもよい。大切なのは《白鳥の歌》を聴いている時間、人の心情を揺さぶる時間そのものだ。
期せず最晩年の歌曲群となった「作曲家の白鳥の歌たち」。後年《白鳥の歌》とまとめられる歌曲集はいつ聴いても耽る。考える。また作曲経緯ならびにレルシュターブ、ハイネ、ザイトル複数の詩人の作品からなる歌集であることからも各々独立した歌曲として扱う場合も近年増えている。演奏会でも曲順を入れ替えたり、リサイタルのプログラミング・ストーリーにあわせて作品がチョイスされたりするケースが増えており、今回の東京・春・音楽祭でも見られる。

現在、≪白鳥の歌≫をひとつの作品とみなすことは作品成立などを考えると、学術的な必然性は薄れている。ただシューベルトが作曲して死までの時間を知っている我々からすると、そのストーリー、感覚的な美意識から一連の作品とみなしたい気持ちから逃れられない面もある。

ではなぜそう思うのか。
まず白鳥は死の直前に最も美しく鳴くと言われている言い伝え。シューベルトの事例、こと《白鳥の歌》の名品歌曲群はまさにこれに当てはまる。作曲後すぐに訪れる作曲家の悲劇の結末を思い描くまでもなく、シューベルト最晩年の歌は我々の心を抉る。痛みが走る。各々の経験を呼び覚まし、言語化せずに心の内の封じ込めた思いに刺さる。そう、この「刺さり」が≪白鳥の歌≫が我々を魅了するポイントだ。

レルシュターブ、ハイネ、ザイトルの詩による≪白鳥の歌≫。よく言われている通り、共通する世界は愛する対象に対する憧れである。それらの言葉をシューベルトは短い生涯の最後の最後にドイツ・リートとして、音画として、高みへと結合させた。後年の名声の高まりを思えば必ずしも幸せな生涯ではなかった作曲家の一生。そのことを知る後世の我々は、詩人らの言葉と作曲家、双方の叶わぬ思いに直面する。直面する思いを受けて、ふと一連の作品、《白鳥の歌》とみなしたい心情が沸き起こる。

誰もが経験している心情がつづられた言葉。シューベルトが昇華させた美学は純粋なまでに愛する対象への幻想と虚無、熱情と絶望、それでも手に入れたい気持ちがストレートだ。対象にまっすぐ正対する。その情念を完璧なまでに美しく、作曲家は気高く昇華させている。それはまるで自分の痛みを修復する作業を行っているかのように。この作曲家と詩人が結びついた情念、それが我々を浸らせる一つの源泉だ。我々を考えさせる。心を揺さぶる。そして痛いほど心に迫り、刺さる。

悩み、迷い、狂う。絶望、諦め、愛するものへの思いを辿り、それらのケーススタディ集ともみなせる《白鳥の歌》。心に刺さるのはそれだけか。《白鳥の歌》の世界では思いは実現しない。しかし一つひとつ聴いているとあの時、その時、どうすべきだったか想像力を巡らせて聴いてはいないか。

作品の世界の彼らは挽回できるチャンスはなかったかもしれない。しかしわれわれは違う。演奏会終演後、また日常に戻る。約束された「生の時間」を持つ我々は、彼らがつかみ取れなかった機会を逃さないよう挽回できるチャンスがある。その道を選ぶか、選ばないか。進むべきか、進まないか。選択を突き付けられる。

心に深くまとわりつき、心を囚える情念を受け止めながら、ただ愛する対象を求めて信じていけば、もしかしたら道は開けるかもしれない。シューベルトもそんな葛藤をしていたのかもしれない。そのような中、無垢なまで素朴で純粋な憧れを結晶化させたシューベルトの最後の歌は、まさに湖面上に美しい姿を湛え、鳴く白鳥だった。

 

さて白鳥。白鳥は華奢な細い首ながら先端を上方に後退角をつけて力強く飛翔する。一方、羽を休める際は純白のシルエットが優美に湖面に浮かぶ。高い透明度の湖面に浮かぶその姿は本当に美しい。しかしよくよく見ると湖面上の美妙たる白鳥は水面下では水かきで細やかに、ときには懸命に動かして美麗なバランスをとっている。それは時に美しさを保持するために苦心しているようにも見えなくもない。見えないところではあるが、美しさと相反する行為を白鳥は具有している。その姿は憧れたる美しさを掴みとるために精励しているのでは、と想像してしまう時もあるほどだ。そういう白鳥の姿を見ていると、求めるものは自ら努力して見出すもの、理想を得るために、チャンスをつかみ取るためには信じ、行動しなければと思うし、≪白鳥の歌≫を聴いた帰路はふと考えてしまう。

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